第2話 時計塔の日常

 唐突な『メイド入りませんか』宣言にクルルは思わずポカンとした表情を作る。そしてその表情を見たチロは、自分の言った言葉がいきなりすぎた事を自覚し、羞恥心から顔を赤くした。


「ふふふっ」

「あぅぅ……」


 そんなチロの姿を見て、クルルは思わず笑みを零した。チロは余計に恥ずかしくなり、体をぷるぷると震わせ、俯いてしまう。


「あぁいやごめんね、突然笑ったりなんかして。別に他意は無いんだよ。ただ君の必死さが少し微笑ましかったものだからつい、ね……」

「ううっ」

「おや? 言葉選びを間違えたかな。でもまぁ、言いたい事はなんとなく理解したつもりだよ。君が僕の所に来た理由というのはとどのつまり──ここで働きたい、という事でいいのかな?」


 そう尋ねると、チロはガバッと顔を上げてクルルの方をまっすぐ見つめた。


「そっ、そうです! 私をここで働かせてください! 家事なら一通り出来ますし、読み書きだって出来ます! 他に必要な事があれば必ず覚えます! あっ、あとはっ、そのっ、えっと…………肩を揉むのが得意です!」

「ふむ……」


 身振り手振りを交えたその宣伝内容を聞き、クルルは顎に手を当て考え込む。そうして暫く時間が経ち、再び顔を上げ、口を開く。


「──いいよ」

「本当ですかっ!?」

「うん。ちょうど助手が欲しいと思っていたところだったんだ。取り敢えず時計塔の中を案内するから、荷物置いてきくれるかな。奥にある椅子の上にでも置いておいてくれれば良いからさ」

「はい!」


 チロは急いで指差された方向にある椅子まで荷物を持っていく。その様子を少し離れた位置から見ていた全裸の男とラバースーツの女がクルルに近づき話しかける。


「珍しいね。君が助手を雇うなんて。今まで全部断っていたのにさ」

「そうね。何か心境の変化でもあったのかしら。まさか彼女が可愛らしい見た目をしているからとか言わないわよね?」

「ははっ、確かに可愛らしいとは思うけど、別にそういうのではないよ。それに今助手が欲しいというのも嘘ではないさ。ただ──少し思うところがあってね」


 そう言ってクルルは意味深にニコリと微笑む。


「ふーん、そういう事ならあまり詮索はしないよ。まぁ、悪い子ではないみたいだし、僕もこれ以上何か言ったりはしないさ。ただ、この街には君を尊敬する人間が沢山いるって事は、頭の隅にでも入れておいて欲しいかな」

「物騒な事にならないと良いわね」

「二人ともあまり不安になる様な事は言わないで欲しいんだけど……」

「はははっ、友人としての助言さ。そこまで不安になる必要はないよ。あぁそれと、その口調だけど──」


 荷物と羽織っていた外套を椅子の上に置いてきたチロが小走りで戻って来た。三人は一旦話をやめ、チロの方へと向き直る。


「荷物置いて来まし……あっ」


 満面の笑みで戻ってきたチロだが、クルルの隣にいた二人の変態の存在を視界に入れた瞬間、顔に少し影を作った。しかし、そんな表情をされたにもかかわらず、全裸の男は笑顔を向ける。


「良かったね、チロちゃん。無事目的を達成できたみたいで。歓迎するよ」

「あ……ありがとう、ござい……ます」

「そうだ! これからも会うことがあるかもしれないし、自己紹介をしておこう。僕はダリオン。クルルの友人をやらせてもらっている。で、こっちが──」

「アイリよ。よろしくねチロちゃん」


 全裸の男、ダリオンがラバースーツの女に手を向けると、その女、アイリもダリオンにならって挨拶をした。チロは自分が嫌な顔をしていることを理解している。それでも変わらずに接してきた二人に、流石に申し訳ない気持ちが生まれ、頭を下げる。


「よ、よろしくお願いします! それと、すみませんでした。変な態度をとってしまって。私、男の人の裸なんて見たことがなかったものだから、その……少し怖くて」

「いいよ。僕の格好がおかしいって事くらい自覚はしている。アイリもさっき言っていたけど、これにはちょっとした事情があってね……」

「事情、ですか……?」

「うーん……そうだな、今よりももうちょっと仲良くなれたら、その時に教えてあげるっていうのはどうかな?」

「あ、いえ、そこまでの興味は……」

「そ、そうかい……」


 チロの意外な言葉による一撃に、流石のダリオンも表情を曇らせた。そのやり取りが面白かったのか、クルルはまたクスクスと忍び笑いをする。


「ふふっ、じゃあ場も温まったことだし、早速時計塔の中を案内しよう」

「いやクルル、僕の心は大分傷ついているんだが──」

「塔内はいくつかの区画に分かれていてね」

「話を聞いてくれないかな!? 君はもっと友人というものをだね──」


 後ろでダリオンがわめいているが、それを無視してクルルは話を続ける。


「時計塔に隣接する大きな施設は『学園』と『研究室』、そして『図書館』。とりあえずこの三つの施設を覚えておいて欲しい。他の施設に関しては、うーん……そうだね、また今度時間のある時にでもゆっくり説明しようか」

「あ、あのー」

「ん? 何かわからない事でもあったかな?」

「い、いえ! えっと、そのっ……ダリオンさんの事は放っておいていいのかと思いまして」


 チロはダリオンの方をちらりと見る。そこにはいじけて体育座りをしている大の男の姿があった。その背中はどこか哀愁のようなものものが漂っている様に見える。


「ん? あぁ、大丈夫だよ。彼とは長い付き合いだからね。あれくらいで傷つくような男じゃないさ」


 その件の男は、現在も膝を抱えてうずくまっているのだが……


「なんだったら、君もそういう風に接してくれて構わないからね」

「えっ、いや、それは……」

「それなら──あまり怖いとは感じないだろう?」

「あっ──」


 その一言でチロはなんとなく理解した。今のやり取りが、自分のために行われていたという事を。


「君はまだこの街に来たばかりだからよく知らないだろうけど、ここには特殊な事情を抱えた人間が集まっていてね。彼のような全裸の男は他にいないにしても、君が今まで出会った事のない様な人間が沢山いる。例えば、そこにいるアイリ君とかね」


 そう言ってクルルはアイリの方へと目を向ける。


「怖いと思う気持ちはとても大事な事だけど、第一印象だけがその人の全てじゃ無い。接していけば、必ずその人の良いところが見つかるはずさ。君がこの街で今後も生きていくと言うのなら、それだけは心に留めておいて欲しいんだ。これは……うん、そうだね。僕からのお願いってところかな」

「わかりました」


 チロはもう、先ほどの様に怖がってはいなかった。その様子を見たクルルは少しだけ、安心した様に笑みを零す。


「ありがとう。よしっ、それじゃあさっき言った三つの施設を見に行こうか……と、そうだ、二人はどうする?」

「今回は遠慮しておくわ」

「そっか、悪いね。また今度ゆっくりお茶でもしよう」

「えぇ。その時は是非、チロちゃんも一緒にね」

「はいっ! その時はよろしくお願いします!」


 チロは頭を下げ、一足先に扉の奥へと向かっていったクルルの背中を追いかける。そして、パタンと扉が閉じるのを確認した後、アイリは一人呟いた。


「そういえば彼女、なんでクルルのメイドになりたいとか言っていたのかしら? 働くだけなら、別にここでなくても良いわけだし……」


 そんな呟きに、先程までいじけて体育座りをしていた男が、居住まいを正して答える。


「クルルは何かを察していたみたいだけどね」

「それはまぁ、そうなんだけど……」

「あんまり考えていても仕方がないよ。僕達が抱えている問題と同じように、彼女にもきっと何かあるんだ。無理に聞く必要はないさ。それにきっと、必要な時が来たら教えてくれるはずだよ」

「そうね……よし! そのためにもチロちゃんと早く仲良くならないと! それにしても彼女、すごく可愛かったわ。服はちょっとアレだったけど、綺麗な薄桃色の髪に、透き通るような白い肌。目もぱっちりしていて、まつ毛もすごく長かったのよ? あぁ、どうにかして妹にできないかしら」


 そう言ってアイリがくねくね動いている様子を見て、ダリオンは白い目を向けた後、溜息をつく。


「そういうのを前面に出しすぎると、また避けられちゃうんじゃないかな」

「避けられてたのは貴方だけじゃない」

「君もだよっ!」

「若い女の子に拒絶されて悲しい気持ちは分かるけど、関係のない人を巻き込むのはやめた方が良いわよ?」

「自覚がないの!? ガスマスク新しいのに変えた方が良いんじゃないかな!?」

「五月蝿いわね、最新のモノを使っているに決まっているじゃない。そうだ、今のうちに作戦会議をしましょ? 作戦名はそうねぇ……『君の濡れた頬をチロチロしたい』と言うのはどうかしら?」

「そうだね。内容は全く見えて来ないけど、気持ち悪さだけは絶妙に伝わってくるね」

「略して濡れチロ作戦ね!」

「気持ち悪さにいかがわしさが追加されたね」

「まずはチロちゃんがどこに住むのか調べないと!」

「歯止めが効かないのかな君は!」


 そんな会話を二人がしているとは露知らず、クルル達は昇降機の横にある階段を使い、一つ下にある四階の廊下を歩いていた。そこは先程までいた五階とは違い、一階と同じように白を基調とした、統一感のある作りになっている。外側に付いている窓の上の部分はステンドグラスで出来ていて、外の光を吸い込んだ色とりどりの光が優しく廊下を照らしていた。


「うっ……」

「どうかしたかい?」

「いえ、今何か寒気のようなものがして」


 チロは両肩を抱き、ブルリと体を震わせる。


「疲れているのかもしれないね。どうする? 説明はまた今度でも良いけど」

「大丈夫です! 私、元気だけが取り柄なので!」

「あまり無理はしないでね──っと、そろそろ着くよ」


 クルルの視線の先を追うと、沢山の茶色い扉が廊下の奥の方までズラリと並んでいるのが見えた。扉には各々番号が振られており、一部がガラスで出来ている。そこから中の様子を薄らと窺う事ができそうだったので、チロはこっそりと中を覗く。


「ここは……」


 白い衣服を纏った人達が、試験管や資料と睨めっこしている姿が見える。多分ここは──


「研究室、というやつだね。ここでは主に、生活の役に立つ魔法の研究をしているんだ。もっと奥に行けば戦闘用の魔法を研究している部屋もあったりするよ」

「魔法……」


 チロは扉に張り付いたままぽつりと呟く。


「興味ある?」

「あっ、すみません。せっかく説明してくださったのに」


 扉から顔を話し、クルルの方に目を向ける。クルルはどこか微笑ましい物でも見るように、チロを見つめていた。


「いいよ。それで、興味はあるの?」

「えっと、その……はい。でも私、生まれてから一度も魔法を使った事なくて。恥ずかしい話ですけど、自分に素質があるかどうかも分からないんです」

「素質はあるようだし、詳しく調べてみるかい?」

「分かるんですかっ!?」


 クルルのあっさりとした言葉にチロは驚き、思わず大きな声を出してしまったことを恥じて、口元に手をやり押し黙った。その様子を面白く感じたクルルはクスクスと忍び笑いをする。


「まぁ、ざっくりと、だけどね。よし、学園の方に検査出来る場所があるから行ってみようか。ここにはまた今度、用事がある時に来れば良いしね」

「はっ、はい! よろしくお願いします!」


 自分にも魔法が使えるかもしれない。その事実に舞い上がり、チロは大きな声で返事をした。


「あっ、それと──ここでは静かにね」

「は、はい」


 クルルが唇に人差し指を当てて注意をすると、チロは先ほどよりも少し声を抑えて返事をした。そして二人は研究室のある部屋を通り過ぎ、奥にある渡り廊下を超え、すぐ傍にあった階段を降っていく。


「一階から三階までが学園部分になっていてね。下から順番に一年生、二年生、三年生という風に分かれているんだ。今回僕達が行くのは二階。つまりは二年生がいるエリアになるね」

「そこに測定器が置いてある部屋があるんですね」

「といっても唯の備品倉庫だけどね。一年生の入学式と学期末の測定日くらいでしか使わないからね」


 二階に到着すると、クルルはキョロキョロと辺りを見渡す。


「廊下に人はいないか。この時間は授業中だったかな? まぁいいや、とりあえず職員室で鍵をもらってこよう。申し訳ないけどチロ君はここで少し待っててくれるかな。すぐ戻ってくるからどこかへふらふら行っちゃダメだよ?」


 そう言い残し、クルルは少し先にある通りを右に曲がり消えていった。残されたチロは、窓の外から外を眺めながら、クルルの帰りを待つことにした。初めて見る高い位置からの風景に、思わず口から息が漏れる。


「やっぱり、綺麗な街だな。活気があって、煌びやかで、目に映る全てが新鮮。ふふっ、やっとここまで来たよ──お母さん」


 そんな風に物思いに耽っていると、突如爆発音が塔の中に響き渡り、建物全体が大きく揺れた。


「きゃあっ! えっ!? えっ!? 何っ?」

「そういえば今日は確か、彼女が来ていたね」


 いきなり鼓膜に響いた大きな音に驚いていると、いつの間にか帰ってきていたクルルが、その疑問に答えるように口を開いた。


「早っ! もう戻って来たんですか!? それよりもさっきの爆発音、それに、彼女って!?」

「まぁまぁ落ち着いて。この学園では魔法を扱っているんだ。こんなのは日常茶飯事だよ。あぁでも安心して欲しい。さっき見た研究室や図書館にはあまり音が響かないように、魔法でしっかりとコーティングしてあるからさ」

「そういう問題じゃないと思うんですけどっ!?」

「ふむ、そんなに不安ならいっその事こと見に行ってみるかい?」

「え? どこに?」

「今の爆発音の元凶────ヴァミリア・スカーレットのいる所さ」


 そう言ってクルルはニコリと微笑んだ。

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