転校の手続き
警察庁長官の隅田さんが家に訪問してきてから三週間ほどの時が流れ、夏休みももうすぐ終わりを迎える。
思い返せば終業式の帰り道でいちかちゃんにちゅーされたこと以外は特になにもなかったかのように思える夏休みだった。
いや、本当は色々あった。
例えば、俺の名前が出たことで親父やお母さんが今の仕事を続けられなくなるんじゃないかと心配して、従魔師としての能力の検証を兼ねて二人の職場での様子を覗いたら、お母さんは職場で同僚に「靖くんってあんたんとこの子供よね?」とたまに話題が出る程度で特に迫害されているようなこともなく。
親父は会社に親父の子供の名前を知っているような友達がいなさそうだった。
聞いてみると、上司に少し話を聞かれた程度で特になにもなかったらしい。
まぁ、そりゃそうか。別に俺は反社会的な行動をしたわけじゃないし。ダンジョンの影響で出たけが人や死者は全国規模でみればかなり少ない。
知り合いの知り合いすら被害に逢っていないなら逆恨みもされないだろう。
それにこういっちゃなんだが、ダンジョンに行かなければケガしないし死なないのでそこで被害を受けた人は半ば自己責任でもある。
そんなこんなで、両親や祖父母の実生活に、俺の名前だけが出された状況では大した影響もなく。
また、今年の夏休みも例年通り祖父母の家に帰るとき一回だけいちかちゃんがついてきた(連れて行かないときは毎度、靖の彼女は来ないのか? ってじいちゃんに聞かれる)り、毎年恒例の海に遊びに行ったり。
その海でいちかちゃんのお父さんから
「靖くん。君はいちかとは付き合ってるのかい?」
と聞かれて、流石にここで隠すと後々ややこしいことになりそうだったから素直に「はい」と答えたら、
「僕は若いころは色んな女の子ととっかえひっかえ遊んでいたようなろくでもない男だ。そんな男が言えることはあんまりないけど、それでもいちかとは真剣に付き合ってほしい」
と頭を下げられてしまった。
……前の人生ではこの人の浮気が原因でいちかちゃんの家庭環境が荒んだと聞いたことがある俺は少し納得しつつも
「もちろんです。その……いちかちゃんに断られないなら、結婚もしたいと思ってます」
と、素直に答えておいた。
俺は人間関係を構築するのがあんまり得意じゃないし、威圧もあるせいでそもそもいちかちゃん以外の女の子とそういう関係になることはないだろうし、なろうとも思わない。
重いし気持ち悪いと自覚していても、一生一緒にいたいと思うのは紛れもない俺の本音だった。
そんな俺の答えを聞いて、いちかちゃんのお父さんは安心したように笑って俺の頭をなでながら「靖くんも、僕のことはお義父さんと呼んでくれていいからね」と冗談なのか本気なのか解らないことを言った。
そのあといちかちゃんに
「靖くんのこと今日からあ・な・たって呼ぼうか?」
とからかうように言われてしまった。
っていうか聞こえてたの!? 聞こえてないと思ったから素直に言ったんだけど。いや、まぁ知られて悪い気はしないけど。ちょっと照れ臭かった。
そんなこんなで、俺といちかちゃんの恋人関係が両親公認(俺の親父は去年、靖のことをよろしくみたいなことを酔った勢いで言っていた)になったって意味では進展したし、その他にも警察だけじゃなくて政治家の関係者とか企業の人とかマスコミの人とかが俺の家に訪ねてきたりしたので全て撃退した。
なにもないと称するには色々あったといえるけど、いや、むしろ色々あってありすぎて、バタバタしていたせいで、俺が夏休み前に意気込んでいた「いちかちゃんとの関係の進展」は最初にキスをした以上に進めていないのだった。
あぁ、なんてことなんだ!
いや、キス以上ってなるとやっぱりあれだし。いくら俺やいちかちゃんに前世の記憶があるとはいえ体は13歳。
この年で大人の階段を上るのは不健全だし……あと一週間くらい夏休みは残っているけど、やっぱり高望みするのはやめておこう。
そんなこんなで、悶々としていると中学校から呼び出しを食らった。
◇
結論から言えば「新しく敷設された、有用な職業持ちを育てる学校に通え」というお達しだった。
俺の実家は決して貧しくないが、裕福でもない。
そんな俺が受験した学校は奇しくも国立大学の系列の中学校である。
そう、国立なのである。国立なので、他の学校に比べても政府や国の言葉が通りやすい学校なのである。
正直、警察庁長官や政治家がちょっかい掛けてきたあたりでこんな展開になることは目に見えていた。
普段は俺の威圧にビビってる担任の先生も、俺が二つ返事で「断る」と言ったら、
「行ってくれ。じゃないと俺のクビが飛ぶ。……俺には養っていかなければならない家族がいるんだ」
と半泣きだった。
もし、俺が本気で断ったとしたら残りの中学校生活は針の筵だろう。
別に俺はそれでも気にならないけど、今回の人生狙えばもっと偏差値が高い学校も狙えたし、そうじゃないなら受験せず近所の学校に通う選択肢があった。にも拘らず再びこの学校を受験をしたのは前の人生の楽しい思い出が少なからずあったからだ。
それに、俺だけじゃなくいちかちゃんが嫌な思いをするのも本意じゃない。
つまり、俺には実質的に断るという選択肢はなかった。
正直、有用な職業持ちの学生を集めた学校になんて一ミリも興味がない。というか悪い意味で癖が強いやつが多そうだし、行きたくない。
俺は迷ったようにいちかちゃんの方を見てみると、いちかちゃんは口パクで
「靖くんがどんな選択をしても、私は靖くんの側に居続けるよ」
と。……っ! そういうの、サラッと言えるのズルい。
何百回目だろうか。いちかちゃんの言葉に救われ、惚れ直させられるのは――
「……転校します」
「だったら、私も転校します」
「……解った。本当にすまない。ただ、佐島も小林も凄く勉強を頑張ってきていたのは知っている。だから、せめてちゃんとした学習環境が用意されるようには伝えておくから。特に小林。お前のような優秀な生徒が転校するのはすごく惜しい」
……俺は?
「佐島は勉強は出来るが、それ以外がかなり残念な奴だからな。新しい学校でも、ちゃんと支えてやってほしい」
おっと、今回の人生に限っては腕っぷしの方が自信があるけど?
先生はすごく哀しそうで申し訳なさそうな表情をしていて、売られたけんかを買う気概が削がれてしまった。
「新しい学校でも、頑張れるよう陰ながら応援してる」
「こちらこそ、今までお世話になりました」
いちかちゃんが立って挨拶をして、俺もそれに追従するように頭を下げた。
そして俺といちかちゃんはこの学校を後にする。
今世では3ヶ月しか通っていない。しかし、前世では3年通った学び舎だ。それに今世もいちかちゃんと一緒に受験したという思い出もある。
校門の敷居を跨ぐとき、もうこの学校に通うことはないのだと思うと少し感傷的な気分になった。
「いちかちゃん」
名前を呼ぶと、いちかちゃんは黙って俺の方を見てくる。多分、これから俺がなにを言うのか、しようとしているのかはお見通しだと思うけど。
いや、だからこそ。こうして見てくれることが拒絶されない証だとも思える。
「好きです。大好きです。……俺も、例えいちかちゃんがどんな選択をしたとしても側に居続けるから」
「ありがとう」
そう微笑みながら、自然と目をつぶるいちかちゃんと。俺は人生で二度目のキスをした――
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