幻の背《せな》
mono黒
第1話 刺青皮剥殺人事件
巷ではたまに化粧彫り、白粉彫りなどと言うものが時々噂に登る。
それは刺青の一種で、普段は見えないはずの皮膚に熱を孕んだ時にのみ、刺青が浮かび上がる。そんな妖艶な彫り物の事をそう呼ぶそうだ。
だが、それを実際に見たものは無く、彫ったと言う人は居ない。
そんな物は都市伝説なのだと人は言う。
だが、折に触れ、白粉彫りは人の口の端に実しやかに登るのだ。
降りしも事件はそんな時に起きていた。
夕暮れの繁華街の一角は今や大騒ぎだった。ちっぽけなビジネスホテルの一室で殺人事件が起きたのだ。警察や救急車の回転灯と捜査員と野次馬がごった返し戦々恐々の態を成していた。
そんな中、颯爽と規制線を潜って来る長身の男がいた。見た目からも警察関係者だと分かるほど厳つい雰囲気を纏わりつかせた男だった。
そんな男が現場にズカズカと踏み込んでくる姿を見かけると、彼よりも更に厳つい、まるでヤクザのような中年親父が不機嫌そうにガニ股で近づいてきた。
「おう!瀬尾!なんでテメェら一課が出張ってんだ?こんなヤクザ絡みの案件にまで首突っ込むことは無いだろうが」
パリッとしたスーツの瀬尾と対照的に、一着千円の吊るしのジャケットをヨレヨレと羽織る男がいきなり毒づいて来た。
「なんだ後藤サンか。いきりたたないでくれよ。俺の所為じゃない。こっちも刺青皮剥殺人で帳場が立っちゃってるんだよ。マル暴サンとは仲良くとまでは行かないだろうが、せめて波風は御免だ。
なあ、お前もだぞ久我!」
瀬尾は先に現場に到着していた新米刑事の後ろ姿へと呼びかけた。
彼は瀬尾の相棒の
「瀬尾さん!また殺られましたよ。この前と手口がほぼ同じでした。しかし、ヤクザの刺青を剥ぐなんて大胆不敵な奴ですよ、現場は壮絶です。見ない方が良いですよあんな…」
そう言いながらも靴カバーや手袋やヘアキャップを瀬尾に手渡しながら後ろから久我は健気について来る。
「ご苦労さん、見ても良いかな」
現場はまず最初にゲソ痕、要するに足跡を取ることから始める。
そして鑑識が証拠品を洗いざらい浚う。その邪魔にならぬよう刑事などは最後に遠慮がちに現場に入る。
現場はかなり悲惨な状況だった。血溜まりの中にうつ伏せで倒れているのは全裸の男だった。手袋を嵌めながら瀬尾はその男を俯瞰に眺め、手を合わせた。
鑑識が小さなビニール袋の中にあつめた証拠品をせっせと銀色のケースへと入れている。その脇に倒れている男は見るも無残なものだった。
そこに描かれていただろう背中の刺青が綺麗に剥がされ、まるで稲葉の白兎を彷彿とさせるような凄惨さだ。
オレンジ色に剥けた皮膚がぬらぬらと血液とゼリーのようなねっとりとした侵出液で盛り上がり濡れ光っていた。皮の端が黒く変色しているのは、時間の経過を物語っている。
「仏さん、死んで半日って所か…」
瀬尾が仏に屈んで目を凝らす。
対して久我は極力見ないようにそっぽを向いて立っていた。
「致命傷は腹を刺された事が原因で、失血死。背中の皮は死んでから剥がされたと、そう言うことらしいです。まるきしこの前とおんなじですね。
これで連続殺人決定ですよ。これで帳場の名前変わりますね。
しかし何がどうなってんでしょうね!ここんとこヤクザの抗争なんて話しとんと聞きませんよね?
いったいどんな変態がこんなことしてるんだか」
「防犯カメラは」
「ホテルの防犯カメラは壊れてました。周辺の監視カメラの映像を今集め回ってますよ」
「墨入れてる奴等の名簿とか有れば良いんだが…」
さっき毒づいてきた後藤の方をチラと見る。察しの良い久我は怖いもの知らずにも後藤へと近づいていく。
「すみません、一課の久我と言いますが、その、墨入れてる奴らの名簿とかマル暴で抱えてたりしませんか。資料お借りできないかと」
「ああん?なんだお前新人か?良い度胸してんなあ、俺に軽々しくお願いか?足で稼げ足で!この足は棒切れか?」
そう言うと久我の足をパン!と叩いて小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべた。
自分より弱い者を見ると居丈高な態度になるのはこの男の悪い癖だった。
「あんまり新人を虐めないでくれよ。俺が聞きに行かせたんだ」
瀬尾がそれとなく助け舟を出した。後藤は舌打ちをすると、勿体ぶりながらも話し出した。
「そうさなあ、よっぽどのモンを背負ってれば分からんでもないが、そこら辺の雑魚にまでは調べは及ばんよ」
「そのよっぽどって奴で良いですから、情報回してくれませんかね」
「仕方ねえなぁ、他ならぬ一課の瀬尾さんのお願いだしな。一つ貸しだな瀬尾」
恐らく瀬尾とてマル暴に貸しなどは作りたくはない筈だが、早くしなければ、第三第四とまたヤクザの背中が狙われる。
二人のやり取りを聞きながらも、久我はさっきから生臭い血の臭いの他にこれが死臭なのかと思えるような臭いにやられて顔色が優れないでいた。
そんな新人に瀬尾は外の空気を吸って来いと久我を現場から下がらせた。
久我は自分もいつか、あんな現場が平気になって行くのかと思うとうんざりして来ると共に、同じくらい早くそうなりたいとも思う。
新鮮な空気を求め、久我は現場から少し離れた公園で全体像を眺めていた。
その光景は不謹慎だが久我に祭りの賑わいを思い起こさせた。
人工的な明かりの中に忙しく行き交う人の影が浮かび、その騒めきまでも賑やかにここまで聴こえて来る。皮肉にもそれは楽しい祭りなどではなく、犯罪の祭典の賑わいなのだ。
内ポケットから煙草を取り出すと白筒を口に挟み、赤々と手元の火を灯す。風に乗って舞い上がる微かな火の粉が紫煙と共に夜に散じた。
その煙の行方を目で追っていると、偶然にもそこに不自然な動きをする男の影を久我は見咎めた。
暗がりの中、顔は見えなかったが白いTシャツが現場から転がるように公園内を突っ切って来る。
警察官にあるまじき行為と知りながら、慌てた久我はその場で煙草を踏んで揉み消し、咄嗟にその男の後を追いかけていた。
男は迷路のような住宅街を迷いもなく走っている。土地勘のある事はすぐに分かった。
男は途中から背後から追いかけられているのが分かったようで何度も振り返りながら走っている。
「おい!待て!!」
そう言って犯人が待つとは思えなかったが、分かっていても咄嗟に口から出てしまう。
目の前の賑やかな大通りの少し手前で久我は男を見失った。
息を切らせながら辺りを見渡すと逃げ隠れできるような場所はなかったが、ポツンと一軒だけ、小さい花屋の灯りが道に溢れている。
大通りを一歩入った路地にこんな花屋があるとは。
男が大通りに出たとは考えずらかった。とするならば、残るはこの花屋しか無い。
中を覗くとエプロンをした優男が花束を作っている最中だった。他に従業員らしき影もない。
久我は瀬尾に連絡も取らず、独断でこの花屋へと踏み込んでいた。
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