第3話
「
ランチ中、ふと
「どういうことですか」
「最近、神谷さんがおかしいんだよな。今までは静かなるOLっていう感じだったんだが、なんか心ここにあらずというか、何というか」
「あー。それは僕も感じてます」
「特に、お前と打ち合わせるときが一番おかしい」
白石は、皿のミニトマトを口の中に放り込み、箸でびしっと中川を指してきた。
「なんかあっただろ、神谷さんと」
「そんな。心当たりはないですよ」
中川はとっさに嘘をついた。
心当たりはあった。あの日から、神谷が中川を避けるようになったのだ。もちろん、同じチームなので、打ち合わせなどでは一緒に仕事をする。しかし、目線はあまり合わせてくれない。
「俺は、神谷さんがお前に気があると見たね」
そんな爆弾発言に、中川の思考は海から引き揚げられる。思わず自分の先輩を凝視した。
「恥ずかしいんだよ。だってそうだろう、手が触れれば頬を染める。お前を避けるようにしている。知ってるか。神谷さん、すごいお前のことちらちら見てるぞ」
「本当ですか」
「そうだとも。あれは恋する乙女の顔だぜ。俺が言うんだから間違いない」
気づかなかった。自分は見られていたのか。そう言われれば、神谷の挙動も頷けなくもない。
「どうしたらいいですかね」
「なんだ、お前、神谷さんのことは好みなのか」
「そういう訳じゃないですけれども、あんまり人からそういう気を持たれたことなくて」
白石は渋い顔で中川を見た。中川は顔を背ける。
神谷は、愛想はよくないがあれでいて顔は悪くない。社内にも一定のファンのような者もいる。なるほど、そういう女性から気を持たれれば、お堅い中川はどうしていいかわからないのだろう。
「どんと構えろ。男なら仕事ぶりで気を引いてやれ」
先輩風を吹かせて白石は言った。
「今の相手は、エサに食いつこうか迷ってる魚だ。だからそこでお前がしっかりこの仕事を完結させるんだよ。そしたらグッと竿を引け。釣りの鉄則だろ」
中川は意味を理解したのか、神妙な顔で頷いた。どうやら自分の後輩は、こういうことは奥手らしい。
終業のチャイムが鳴った。
社員が一斉に退社を始める。中川もさっさと帰る用意をした。
ふと自分のデスクの正面を見ると、神谷の席が空席になっている。先ほど席を立ったきり、戻ってきていない。
どうしたんだろう。そんな気持ちで、工場の大通りへ出た。
家路に着く社員の流れに乗っていると、
「神谷さん、休憩ですか」
神谷はベンチに座って足を組んでいた。作業着ズボンなのに、なんとなく足のシルエットが見えるようだ。ベンチの座板に両手を突っ張り、右手の指には
「中川さん。いえ、私はサボりです」
そう言ってついと向こうに顔をそむけた。よくは見えないが、なんとなく耳が赤らんでいる気がする。
「ここ、座っていいですか」
中川はそう言ってベンチの空きスペースを指さした。
「ご自由に」
神谷はそういうと、タバコを唇で摘まんだ。おちょぼ口をすぼませて、口笛を吹くようについついと煙を吸う。
「神谷さん、タバコ吸われるんですね」
初めて知った事実は、中川にとって意外だった。しかし、短いタバコをキセルを吸うかのようにちびちび吸う様子は、どこかかわいく、そしてきりっとした神谷の姿に似合っていた。
「気分を変えたいときに吸うんです」
「何か嫌なことでもあったんですか」
一瞬沈黙。どうやら神谷としては口が滑ったらしい。考えるように言葉を濁した。
「別に。なんとなく気分を変えたいときってあるでしょう」
「そうですね」
そう言いながら喫煙所に漂う匂いをすくう。タバコ特有の香ばしい匂いがする。その中に若干の甘い香りもあることに気が付いた。
「どの銘柄を吸われるんですか」
そう聞かれて、神谷はおもむろに胸ポケットから黒い小箱を取り出した。表面には特に何も書かれていない。
「私の家の近くでタバコを作っているところがあって。そこの特別ブレンド品です」
「タバコの特注ってことですか。紙巻タバコでそういうのは珍しいですね」少なくとも、中川は聞いたことはない。
「別に珍しくないですよ。インターネットとかにもそういうサイトありますし」
そう言って神谷はまた一口タバコを吸いこんだ。
「いいなあ。その箱見せてもらってもいいですか」
神谷の新しい一面を見た気がして中川は思わず身を乗り出した。神谷は押し込まれるように体を引いた。赤い顔で中川を一瞥すると、ふーっと白い煙を吐き出した。
「うっ」思わずむせてしまう。
「もうお帰りなのでしょう。私も帰ります。よう気な季節です。体調を崩さないようにお帰り下さい」神谷はいそいそと携帯灰皿をしまうと、そそくさと立ち去っていった。
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