第2話 真夜中の花園

開け放たれた店のドアを一歩中に入ると噎せ返るほどの花の香りがまるで洪水のように溢れ出る。香りもここまで来ると圧力を感じる。

香りのみならず、百色ものパステルを撒き散らしたような色、色、色の海原に包まれて、久我はまるで異次元にでも放り出されたような気分になっていた。

普段から刑事の久我の周りには色彩と言うものが無い。あるとすれば鮮やかな血の赤だけだ。


「いらっしゃいませ、贈り物ですか?」


花束を作っていた店員の男が、この店には浮いて見える久我に愛想良く声を掛けた。


「あ、あー、いや、悪いがお客じゃ無いんだよ。警察の者だけど、今ここに男が走り込んでこなかったかなと思って…」


俄かに訝しげに眉を顰めた店員が口を噤んでじっと久我を見て来る。

怪しまれているのが分かると、久我は慌てて警察手帳を翳した。


「刑事さんか…。さあ、誰も入ってきませんでしたよ」


丁寧に、だが慎重に喋る店員。嘘をついているようには見えなかった。久我は店の奥を気にかける素振りを見せたが、久我が踏み込むより早く、店員はカーテンを開けて見せ、人懐こそうな笑みを浮かべた。


「ね?誰も居ないでしょ?」


カーテンの向こうは4畳ほどの狭い空間に、花の入れられたバケツやゴミのバケツ。でかい作業台、ラッピングの材料などが段ボールに収められて棚に並んでいるだけだ。


「悪かった。でも、怪しい奴がここいらを彷徨いている。そろそろ店仕舞いした方がいい」


「ご苦労様です。そうします」


ここで言い返しても何の得にもならないと思った店員は、素直に久我の言葉に卒無い答えを返してカーテンを戻した。


「分かった。邪魔したね」


そう言うと久我は無造作に身を翻し、店を出て行こうとしたが、慌てて店員に引き止められた。


「あぁ!待ってっ、裾に花が!

無理に行かないで待って下さい!」


見ればトレンチの裾が大振りの花を引っ掛けていた。動けば花の首がもげていまいそうに撓っていた。

店員は、屈んで慎重に裾から花を救い出した。

久我は恐縮しながらまた振り向き直し、外へと一歩踏み出したが、今度は袖口のボタンを小花が引き止めた。


「刑事さんの動きが大きいんですよ。もう少し慎重に動いてくださいよ。この店狭いんですから」

「す、すまん、」


これでは一課の生え抜き新人も肩無しだった。

店員は袖口に近づいて慎重に絡んだ花を解く。久我よりも頭一つ分低い頭が胸元近くで揺れ動く。

見るとはなしに、久我はこの男を観察していた。

ミルクティベージュの猫っ毛で、肩程の長さの緩くウェーブしたハーフアップヘア。外国のモデルなどが好んでするような髪型だ。

細面に小ぶりな鼻が形が良く収まり、目はすっきりとした二重に色の薄い瞳。その上には大らかなアーチを描く眉が掛り、唇はまるで少女のような極々淡いペールピンクだった。それが乳白色のきめ細かな肌と良く合っていた。

着古した白いパーカーにエプロンを掛け、燕脂色の綿パンと地味な格好をしているが、隠しきれない柔らかさと華やかさがこの男から滲んでいた。

そして何より、芳しい。

花だらけの店の中、どれがこの男の香りなのか久我には判別は出来なかったが、良い香りを醸しているには違いなかった。


「はい、取れましたよ。気をつけて出てくださいね」


いつの間にか見入っていた事に久我が気づいてはっと我に帰る。

恐縮しながらそっとを心掛けて外に出ると、目の前に一台の黒塗りの車が止まった、こんな狭い道で路肩駐車とは。

苦々しく降りてくる人物を注視していると、ワンボックスのドアが開いて後部座席から男が一人降りてくる。

ダブルのスーツにノーネクタイ。無胸元のボタンをわざと外した風態はまるでヤクザのようだった。

車種はアルファードのエグゼクティブラウンジ。厳つい車だ。今時のヤクザはベンツになど乗らない。ナンバーを見ると9000とある。妙に「9」に拘りを感じるナンバーだ。

ヤクザの好みそうなナンバーだと久我は思った。

花札のオイチョカブでは「9」は最強の数字だと言う事もあり、ヤクザはこの「9」と言う数字を好んで使う者もいる。

間違いないだろう。この男はヤクザなのだ。そんな男がこんな花屋に何のようだ。恐らく己より数段似つかわしくない筈だ。

電柱の影から久我はそれとなく様子を伺う事にした。


「あ、周吾さん!いらっしゃい。

例の花束出来てますよ?」


さっきの店員は、見るからにヤクザな男と見知った様子で、先程作っていた花束を差し出している。


「よぉ、久しぶりだったな。いつも突然で悪いな。お。きれーじゃねえか」

「大柄で知的な美人のママさんって言うご注文でしたから、カサブランカを使ってみました。ちゃんと花粉も処理してあるので服に着くことも有りませんよ」

「見事だ。お前さんに頼むとイメージ通りのものが仕上がるから有難い」


豪華に仕上げられた花束を受け取ると、そのヤクザ者はあろう事か、店員の男に口付けたのだ。

その不意な口付けを拒む事も驚く事も無く、店員の男はそれをごく自然に受け入れていた。と言う事は、二人には日常的な行為だと言う事が想像できた。


「何者なんだ、あの店員は。筋モノと繋がりがあるようには見えなかったが…」


帰ろうとするヤクザ者と共に店員は外に出てくると、若衆が車から飛び出して後部座席のドアを恭しく開ける。男はそれに花束と共にドカリと乗り込むと、花屋は閉まるドアに手を振って見送った。


車が去ってしまうと、電柱の影に隠れている久我に店員の男は早くから気づいていたらしく、視線をチラと向けると店内に入っていった。


その時だ。久我の無線から瀬尾のがなり立てる声がする。


「おい!久我!貴様どこに行ってやがる!どんだけ風に当たってやがんだ!今何処だ!」

「す、すんませんっ、ちょっと怪しい男を追いかけていて…」


そう言い訳がましい事を言い募ろうとするも、それに被せるように更に瀬尾に怒鳴られる。


「追いかける前に報告しろ!

で?とっ捕まえたのか」

「いえ、見失いました」

「馬鹿野郎!一人で勝手に動きやがって!連携してたら捕まえられたかもしれないじゃねえか!戻って兎に角報告しろ!」


「はい」と答える暇も与えられず、無線は言いたい事だけいってブツリと切れた。

参ったなと久我が無線を切って顔を上げた時、中に戻って行ったはずの店員の男が音もなく傍に立っていた。




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