第8話 思い浮かぶ顔
あんな風に瀬尾に啖呵を切ったものの、これまで何人もの捜査員が動員され調べつくされていた。同じように同じところを聞き込みをしてみても、そうそう新しい事実は見つからない。何か別のアプローチが必要だった。
そもそも二件の刺青殺人と矢立カオル殺しに因果関係があるとしてそれは何だ。
久我の足は自然と繁華街へと向いていた。
真昼の繁華街は夜に花開くための鋭気を養う時間帯だ。どの店も閉まり、夜の顔とはまったく別の世界のように見える。
そんな場所で、早朝、カオルは腹を刺されて死んでいた。久我は今、その現場に立っている。
そこにはまだ沢山の捜査員が残って事件の後始末をしていた。路上には血液を洗い流した跡がまだ生々しく残るそんな中、久我の目に一人の女が目に止まる。こんな昼間に不似合いな、けばけばしい化粧の短いスカートを履いた女。
その女は抱えていた花束をそっと現場近くの壁に立てかけると手を合わせていた。思わず久我はその女に声をかけた。
「あの、すいません。貴女殺された男の知り合いですか?」
女はきょとんとした顔で微妙な頷きを返して寄越した。
「しりあいってゆーかぁ、お客さん?アタシそこの店で働いてるんだー」
女が指差したのはソープ(特殊浴場)の入ったビルだった。女はそこで働く風俗嬢らしく、話を聞くとその店の常連だった矢立カオルは死ぬ前にこの女の店に立ち寄っていたと言う。
「その時、彼についておかしな事はありませんでしたか。いつもと違った所は…」
「カオルちゃんがちよっとおかしいのはいつもの事だしぃ、あ。でもなんかぁ、近々金が入るんだとかなんとか言ってはしゃいでました。絵がどうとかでぇ、親分に手土産?とかなんとか…?良く分かんないけど…」
「絵?なんの絵ですか?」
「そこまでは知らなーい」
「親分って、鹿島周吾の事ですか?」
「多分ねー。カオルちゃんはその鹿島なんちゃらの子分だったから」
女の話はもどかしく要領を得なかったが、どうやらカオルはその"絵"とやらに関係して殺されたと推察された。
そして二番目に殺された鹿島の舎弟もまた、絵画のブローカーに会うと言ったきり音信が途絶えたと鹿島が言っていた。
鹿島興業からの帰り道、後藤もその絵画のブローカーを探ってみろと久我に言っていたのを思い出す。
ブローカー、ブローカー、ブローカー。その絵画のブローカーが何だと言うんだ!ヤクザと絵画のブローカー。全く関係なさそうな両者にいったいどんな繋がりがあると言うんだ!
久我は片っ端から絵画を専門に扱うブローカーに電話で接触を試みた。だがヤクザの三文字を口に出した途端にみな一様に口を閉ざしてしまう。返ってそれが怪しさを漂わせた。
どれもこれも突き詰めて行くと袋小路だった。ただ時間だけが刻々と過ぎて行く。外はもう夜の帳が降りる時刻になっていた。
路駐した車の中から見るネオンの街並みは久我の焦りとは無関係にいつもの瞬きを繰り返し、久我が今日やってきた事全てをその日常に包んで飲み込んで行くようだった。
だが、そうやって明日を振り出しに戻す訳にはいかないのだ。
あの時の撫川の動揺した瞳に焦燥感を煽られる。撫川を救えるのは自分しかいないと訳もなく思う。
自分が撫川を事件の被疑者と言う以外に、もっと個人的な感情で見ていることに、久我は薄々気が付いていた。
なぜ同性である男にこんな気持ちを抱くのか訳がわからない。だが今はそんな事で頭を悩ますわけには行かないのだ。
もっと冷静に、客観的になれと久我は自分自身を叱りつけていた。
撫川はあの医務室にいた。
久我が戻ってくる三十八時間まで逮捕勾留はしないと言う約束を瀬尾が守ってくれていたが、医務室で毛布を手渡されたと言う事は、暗に身柄拘束はしないがここで休めと言うことなのだ。
逮捕もしていない者を身柄拘束は出来ない決まりがある。ましてや留置所に留め置くことも出来ず、瀬尾としても苦肉の策だったのだろう。
窓の外には枯れ枝の先に引っかかった三日月が冴え冴えと撫川を見下ろしていた。
何故、久我はあんなに必死で自分などを助けてくれようと言うのだろう。
久我の必死さに比べると、私選弁護人すら頼まなかった自分は、久我の誠意に全く釣り合っていないと申し訳ない気持ちだった。
もし、このまま冤罪となっても別に構わないと思う。何なら死刑でもいい。
どうせ六年前から自分を待っている人などいないのだから。
この六年間、枕の下にナイフをいつも忍ばせていた。夜中に思い立って直ぐに死ねるように。
今が死に時なんじゃ無いか?
そう思って何度もビルの屋上に立った。
迷いは無いはずなのに、なぜかいつも死にあぐねた。
久我が必死に助けようとしてくれる気持ちに自分は全くそぐわない。
撫川は一人暗い医務室のベットの上で、必死に瀬尾に食い下がる久我の顔が思い浮かんでいた。
鹿島周吾の顔では無く、久我の顔を…。
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