序章

 視界いっぱいに広がる大きな城門の前に、一人の少女が立っていた。暗い灰色をした外套を羽織っており、隙間からは年季の入ったグローブとワークブーツが覗いている。今時の少女とは思えない地味な格好だ。背中に背負っている大きめなリュックと、木の枝で作ったであろう杖を手にしているその出立ちから、旅人を彷彿とさせる。そんな地味な装いをした旅人風の少女ではあるが、ただ一点だけ、とても目を引く特徴があった。


 『薄桃色の髪』


 少なくともこの辺りで見るような色では無い。その美しい髪は風に揺られながら煌めき、目の錯覚か、微細な粒子を放っているように見えた。少女は風で流れていく髪を適当に後ろで一纏めにし、一度ゆっくりと深呼吸をした後、緊張を抑えるかのように手を胸に当てる。


「ここが英雄達の住む街──アルカン」


 期待と緊張が混ざったような、そんな少し震えた声で、一人小さく呟く。少女は自分の頬を二度叩き、先程からこちらをぼーっと見ている門番らしき男の元へと歩いていく。その男は門番小屋にある机に肩肘を付き微動だにしない。少女が目線を横に動かすと、机の上に酒瓶とつまみのような物が置かれているのが見えた。まさかとは思うが、仕事中にお酒を飲んでいたのだろうか。そんな事を少女は考えてしまう。ある程度近づくと、ようやくその門番らしき男は上体を起こし、締まりのない顔を少しだけ引き締めた。


「ようこそアルカンへ。んで? 嬢ちゃんは一体この街に何しに来たんだ? 知らねぇって事はねぇと思うが、この街は三つの大国に囲まれてる。つまりよぉ、いつ戦争に巻き込まれてもおかしくねぇって訳だ。別に特産物もねぇし、観光目的なら帰った方がいいと思うぜ?」


 門番にしてはヤケに砕けた口調でそんな事を言ってくる。やはりこの男、酒を飲んでいるようだ。顔は若干赤ら顔で、口から酒独特の香りが漂っている。本当にここがあの有名なアルカンなのだろうか。そんな疑問が少女の頭をよぎる。酒の匂いに少女は一瞬顔を顰めたが、難癖付けられて街に入れなくなっては困ると思い、表情を戻し、出来るだけ笑顔を心がける。


「この街にいると言われている賢者様に会いに来ました。ご存知でしょうか」

「んあ? お前さん、あいつの客か? だったらまぁ問題ないか。ほれ、入れ入れ」


 そう言って男は座っていた椅子から腰を浮かせ、手招きしながら少女を入り口の方へと案内をする。


「えっ? あの……通行料とかは」

「別にいらねぇよそんなの。あーでもあれか、金取れば酒代ぐらいにはなるのか。どーすっかなー」


 男はぶつぶつと呟きながらあーでもないこーでもないと、腕を組みながら一人考えている。そんな男の姿に少女は困惑したが、余り難しいことは考えず、一旦頭を切り替えることにした。


「あっあの! 賢者様の事について聞きたいのですが、先程の言葉から、もしかして居場所をご存知なのでしょうか」

 

 未だに考え事をしているその背中に声をぶつけると、男は組んでいた腕を解き、少女の方へと振り返る。


「まぁ、あいつは有名だからなぁ。この街であいつを知らねぇ奴は殆どいねぇよ。ほら、あそこに白くて大きな時計塔が見えるだろ? 嬢ちゃんが会いたい賢者様ってのはあそこに住んでる男の事だろうよ」


 男が指差すその先には、確かに大きな時計塔があった。他の建造物よりも明らかに高いそれは、この街の象徴とでも言うかのように、堂々とそびえ立っていた。


「あそこに、賢者様が……」

「もし会いたいならあそこを目指せばいい。中にも簡単に入れる筈だぜ? 普段から結構人の出入りはあるしな。通行料はやっぱいらねぇからとっとと行きな」


 そう言って男は少女の背負うバッグを押し、街の中へと入れる。少女は突然の事で若干足元をふらつかせるが、押された力を利用し、よたよたとしながらも前へと進む。


「一応、もう一回言っておくか」


 少し先まで進んだ少女の背中に向かって男が呟く。


「ようこそ。俺たちの街──アルカンへ。この街では、君が君らしく居られる事を保証しよう。だから、存分に楽しんでくるといい」


 そう男が口にした瞬間、時計塔から正午を知らせる鐘の音が街全体に鳴り響いた。まるで、少女の事を歓迎しているかの様に。その音を聞いた少女は胸に込み上げてくるものを感じた。自然と緩んでしまった口元を必死に引き締め、後ろを振り返る。


「私っ! チロって言います! 道を教えていただき、ありがとうございました!」


 そう言ってお辞儀をすると、男はまるで追い払うかの様にシッシッと手を振る。まだ出会って間もないが、その変わらない態度にどこか『らしさ』の様なものを感じた少女は、引き締めた筈の口元をまた緩める。そして時計塔の方を向き、今度は振り返る事なく真っ直ぐ歩いて行った。その様子を見届けた男は誰に向けるでもなく一人ごちる。


「まさかあんな普通の嬢ちゃんがこの街に来るとはねぇ」


 そうして、男は頭をぽりぽりと掻きながら門番小屋へと戻っていった。


 薄桃髪の少女はまだ知らない。この街の本当の姿を。これから身に降りかかる事になる沢山の問題を。


 英雄達の住む街アルカン。それは、この街の実情を知らない者にとっての呼び方でしかない。街に長く住む者、あるいは、この街をよく知る者達はこう言う風に呼んでいる────











 ────『変人達の楽園、アルカン』と

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