幕間 ~『リザと師匠のアンジュ』~
魔法協会。数十万人の魔法使いたちを統べる強大な権力機構であり、その軍事力と資金力は王国、帝国、共和国の三大国家にさえ匹敵する。
魔法協会内部の地位は明確に定められており、下級魔法使いから始まり、中級、上級、そして賢者と繋がり、すべての魔法使いたちの頂点に君臨する大賢者へと至る。つまり大賢者であるリザこそが、数十万人のトップであり、魔法使いなら誰もが憧れる頂きの存在だった。
「大賢者様、よろしいでしょうか?」
「どうぞ」
執務室で仕事をしていたリザの元に、部下の賢者が訪れる。怜悧な瞳と、女性なら誰もが振り向くような堀の深い顔立ちは、魔法協会一の美丈夫だと評価する者も多い。
「賢者ジルバート推参致しました」
「相変わらず堅苦しいわね。もっとフランクでもいいのよ」
「大賢者様と話せるだけでも私の身には過ぎたる光栄。どうかこのままとさせてください」
「ふふふ、仕方ないわね」
リザは柔和な笑みを浮かべる。彼女の美貌は部下の心を虜にする。美丈夫のジルバートでさえも例外ではなく、息を呑む間も忘れるほどに見惚れてしまう。
「ジルバート……」
「は、はい。なんでしょうか、大賢者様」
「頼んでいた件だけど……どう? 見つかった?」
「残念ながらまだ……」
「そう……ありがとう」
リザは残念そうに眉を落とすと、ジルバートに退室の許可を与える。誰もいなくなった執務室で、彼女は目尻から涙をポロポロと零し、手元の書類に染みを作る。
「ぐすっ……っ……」
部下には見せられない泣き顔。ジークがリザの元を去ってから何度も鏡で見た顔だった。その頬はジークを失ったショックでやつれ、かつての彼のように腕も一回り細くなっていた。
「ジークの作ったコロッケが食べたい……うっ……どこに行っちゃったのかな……やっぱり私のこと、嫌いになったのかな……」
リザはジークが作ってくれた好物のコロッケを思い出す。二人で食べた懐かしい味を思い出し、彼女の涙は勢いを増す。
「ぐすっ……こんな時、師匠がいてくれたら力になってくれるのに……」
リザは壁に掛けられた一枚の肖像画に視線を送る。そこには幼き頃のリザと、まだ青年だった頃のジーク。そしてローブ姿の妙齢の美女が並んで立っていた。
女性はリザたちの師匠であり、名をアンジュといった。アンジュはリザと同じく大賢者の加護を持ち、最高の魔法使いとして世界に名を轟かせていた。そんな彼女のことをリザは尊敬し、本当の母親のように慕っていた。
しかしある時、アンジュは大賢者の座をリザに譲って行方をくらませた。リザは魔法協会の組織力を使って捜索したが、結局発見することができなかった。しかしアンジュと繋がる手がかりはゼロではない。彼女は一枚の置手紙を残していったのだ。
『自分を超える魔法使いを見つけるための旅に出る』
リザはその置手紙の内容を『リザがアンジュを超えた時、再び会いに来る』と暗に伝えているように感じた。それから彼女はアンジュと再会するために途方もない努力を重ねてきた。しかしまだ師を超えたという実感は得られていなかった。
「思えば私の我儘に付き合ってくれていたんだよね」
ジークはリザの夢を手伝うために、同じ魔法使いの道を選んでくれたのだ。悪いことをしてしまったと、彼女は軽い自己嫌悪に陥る。
「ジークは魔力が少ないし、女神の加護にも目覚めていなかったけど、多才な人間だった。料理もできるし、何より魔法の知識量は私以上だった」
魔法は魔法術式と呼ばれる演算を脳で処理することで発動する。魔力はこの演算処理に必要なエネルギーであり、注ぐエネルギー量が多いと発動する魔法の威力が大きくなる。一方、魔法の種類は魔法術式の知識量に応じて増加する。ジークは魔法を発動するための魔力量こそ少ないものの、魔法の多様性を左右する知識量だけならリザ以上だった。
「思えば大賢者級の魔法術式を覚えたのもジークの方が早かったのよね。もっとも魔力量が少なすぎて発動できなかったけど」
魔法には下級・中級・上級・賢者級。そして最高位の大賢者級の五種類が存在し、上位等級の魔法になればなるほど、覚えなければいけない魔法術式は難解になり、要求される魔力量も大きくなる。
特に大賢者級魔法ともなれば『物体を自由に持ち運び可能な空間に収納できる空間魔法』や『どこへでも一瞬で移動できる転移魔法』など人を超え、神に匹敵する奇跡を発現することさえ可能になる。
「もしジークが魔法の知識を活かせる仕事、例えば魔法の研究者にでもなればきっと頭角を現す。そうなれば手の平を反すように、女の子が群がってくるはず……ぐすっ……やっぱり、やだ……他の人に取られたくない……」
リザは目尻に浮かんだ涙を拭うと、充血した瞳で一枚の手紙を見据える。そこには『特別に許してあげるから、私の元へ帰ってきなさい』と記されていた。
「駄目よ、こんな手紙じゃ。絶対にもっと嫌われる」
リザは没にした手紙を破くと、再びペンを取る。ジークへの謝罪と素直になれない気持ちの間で心を揺れ動かしながら、文をしたためるのだった。
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