第1話 アルカン
無事アルカンの街へと入る事ができた薄桃髪の少女チロは、門番の男に教えられた通りに時計塔を目指してまっすぐ歩いていた。現在チロが歩いているところは、この街のメインストリートなのか、左右には露店が立ち並び、買い物に来た多くの人で賑わっていた。時折漂うジューシーな香りや、艶のある美味しそうな果物に目を奪われるが、心を鬼にして本来の目的である時計塔へと向かっていく。
「予想してたけど、私が住んでた村とは全然違う……」
チロの住んでいた村は所謂農村というもので、この街の様に露店が並び、人で賑わっているなどと言うことはなかった。村全体にぽつんぽつんと小さな家があり、他には農場や牧場があるくらいだ。あえて勝てる部分を挙げるとすれば、それは広大な自然くらいなものだろう。
頭の中で故郷の景色を思い出しながらしばらく歩くと、大きな広場が見えてきた。庭園の様なものだろうか。そこは緑で溢れていて、遊歩道の横には色鮮やかな花が植えてある。奥には大きな噴水があり、この庭園の雰囲気と見事に調和していた。そしてそのさらに奥には、チロの目的地である白い大きな時計塔が建っていた。近くから見ると分かるが、時計塔は一本の塔が独立して建っている訳ではなく、別の建物が幾つかくっついている様な形になっている。
チロははやる気持ちを抑えきれず、足早に庭園の中を駆ける。遊歩道を進み、噴水を横切り、その奥にある三段程の、幅の広い石段を跳ねる様に登っていく。時計塔の前まで辿り着いたチロは、乱れた呼吸を整える為に、大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐きだした。
時計塔の入口は両開きの扉になっており、その大きさは小柄なチロの倍以上もあった。チロは自分の力で開くか心配になったが、あまり考え込んでも仕方がないと思い、思い切って扉を押す。
「えっ? えっ? わわわっ!」
しかし扉は予想に反して何の抵抗もなく、ゆっくりと開いた。そのあまりの軽さに驚いたチロだが、扉の先の光景を見て更に驚く。
「……綺麗」
まるで王城にでも足を踏み入れてしまったのではないかと錯覚する程の、豪華絢爛なエントランスホールが目の前にあった。下品さは欠片もない。白を基調とした作りで、細かいところまで丁寧な細工が施されている。外から差し込む光がエントランスホール全体を照らし、どこか神聖な場所の様に感じさせた。
暫く見惚れていたチロだが、奥にある受付から視線を感じ、目を向ける。そこには女性が一人立っており、じっとこちらを見つめていた。口を開けてぼーっとしていた姿を見られてしまっただろうか、そんな事が頭をよぎり、恥ずかしさで顔を赤くする。
チロは出来るだけ平静を装い、受付まで歩く。その様子に気がつくと、女性は笑みを作り姿勢を正した。そしてチロが目の前まで来ると、丁寧にお辞儀をし、再び目を合わせる。
「いらっしゃいませ。ご用件をお聞きしてもよろしいでしょうか」
「こ、こんにちは! あっあの……賢者様に会いに来ました! 何処に行けば会えるか教えていただけないでしょうか」
「それでしたらお客様から向かって左側にある昇降機を使い、五階までお上がりください。そちらが、待合室となっております」
「昇降……機?」
女性が手で案内する方に目を向けると、少し大きめの扉が二つ設置してある事が分かる。扉の上には一から七の数字が書かれており、扉と扉の間にはボタンの様なものがあった。
「申し訳ございません。昇降機のご利用は初めてでしたか。それでは僭越ながら私が説明させていただきたいと思います。まずは扉と扉の間にあるボタンを押してください。暫くすると扉が開きますので、中へとお入りください。中から扉側を見ますと、右側に一から七の番号が振られたボタンがありますので、五と書かれたボタンを押してください。後はそのままお待ちいただければ五階に到着いたします。説明は以上になりますが、何かご不明点などはございましたか?」
「だっ大丈夫です! 頑張ります! ありがとうございました!」
チロは女性に頭を下げ、先程の説明を頭の中で反芻させながら昇降機の前まで進む。説明を受けた通りにボタンを押すと、頭上の数字が光だし、五から四、四から三へと数字がどんどん切り替わる。最後に数字の一が光ると同時に、チンッと小気味のいい音が鳴り、扉が開いた。チロは恐る恐る中へと入り、五階へ行くためのボタンを押す。すると扉はすぐに閉まり、昇降機の中には静寂が訪れた。
「後は、このまま待っていればいいんだよね?」
緊張と不安から、体に力が入ってしまう。チロは拳をギュと握り、じっとその場に固まった。そんな状態のまま暫くすると、再びチンッという音がした後、扉が開く。
「凄い……本当に五階に着いたんだ」
目の前には全く違う光景が広がっていた。先程は白を基調とした作りであったが、今目の前にあるのは茶色の壁に赤い絨毯。そして視界の右斜め前には、しっかりとした作りの扉が見える。これらの事から、チロは自分が五階まで運ばれたのだと自覚する。拳を握り込んだまま昇降機から足を踏み出し、扉の前に立つ。そして握りしめた拳をゆっくりと開き、緊張を解すために深く深呼吸をした。
「すぅーっ、はぁー……ふふっ」
ここに来てから深呼吸してばかりだ。そんな事を思い出し、自然と笑みが零れた。そのおかげか、少しだけ緊張が取れたのを感じる。
「この先に、賢者様が……」
扉を見つめると心臓の音が高鳴る。でもこれは緊張から来るものではない。そう自分に言い聞かせ、扉を三度ノックする。しかし奥からの返事はなかった。
試しに扉を押すと、ギィと音を立ててゆっくりと開いた。チロは目を閉じ、最後にもう一度だけ深呼吸をする。そして一歩、扉の先へと足を踏み入れた──ところまではよかった。
「ひにゃん!」
緊張からか、目を閉じたまま中に入ってしまったのが悪かったのだろう。チロは扉の敷居にある僅かな段差に足が引っかかり、盛大に頭から地面に倒れた。背負ったリュックの重み、頭をぶつけた痛み、そして羞恥心から顔をすぐにはあげる事は出来なかった。
「大丈夫?」
暫く地面に伏せていたチロのすぐ側から、男性の声が聞こえた。その声に反応して少しだけ顔を上げると、目の前には自分に差し出されたであろう手が見えた。
「すっ、すみません。ありがとうござい……」
チロは恥ずかしがりながらもその手をしっかりと握り、体を起こしながら御礼の言葉を口にするが、途中で言葉を止めてしまう。何故なら目の前には美しい金色の髪をした──
全裸の男が片膝をついてこちらを見つめていたのだから。
チロはあまりの事態に情報を処理できず、一瞬頭の中が真っ白になる。ここは賢者様のいる神聖な場所だ、こんな変態がいるはずがない。何かの間違いだろう。そう思い込み一度目を閉じる。そして心を落ち着けた後、もう一度ゆっくりと目を開けた。しかしそこには非常にも、先程の景色と全く変わらず、全裸の男が片膝をついていた。今度はにこやかな笑みを浮かべながら──
「どうかしたかい?」
「いやぁああああああああああああああああっ!!!!」
チロは手を振りほどき、距離を取って男を睨みつける。なるべく局所的な部分は見ない様に配慮しながらではあるが……
「はは、いきなり手を差し出したのがいけなかったのかな。悪かったね、僕はどうもそういう女性の機微というものに疎くてね」
男はそう言ってぽりぽりと頭を掻くが、それ以前の問題である。チロは一層警戒心を強め、この場から穏便に立ち去る手段を考える。
「大丈夫!? 悲鳴が聞こえてきたみたいだけど!」
そんな事を考えていると、奥の方から慌てた様な女性の声が聞こえて来た。助かった。そう思ったチロは声のした方に目をやると──
そこには、ガスマスクをした全身ラバースーツの女が立っていた。
チロは絶望した。どう見ても変態二号である。どうやらさっき頭を打った衝撃で異世界にでも迷い込んでしまったのかもしれない。そんな突拍子もない事を考える。だがそれは無理もない事だろう。目の前には全裸の変態男とラバースーツの変態女という、ありえない二人組が並んで立っているのだから。チロでなくても現実逃避をする。
「あら、初めて見る顔ね。もしかして街の外から来たのかしら? だとしたら申し訳ないことをしてしまったわね。ごめんなさい。彼ちょっと特殊な格好をしているけど、別に変質者というわけではないのよ。あの格好にも事情があってね。あまり怖がらないであげてちょうだい」
自分は普通の格好をしているとでも思っているのだろうか。女は自分の格好には全く触れないまま、チロに向かって頭を下げる。疑問に思うことはまだまたあるが、見た目の割にまともな事を言ってくるので、チロは少しだけ警戒心を解くことにした。その様子に女は少しだけ微笑み(外側からは全くわからないが)、何かを思い出したかの様に「そうだ」と言って手を叩く。
「もしよかったらお茶でも飲まない? この街で採れた美味しいお茶があるのよ」
「いっいえ、大丈夫です。喉も渇いていないので」
「そう……せっかくだし外から来た人の意見も聞いてみたかったのだけれど」
女は悲しそうな声を出す。チロは落ち込むラバースーツを見て少しだけ申し訳ない気持ちが芽生えた。しかし、だからといって、誘いに乗ってお茶を飲もうとは思わない。少し警戒を解いたとはいえ変態が出すお茶だ、何が入っているかわかったものではない。状況を正しく把握する為、チロは目線だけを動かし探る様に周囲を見渡す。部屋はバーのようになっており、大きなカウンターと丸いテーブルがいくつか置いてあった。テーブルの一つに二人分のティーセットが置かれている事から、先程まで二人で談笑をしていたことが窺える。奥にある扉と上へと昇る階段の存在は気になるが、今現在他に変態の類はいないようだ。
「さっきはすまなかったね。最近は僕がこの格好でいても、何も言われないことの方が多かったからさ。この街に来るのは初めてかな?」
「えーと……はい、そうです」
何も答えないのは不味いと感じたチロは、不承不承と言った感じで男の質問に答える。男は何かに納得したのか一人で腕を組み、うんうんとうなずく。
「この街にはいい人が沢山いるからね、何かあったら頼るといい。きっと君の助けになったくれるはずさ」
助けて欲しいのは今この瞬間である。
「とするとやっぱり目的はクルルかな?」
「クルル?」
「おや違ったかい? ここに来る人間は大体それが目的だと思っていたのだけれど、予想が外れてしまったね」
「あのっ! ……それってもしかして賢者様の事でしょうか」
目的。その言葉を聞き、男が言った人物が誰なのかを瞬時に理解する。チロは相手が全裸の変態という事を一旦忘れ、詰め寄る様に質問をした。
「ん? あぁそうだね、そう呼ぶ人もいるよ。──クルル・パレット。この時計塔の主さ。彼の元にはよく人が相談しに来ていてね。その反応、やっぱり君も彼に会いに来たってことでいいのかな?」
「そうです! 私、どうしても賢者様に会いたくて!」
「ならここで待っているといい。多分、もう暫くしたら来るだろうから」
そんな事を話していると、階段の上から扉の閉まる音が聞こえた。
「噂をすれば、というやつかな。来たよ──君が待ち望む人間が」
階段の方に目を向けると、そこには灰色のローブを羽織った黒髪の青年が立っていた。寝癖があり、目を擦っていることから、彼がまだ起きたてだと言うことが窺える。
(この人が──クルル・パレット。この街の、この時計塔の、賢者様……)
想像とはだいぶ違うその姿にチロは驚いた。賢者と呼ばれる程の人間だ、多くの人は年を取った老人の姿を思い浮かべるだろう。しかし目の前にいるのはどう見ても二十代から三十代半ばの青年。横の二人が何も言わない事から、彼が賢者本人で間違いないのだろうが、道端ですれ違った程度では誰も彼を賢者だとは思わない。
だがしかし、今となっては大した問題ではない。先に会った二人が変態だったのだ。それに比べれば年齢など些末な問題である。なにせきちんと衣服を纏っているのだから。
そんな事を考えていると、青年と目が合う。青年は驚いたように目を見開いていたが、チロはチロで驚いていた。何故なら青年の瞳が──虹のような色彩をしていたのだから。そのあまりの美しさに息を呑んでいると、相対する青年から声がかかる。
「珍しい、外からのお客さんかい? ようこそ時計塔へ。僕はクルル・パレット。この時計塔の管理をしている者だ。差し支えなければ、お嬢さんの名前も教えてくれないかな?」
「わっ私、チロって言います!」
「チロ君……か、よろしくね。それで? その格好を見るに、街に来てすぐここまで来たのだろう? どうやら急ぎみたいだし、用件だけでも聞かせてもらえるかな?」
「あの、その──」
「──メイド! いりませんか!?」
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