第3話 ヴァミリア・スカーレット

 クルルの口から出たその人物の名前にチロは耳を疑った。それも仕方がない事だろう。なぜなら──


「あのー、もしかしてなんですけど、その……ヴァミリア・スカーレットさんって、『炎鬼』の事じゃないですよね?」


 ──『炎鬼ヴァミリア・スカーレット』


 それは、この大陸に住む者であれば誰もが知っている名前である。アルカンの西に位置する大国、『ドレンシア』の軍人であり、数多の戦場を駆け武功を挙げた炎の魔法使い。その見た目の美しさと鮮烈な偉業の数々から、敵国の中にもファンがいるという。


「そんな風に言う人もいるね」

「なんでドレンシアの英雄がここにいるんですか!?」

「ちょっとした事情があってね。……あぁそうだ、一応言っておくけど、彼女の前で炎鬼って言わないようにね。その名前、あまり好きじゃないみたいだから」

「そうなんですか? 強くてかっこいい名前だと思うんですけど……」


 炎鬼の名前は名声であり、象徴だ。別に悪名と言うわけでは決してない。故にその称号を誇る事はあっても嫌がる要素は何処にもないのだが……。チロは納得いかず、首を傾げる。


「どうやらその強くてかっこいいのがダメらしい。彼女も年頃の女性だから色々あるんだろう」

「そういうものなんですかね?」

「そういうものらしいよ。……さて、ここでずっと話しているのもアレだしさっさと行こうか」

 

 二人は先ほどクルルが鍵を取りに行った道とは反対側にある階段を降り、一階の通路から外に出る。すると目の前には時計塔とはまた違った大きな建物が二つ、左右に並んで建っていた。どちらも豪華な作りをしているが、左の建物は貴族の豪邸の様な作りをしており、右の建物はドームの様な形をしていた。クルルがドーム状の建物へと進んでいくのを見て、チロもそれについて歩く。


 ドームには扉の様なものはなく、代わりに中に入る為の大きなゲートがあった。二人はゲートを潜り、前へと進む。途中、また爆発音が聞こえて来る。その音が先程よりも大きい事から、目的地が近いことが分かる。


 通路を抜けるとそこには巨大な空間が広がっており、外側には観客席の様なものがズラリと並んでいる。そしてその真ん中には、一人の人間が腕を組み、堂々と立っていた。燃えるような赤い髪と鋭い眼光をした、スーツ姿の美しい女性。間違いなく彼女が、かの有名なヴァミリア・スカーレット本人だろう。


 彼女の足元には大きく抉れた地面と、倒れ伏す複数の生徒らしき人間が転がっていた。先程の大きな爆発音はこれらが原因なのだろう。


「こんなものか貴様ら! それではいざ戦争が始まった時、ドレンシアのクズどもを血祭りにあげる事なぞ、夢のまた夢ではないか! さぁ立て! 立って限界を超えろ! 限界の先にだけ人の成長はあるのだ!」


 しかしその言葉に答える生徒はいない。それもそのはず、どう見ても全員気絶しているのだから。


「いやいや、ヴァミリア君。彼らはもう気絶しているからね。そろそろ許してあげたらどうかな?」


 クルルは仕方なく、ヴァミリアへと近づき話しかける。


「これはこれは学園長。こちらに来るとは珍しい。本日は如何されましたか?」

「ちょっとした見学だよ。この子のね」


 そう言ってクルルは、自分の背中に隠れているチロを引っ張り出し、横に立たせる。


「そうでしたか。初めましてお嬢さん、私はヴァミリア・スカーレット。ここで教師をしている」

「ははははいっ! 初めまして! チロって言います!」

「あぁ、よろしく頼むよ」


 そう言ってヴァミリアは微笑み、手を差し出した。


「えっと、その……」

「ん? あぁ、握手のつもりだったのだが、突然すぎただろうか?」

「いっ、いえ大丈夫です! ありがとうございます!」


 チロは勢いよくヴァミリアの手を握る。それでヴァミリアは満足したのか「うむ」と言ってうなずいた後、ゆっくりと手を離した。


 チロは先程まで握られていた手に目をやり、ぼーっとする。その様子を見たクルルはヴァミリアの方へ向き直り話しかける。


「彼女は今日この街に来たばかりでね。折角だから塔の中を色々と案内していたんだ」

「そうでしたか」

「すまないねヴァミリア君。彼女が男だったら、真っ先に君に紹か──」


 その言葉を最後にクルルは突風と共にチロの前から姿を消した。そしてその状況に困惑するチロの後方から爆発音が響く。恐る恐る後ろを振り返ると何故かクルルのようなものが瓦礫に埋まっていた。チロは目線を前に戻すと、そこには手のひらを広げているヴァミリアの姿があった。


「ええええええええっ!? えっ? ちょっと! 何やってるんですか!?」

「すまない。どうやら手が滑ってしまったようだ」

「いやどう見ても故意じゃないですか!?」

「ふむ……たまにはそういう事もあるだろう」

「ないですよっ!?」


 突然の状況にチロは先ほどまでの緊張を忘れ、ヴァミリアにツッコミを入れる。


「早く助けに行かないと!」


 急いで瓦礫の山に駆け寄ると、クルルは何事もなかったようにその中から出てくる。


「え? 無傷?」

「間一髪だったけどね。あぁそれと、あまり彼女を責めないでやってくれ。僕が余計な事を言ってしまったのが原因なんだ」

「そうなんですか?」

「あぁ。実は彼女、婚期──」


 今度は目の前で爆炎に包まれるクルル。どう考えても焼死体コースである。


「クルルさぁああああぁぁぁぁんんんん!!!!」

「すまない。また手が滑ったようだ」

「そんな手の滑り方あるわけないじゃないですか! えっ? 何です? もしかしてクルルさんを殺したいんですか?」

「ハハハ、ソンナワケナイダロウ」

「全く感情が込もってない!?」


 チロが詰め寄り抗議すると、ヴァミリアは目を逸らしながら片言で言い訳をする。爆煙が収まり始めると、中から先ほどと同じように無傷のクルルが姿を表した。


「いやぁ、間一髪だったよ」

「こっちはこっちで意味不明ですけどね!? なんで毎回無傷なんですか!」

「運が良かったのかも知れないね」


 クルルのそんな言葉にチロはジト目向ける。


「あっうん、冗談だよ。だからそんな怖い顔で睨まないでくれると嬉しいな。えーとなんて説明したらいいかな。簡単に言ってしまえば、このドーム内にいる人間には常時、防御魔法がかかる仕組みになっているんだ。まぁ本人の魔力量に左右される部分もあるけどね」


 そう言ってクルルは、周囲に転がる生徒達に目をやる。


「へぇ、そんな仕組みがあるんですね。でもどうしてヴァミリアさんは、クルルさんに魔法を撃ち込んだんですか?」


 チロがヴァミリアへとジト目を向けるが、ヴァミリアは全く動じない。それどころか、腕を組み堂々とした立ち姿である。


「魔法の練習だ」

「まぁ、言いたくないのならいいんですけど……。じゃあ別の事を聞いてもいいですか?」

「ふむ、なんでも聞くといい」

「先程生徒たち? ですかね。そこに転がっている人たちに向かって『ドレンシアのクズども』って言っているのが聞こえたんですけど、ヴァミリアさんって確かドレンシアの軍人さんでしたよね。あの国で何かあったんですか?」


 その質問を聞いたヴァミリアは渋い顔をし、ポツリと呟く。


「質問があまり変わっていないのだが……」

「え?」

「いや、なんでもない。そうだな、他の者から誇張した話を聞かされても困るし、私の口から説明するとしよう。少し長くなるかもしれないが、付き合ってもらえるだろうか?」

「はい」

「とは言ったものの、どこから話すべきだろうか……君は二年前に休戦協定が結ばれたのは知っているか?」

「確か、三大国で交わされた協定でしたよね?」


 三大国とは、『ドレンシア』『グリマゼンタ』『ロイエブール』と呼ばれる、この大陸で最も勢力のある国々の総称である。


「その通りだ。当時順番ではあるが、我々軍人も休暇を頂くことになってな。私はその休暇を利用して、久し振りに実家に帰ることにしたのだ。家は大騒ぎだったよ。なんせ私は軍に所属して以来、一度だって家に帰った事はなかったのだからな。すぐに宴会の準備がされ、夜遅くまで家族で話をした」


 その時の事を頭に思い浮かべているのだろう。ヴァミリアは目を閉じ、時々口元に笑みを浮かべながら話をする。


「まぁ、途中からは私と母の二人だけになってしまったのだがな。父は慣れない酒を飲んだせいか、テーブルに突っ伏して寝ていたよ。私は酔い潰れた父が風邪を引いてしまわぬよう、肩を貸し寝室まで運んだ。そんな時、寝ぼけた父がポツリと呟いたんだ」

「え……」


 ヴァミリアは言葉を区切り、体を僅かに震わせる。その様子を見てチロは息を飲み、話の続きを待った。


「──孫の顔が見たい、そう言った」

「え?」


 チロの口から先程とは違うトーンで同じ言葉が漏れた。


「ふふ、驚いたか?」

「いえ、もっと深刻な話だとばっかり……」

「何を言う。とても深刻な話ではないか」

「いや、そうかも知れないですけど! 今の感じだと絶対違うのが来ると思うじゃないですか! 父親が重い病気を患っていたとか、そういうの想像してましたよ!」

「ふむ、そういうものか? まぁいい、とにかく私は今回の帰省で親不孝を実感していてな、幸い私も幸せな家庭というものにも興味はあったし、何とか望みを叶えてあげたいと思ったのだよ。だが悲しい事に私は今まで恋愛をした事が無かった。そしてどうアプローチしたものかと迷った挙句、私は、私が最も信頼していた軍の仲間たちに相談する事にした。しかし、そんな私に向かってヤツらはこんな事を言った」


 そう口にした瞬間、大気が震えた。通常では考えられないほどの膨大な魔力がヴァミリアから広がり、地面に亀裂を作る。


「──『お前みたいなオーガに貰い手なんているわけないだろ』と」

「ひいっ」


 真っ赤な髪を逆立たせ、血走った目でチロを睨みつける。その姿はまるで──物語に出てくるオーガそのものだった。


「私はショックを受けたよ。私のようなか弱い乙女に向かって『オーガ』などと言ってのけたのだからな。そして私はショックのあまり──軍を半壊させた」


 か弱い乙女とは? そんな疑問符がチロの脳内に呼び起こされるが、それを口に出すことはしない。何故なら怖いから。


「そして私は上層部から反省しろと怒られることになり、軍の機能が回復するまでの間、罰として王立学校で教鞭を執ることになった。最初は渋々だったのだが、思いのほか私に合っていてな、受け持った生徒が成長していく姿を見るのは、すごく誇らしく、温かい気持ちになれた。まるで、自分に子どもでもできたみたいだったよ」

「ヴァミリアさん……」


 笑顔で話すヴァミリオを見て、チロは微笑ましいものでも見るかの様な表情を浮かべる。


「それに、合コンし放題だったしな」

「ヴァミリアさん……」


 笑顔で話すヴァミリアを見て、チロは可哀想なものでも見るかの様な表情を浮かべる。


「当時の私は、軍から離れている間に結婚までこぎつけようと必死だったのさ。しかし、その野望は儚く散ることになる。ヤツら──軍のクズどもが、私が軍を半壊させた事を言いふらしていたのだからな。折角合コンをしても、相手の男どもは私を恐怖の目で見てくる。そんな状況だ、同僚から誘われる回数も次第に減り、出会いも無くなっていった。そして焦った私は──自分の生徒に手を出した」


 唐突なヴァミリアの発言にチロは固まる。


「え? 嘘ですよね?」

「ふふっ、こんなことで嘘はつかんさ」

「嘘であってほしかったですよ!? なんで少し顔を赤くして嬉しそうにしているんですか! さっき自分の子どものみたいとか言ってたじゃないですか!」

「例え子どもでもお〇んちんは付いている。何も問題はないはずだ!」

「問題だらけですよ! あと、唐突に下ネタ言わないでください!」


 チロは頭を抱え「英雄のこんな姿を見ることになるなんて」と、ぶつぶつ呟いている。 


「その後、現場を差し押さえられた私は国に居場所がなくなり、ここに移り住むことになったのだ」

「あぁ、よかったです。子どもは無事だったんですね。心に傷を負ったかもしれませんが……」


 チロは小さな声でつぶやく。


「どうだ? 酷い話だろう?」

「えぇ、酷い話でした」


 チロは皮肉を込めてそんな事を言うが、ヴァミリアにはうまく伝わっておらず、うんうんと頷いていた。


「話は終わったのかい?」


 いつの間にか姿を消していたクルルが入口のほうからやってくる。


「……どこに行っていたんですか?」

「生徒たちを運んでいたんだよ。それで? ヴァミリア君から話を聞くことはできたのかい?」

「えぇ、まぁ……」


 チロはクルルから視線をそらしながら返事をした。

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クルルの時計塔 春野霖 @haru-no-nagame

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