第3話 ヤクザの情夫《いろ》

「ご苦労様な事ですね。言っておきますが、ヤクザの息のかかった店って訳じゃ無いですよ?」


花屋の男は此方を見透かしたようにそう言いながら、オレンジのミニバラで作ったささやかなブーケをトレンチの隙間から覗く久我の背広の胸ポケットに挿しこんで来た。


「何する!」


久我は驚いて相手の手を払い除けて思わず声を荒げた。


花屋の男は少し驚いた顔をしたがすぐに少し皮肉げに微笑んだ。


「このくらい良いじゃないですか。余り物で作ったものですからお気になさらず。

でも、やっぱり刑事ってのは石頭なんですね、ありがとう、なんて期待はしてませんでしたから大丈夫ですが、僕の事調べられるのも嫌なんで自己紹介しておきますよ。僕の名前は撫川蛍なつかわけいです。因みにこの店の経営者です。それじゃお休みなさい」


それだけ言うと、撫川はさっさと店に歩き出す。その様子に呆気に取られて久我は刑事の癖に反応が遅れた。


「待てよ!さっきのヤクザだろう?どう言う関係だ!」


撫川は肩越しにチラと久我を一瞥し、ヒラヒラと手を振ってみせ、その問いには答えずにさっさと店の中に入りそのドアを固く閉ざした。

追い掛けようと一歩踏み込むと、またしても無線から「久我!!」と瀬尾の怒鳴る声。

久我は舌打ちしながら足早にその場を離れて行った。


撫川が店に入ると、閉めた筈の奥のカーテンが開いている。その陰からピンク色に逆立った髪の男がひょこっと姿を見せて店の外を伺う素振りをしている。

右鼻と唇中央に一つ、左眉尻に三つ両耳には無数のピアスが光っている。

それだけではない。Tシャツからのぞく両腕や首にまで派手にタトゥーが這い上っていた。

撫川は驚く様子も無く、明らかに挙動のおかしな男を呆れ顔で眺めた。


「カオルちゃん、何やったんだよ。警察探してるよ?」

「うん?ああ、ちょっとね。それより何か羽織るもんねえ?寒くてさぁー」


撫川の質問には答える気は無いらしいカオルと呼ばれた男は、白い半袖から剥き出した鮮やかな両腕を摩りながら鼻を啜った。

撫川は椅子の背もたれに引っ掛けてあった自分のブルゾンをカオルに差し出した。


「…はい、これで良けりゃ」


差し出されたブルゾンをカオルは引ったくるように受け取り、もそもそと袖を通しながら礼のつもりか軽く首を下げた。


「それにしても、何処に隠れてたのさ、さっきカーテン開けた時居なかった」

「あの馬鹿でっかい作業台の下に居た。いや〜焦った焦った。サツの次は鹿島の親分だろう?肝が冷えたぜ」

「悪い事ばっかりしてるからだよ。周吾さんは自分とこの親分じゃないか。うちの花屋はヤクザの隠蓑かくれみのじゃ無いんだからさ、少しは自重して面倒ごとなんて持ち込まないで…」


説教じみて来たなと感じたカオルはヘラヘラしながら後退り、撫川が言い終える前に「はいはい」と生返事を返しつつ、身を翻し逃げるようにカーテン裏の非常口から外へと飛び出して行った。


「ホントに…、何したんだカオルちゃん。どっちにも捕まんなきゃ良いけど」


カオルは先程花束を買いに来た鹿島興業の頭、鹿島周吾の所の若衆だ。親分に連れられて良くこの花屋を訪れていた。そんな関係上、カオルの頭の中がどうなっているか撫川には計りかねたが、親しく話すようになり、喧嘩して逃げ込んだのを匿ってやると、それが癖のようにまずいことになると決まってこの花屋へ飛び込んで来るようになっていた。

何せ素行が悪く、ヤクザにも見放されるほど半端な男だ。

つい先日も周吾から三行半を突きつけられ、手柄のひとつも立てて許してもらおうと、この所何やら躍起になって何かを画策しているようだったが、ダメな男は何をやってもダメなのだ。

どう転んでも痛い目に合いそうで、撫川は去っていった非常口を不安げな面持ちで見つめていた。



「すいません、遅くなりました!」


全速力で息を切らせながら現場に戻ってきた久我は強か汗をかいていた。


「おう、ようやく戻ったか!詳細を話せ」


息つく間も無く急かされた久我はトレンチを脱ぎながら、公園から走り出て来た男の話を出来るだけ詳細に瀬尾に話して聞かせた。

瀬尾はその間中も、部下達にあれやこれやと指示をしていたが、久我の話をちゃんと耳に入れていた。一通り聞いて瀬尾は間髪入れずに言い放った。


「成程な。その花屋に恐らく居たな」

「いや、でもオレ中に入って確かめましたし…」

「そんな筈は無いと言いたいか?だがな、結局は一番シンプルに考えた事が大概正解だったりするものだ。うん?何だソレは、お前花婿にでもなる気か?」

「え?あ、ああコレは…っ」


さっきの花屋で去り際、花屋が挿し入れたミニバラのブーケが場違いに胸元で咲いていた。

久我は慌ててそれを毟り取り、羞恥に耳を赤らめた。


「へえ!お前、鹿島の花屋に揶揄われたな」


二人の背後から後藤の面白がる声が近づいてきた。


「鹿島の…花屋…?あの店はヤクザが経営してるんですか?花屋は自分が経営していると」

「そうじゃねえよ。ヤクザの情婦いろの事を隠語で花屋と言うんだよ。ま、最も情婦じゃなくてこっちの情夫の方だがな」


そう言うと、後藤は指で空中に「夫」と書いてみせた。


「あの花屋の店員は…、鹿島興業の情夫いろって事ですか!」


花屋の男と鹿島が口付けをしているところが脳裏に蘇り、久我は成程と腑に落ちた。瀬尾は顎をさすりながら久我を見た。


「死んだヤクザは鹿島興業の舎弟だった男だ。久我、明日鹿島興業に聞き込みに行くぞ」

「ヤクザの事務所へ直接ですか」

今までヤクザとあまり関わりを持ったことがない久我は平和な交番勤務上がりだった。怖い訳では無いのだが、少しの不安がその表情を曇らせた。


「何びびってんだ新人!そんな顔してるとヤクザに舐めらて何にも教えてもらえねえぞ〜。

瀬尾、俺が帯同してやっても良いがどうする」


珍しく後藤は一課に協力的な態度を見せると、伺うように瀬尾に視線をよこして来た。そんな後藤の肩を瀬尾がポンと叩いた。


「マル暴サンに行ってもらえるんならそれが一番良いだろう、久我。明日は後藤サンと事務所巡りの旅に出てこい。じゃあ宜しく頼むよ後藤サン」


瀬尾はそう言うと、久我をその場に残して忙しなくその場を立ち去っていく。後藤に預けられる格好になった久我は、去っていく瀬尾の後ろ姿を未練がましく見送っていた。


「まぁまぁ、そう固くなりなさんな、ヤクザのお偉いさんに顔繋いどけば得することもあるぞ?」

「後藤さん!警察とヤクザの癒着は、」


まずいと言いかけた久我の額に後藤の太い指がデコを弾いた。


「生意気言うんじゃねえよ!これだから新人ってやつは!良いから明日俺について来い!」


そういうと、後藤は肩で風を切る様に歩き出す。親切なんだか物見高いんだか、後藤という男を久我は今一つ信用ならない目で見送っていた。

それにしてもと久我は手の中で可哀想にクシャクシャになったミニブーケに目を落とす。柔らかそうな髪の芳しい男の印象が、久我の頭の中に過った。


「ヤクザの情夫…か」















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