第4話 鹿島周吾
蜂須賀組は関東一円を牛耳る指定暴力団であり、鹿島興業はそこを母体とした鹿島周吾を頭とする二次団体の暴力団組織だった。
この街の繁華街を巡りこの鹿島興業と同門の石波組が長いこと覇権争いを繰り広げていた。
しかしここ数年、石破組は先代の石波辰彦が急死し、当時若頭だった森元が頭に収まってからと言うもの、何かと精彩を欠いていた。
対等だった両者の力関係は次第に鹿島周吾の人望と手腕によって大きく鹿島興業へと傾いてた。
加えて鹿島と言う男は、蜂須賀組の元でかつて金庫番をしていた男だ。金策の手腕や人望に厚く、鹿島興業は今や飛ぶ鳥の勢いだった。
後藤に伴われて久我は、初めてヤクザの事務所と言うものを訪れた。
その事務所はごく普通の小さな会社と同じく、こじんまりとしたビルの二階にあった。一歩そのビルの中に入ると目の前に組員らしき若い男達が二、三人何故か階段の下に
「おう、何やってんだお前ら、なんか悪だくみでもしてるんじゃねえのか?」
「げっ!ゴマキ!」
そのうちの一人の男が、後藤の姿を見ると慌てて手にしていた小さな袋をポケットへと捻じ込んだ。
「なんだ、今なんか隠したろう。ジャブか?出せ!ほらっ出せ出せ」
「違いますよ!い、胃薬だ!」
「なにぃ?いい加減な事言ってんじゃねえぞ」
後藤が迫ると若い男はポケットから隠した袋を取り出して後藤へと差し出した。
後藤は男の手から薬の袋を引ったくる。
「胃薬だと?なーにを…、ありゃ胃薬だな…」
それは本当に胃薬だった。後藤は舌打ちをして乱雑に薬の袋を男の額に投げつけた。
「ヤクザの分際で胃薬なんて飲んでんじゃねえぞ!」
「勘弁してくださいよ、無茶苦茶だなアンタ」
久我は傍若無人に振る舞う後藤の後ろで、これじゃあどっちがヤクザだろうかと思っていた。
「で、鹿島はいるか?」
後藤はクイと二階を見上げて顎で指した。
「えぇまあ、居るにはいますが…」
何故か言いにくそうにする若い男を後藤は、訝しそうな顔で見る。
「何だ、煮え切らねえ」
久我に「行くぞ」と目の前の男を押し退けて階段を上りかけたその時、事務所のドアの向こうから、「ああんっ!」と悩ましげな嬉声が漏れて来た。
後藤と久我はギョッとして目を見合わせた。
「何だ、花屋が来てんのか」
「あぁ、はい、」
事務所の中では今まさにセックス行為の真っ最中なのだろう。それを分かった上で後藤は階段を上がって行こうとしている。久我は焦ってそんな後藤の腕を引き留めた。
「ちょっ、後藤さん!今行ったらまずいんじゃ、」
「もっと脚開げてケツ上げろ」
「う、ぅン…周吾さん…っ、」
事務所の壁に両手をついて下半身を剥き出しにズボンを膝まで下げた撫川が、鹿島に腰を掴まれ、その逞しい突き上げに悩ましげな声を上げていた。
首筋に歯を立てながら、鹿島はよがる撫川のシャツのボタンに手を掛けた。
「ダメ!脱がさないで。約束だろう?」
咄嗟に撫川の手がボタンの上で蠢く鹿島の手を強く引き留め、その肩越しに拒絶の鋭い眼差しを相手へと向けた。
「無理矢理脱がせたら舌噛んで死ぬから!」
撫川を抱く時は服は脱がないのが二人の取り決めだった。
撫川は冗談ではなく、本気でヤクザの鹿島を脅しにかかっている。
無理矢理服を引き剥がせば本当に撫川は舌を噛み切ってしまうだろう。長い付き合いの鹿島にはそれが良くわかっていた。
「ちっ!」と舌打ちした鹿島は、ボタンから手を退け、その憂さをはらすが如く、乱暴に腰を打ち付け始めた。
「あう…っ!あっ、あぁ、も、イクっ!」
散々玩具のように撫川を揺すり上げた鹿島は、最後に深く突き入れると撫川の中に熱い煮液をドクドクと植え付け素早く熱を抜き放った。
ちょうどその時だった。なにやら外が騒がしい。
「後藤さん!待ってください!今入ったら!」
「入ったらどうした!お前は乙女か!やってようがいまいが俺達に関係あるか!放せ!」
階段を登りかけた所で久我と後藤が揉めていた。
そんな時、ガチャリと内側からドアが開いた。見上げるとタバコをふかしながら鹿島周吾が立っていた。
「何時もながら騒がしいなゴマキ」
「誰がゴマキだ!鹿島、話がある」
「そろそろお出ましになると思ってたよ。皮剥ぎの件だろ?」
鹿島は入れと言う代わりにドアを開け放したまま中へと引っ込んだ。
二人が中へと入ると、男なら覚えのある淫猥な臭いが部屋に篭っていた。
黒いソファの上で下半身の後始末をしたばかりの撫川が、久我を見つけると決まり悪そうな顔をしてズボンを整えセーターを被って立ち上がる。
その顔はほんのりと上気し、情事後の気怠い色香が漂っていた。
「周吾さん、僕はこれで…」
「気をつけて帰れ」
あっさりとした会話だけ交わして撫川はそそくさと、久我の脇をすり抜けて行く。
伏せ目には翳りを帯び、憂いを含むその横顔が何故だか久我は気にかかった。
こんなまともそうな男が、何を好き好んでヤクザの情夫になどなったのだろう。
ドアを出て行く撫川が、久我に向かって微かに微笑んだ気がした。
「相変わらずお盛んだなあ、女だけじゃ飽き足らんか」
「ふん、与太話をしにきたわけじゃ無いんだろう?…そっちの坊ちゃんは新人か?」
漸く鹿島は久我を見た。印象的な目だった。相手を射竦めるようで暖かい。威圧的では無いが猛々しい。
一見しただけで三下で終わるような男では無い事が、その眼差しや雰囲気から感じ取れた。
「一課の久我と言います。今日は殺された三上の事を伺いに来ました。三上はここの舎弟と聞きましたが最近、いざこざか何かありましたか。敵対していた人間とか…」
ヤクザへの尋問の不慣れさが丸出しの硬い物言いだ。
「ははは!えらく真面目だな兄ちゃんは!誰かもちったー見習ったらどうだ?ゴマキさん」
「お前んとこはみんなで俺のことをゴマキゴマキ言いやがる!」
「だってゴマキだろう?後藤牧生警部補殿!
三上は確かに舎弟だが、何が起きてるんだか俺の方が知りてえよ。
絵画の売買の件でどっかのブローカーに会うと言ったきりあんなザマだ、誰の仕業か分からんが舐めた真似しやがって」
「内側の揉め事では無いって事ですか。…この事務所に三上の他に背中に墨を入れている人間は」
「…居たら何だ。みんなヤクザものだからな、そりゃあ居るだろうさ、いちいち名前を上げろって言うのか」
少しずつ鹿島の機嫌が斜めになって行くのを感じた後藤が、気色ばむ久我の肩を叩いた。
「いやあ、なんて事は無い。これからもそいつらの背中が狙われるかもしれないんでな、細やかな忠告ってやつだ。
邪魔したな鹿島、そう言えばアンタの背中にも凄いのが居たな。
不動明王だっけか、出来栄えが見事で有名だそうだなあ。ま、せいぜい養生してやれ、行くぞ久我」
「えっ、ちょっと待ってください、まだ聞く事は沢山…っ、」
「良いから来い!」
言い募る久我の襟首を掴んで後藤はぐいぐいと外へと引っ張り出し、二人はビルの外へ出た。
「何でですかっ!四十八時間以内に被疑者を特定して検察に送らないとならないんでしょ?ならもっと聞くべきなんじゃ無いんですか」
「あのなあ、空気読め久我、鹿島はもうあれ以上は喋らねえよ。
色々分かったじゃねえか、殺された三上は内部抗争じゃ無い。その絵画売買のブローカーってやつを探せ、何か握っているかもしれん」
さっさと歩き出す後藤にくっついて歩き出す久我の目に、路駐していた店の車に乗り込む撫川の姿が目についた。
最初からそうだった。久我はあの撫川と言う男が何故か気にかかっていた。
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