第一章 ~『目覚めた加護はポッチャリ系』~


「ここから聞こえたんだよな……あれはダークオークか」


 声のする方向に向かった先には赤土色の肌をしたダークオークが雄叫びをあげていた。ダークオークはオークの上位種族で、通常のオークよりも身体能力と知性が高い。


「エリスはいないが……そこにいるのはクロウか?」


 ダークオークの脅威から身を守るように、魔力の盾を展開している男がいた。彼は満腹亭でジークを馬鹿にした冒険者、赤髪のクロウだった。


「随分とボロボロにされたようだな」

「ぐっ、無能のくせに偉そうに……」

「一方的にやられているお前も十分無能だと思うが……」

「う、うるさい。相手がダークオークでなければ俺だって……」

「おい、前を見ろ!」


 ジークの呼びかけに反応してクロウが視線を前方へ向けると、眼前にダークオークの拳が迫っていた。彼は咄嗟に魔力の盾を強化し、衝撃に備える。ダークオークの拳が盾と衝突し、空気が割れるような音が響くも、盾はヒビが入るだけで何とか持ちこたえる。


「見たかぁ! これが銀等級冒険者の力だあぁ!」

「囮役と防御は任せた。攻撃は俺に任せろ」


 ジークは手の平に魔力を込めて、ゴブリンを倒した時と同じ炎の弾丸を放つ。炎はダークオークに直撃するが、傷一つ付けることができなかった。


「誰に攻撃は任せろだって?」

「すまん」

「ここにいても邪魔だ。さっさとここから離れろ」

「見捨てるようで悪いが、そうすることに――」


「お父さん、どこにいるの!?」


 ジークは鈴の鳴るような声が近寄ってくることに気づく。聞き馴染んだ声の主は茂みから顔を出し、ダークオークと顔を合わせる。


「オ、オーク……」

「ウギギギッ」


 ダークオークは新たな獲物を見つけたと、エリスを威嚇するように雄叫びをあげる。心の弱い者なら震えあがる脅威を前に、彼女はその場に倒れこむ。


 ダークオークは拳を振り上げ、エリスにその剛腕を振り下ろす。放たれた拳は無力なエリスを襲うが、拳はギリギリのところでクロウの魔力の盾により防がれる。しかし先ほどと違い、魔力の盾は衝撃によって粉々に砕け散った。


「クロウ、助かった」

「いや、まだ助かってねぇ。俺の魔法の盾はなくなった。もう攻撃を防ぐ手段がねぇ」

「クロウ……」

「俺も冒険者の端くれだ。時間を稼ぐから、そこの女を連れて一緒に逃げろ」

「いいや、逃げるのはクロウ、あんただ。俺が囮役をやる」

「何を馬鹿なことを……」

「いいや、これが最善だ。魔物の森には他にもダークオークがいるかもしれない。そんな時、エリスを守れるのはクロウ。あんただけだ」

「いいのか? たぶん死ぬことになるぞ」

「ああ。構わない」


 ジークは目を閉じて、一カ月前の出来事を思い出す。空腹で倒れていた自分を助けてくれ、生活する場所を与えてくれた。無能だと馬鹿にされ、生きることに絶望していた彼を救ってくれたのがエリスだった。だからこそ彼女のために命を賭けることに、ジークは何の躊躇いもなかった。


「……悪かったな」

「なにがだ?」

「無能扱いしたことだ……謝罪させてくれ」

「急にどうしたんだ?」

「……俺の仲間の冒険者たちは、俺を見捨てて逃げだした。でもあんたは逃げない。死ぬと分かっている戦いに挑める男が無能なはずないもんな」

「クロウ……」

「あの女は俺に任せろ。その代わり、お前は死んでくれ」

「ああ。頼んだぞ」


 クロウはエリスの手を掴むと、彼女を立ち上がらせる。そのまま手を引こうとすると、彼女は強い拒絶反応を示す。


「あ、あの、まだジークさんが……」

「あいつのことは諦めろ」

「そ、そんなこと……」

「悪いが無理矢理連れていくぞ!」


 クロウは手を引いて、エリスと共にその場を離れる。逃げていく二人をダークオークはジッと見据える。


「悪いが、お前の相手は俺だ」


 ジークは注意を自分に向けるために、炎の魔法をダークオークへと放つ。


「俺の魔法の威力だと注意さえ引けない。だが当たり所が悪ければ話は別だ」


 ジークは炎をダークオークの眼球に向けて放っていた。ゲンがオークにしたように、炎はダークオークの眼を焼き、苦悶の声をあげさせる。


「これで俺を無視できないだろ」


 ダークオークは燃える目を片手で押さえながら、もう片方の目でジークを見据える。ダークオークの頭の中は、ジークを排除することで一杯になっていた。


「グギギギギッ」


 ダークオークは怒りの遠吠えをあげると、拳を振り上げて、ジークへと振り下ろす。必殺の一撃が迫ってくるのを、彼は魔力の盾を展開して防御する。


 クロウが使ったのと同じ魔力の盾であるが、込められた魔力の量が違う。拳は魔力の盾を貫通し、術者であるジークを襲う。盾のおかげで威力が低減されたとはいえ、強烈な一撃を受けたジークは吹き飛ばされる。


「リザのパワハラがなければ死んでたかもな」


 ジークの身体から血が溢れ、肉体の至る所から悲鳴があがっていた。瀕死の状態になって初めて、リザのシゴキに感謝する。


「これで逃げる時間は得られたはずだ……どうだ、リザ。無能でもな。命を賭ければ、女の子、一人くらいなら助けられるんだ」


 ジークは薄らいでいく意識の中で、エリスを助けられた達成感に笑みを浮かべる。彼は死ぬことに後悔はなかった。視界に映る少女を見るまでは。


「ジークさん!」


 エリスが心配そうな顔でジークの元へと駆けよる。そんな彼女を追いかけるように、慌てたクロウも顔を出す。エリスがクロウを振り切って、ジークのために戻ってきたのだと察する。


「ジークさん、今、連れていきますから」

「に、逃げろ……」

「逃げませんよ。私たち、友達じゃないですか」


 エリスはジークを肩で支え、その場を後にしようとするが、ダークオークが逃がすはずもなかった。ダークオークは再び拳を振り上げる。命の危機が迫っていた。


『あなたって本当に無能ね』


 頭の中でリザのパワハラ発言がフラッシュバックする。彼女はいつもジークのことを役立たずだと馬鹿にしたが、このままエリスを助けられずに終わったのなら、彼女の言葉が本当だと証明することになる。


(お、俺は何もできずに終わるのか)


 ジークは悔しさで下唇を噛みしめる。血が滲み、彼の口の中が鉄の味で一杯になる。その時、彼の肉体の鼓動が早くなった。


(あれ? なんだろ、このひらめきは?)


 ジークの頭の中が満腹亭の料理で一杯になる。その料理はどれもが彼の大好物であり、頭の中の料理は眩しいほどの輝きを発していた。


(まさか、これ……俺の待ち望んだ女神の啓示か?)


 人は女神の加護に目覚めるとき、その前兆となる啓示を受け取る。頭の中に浮かんだご馳走こそが覚醒へと至る前兆だと、彼は確信する。


(エリスの弁当があったはずだ……)


 ジークはダークオークの拳を受け止めた時にエリスの弁当を地面にバラまいてしまっていた。その弁当に入っていた唐揚げが彼の足元に転がっているのを見つける。砂で汚れた唐揚げに彼は手を伸ばし、そのまま口の中に入れて咀嚼する。ガリガリという砂の音が響いた。


「エリス、料理が上手くなったな」


 唐揚げは砂が付いていても食べられるほどに美味しかった。ジークは唐揚げを味わうと、それを胃に送る。胃液が料理を溶かし、カロリーが身体を巡る。彼はその瞬間、万能感を全身で感じた。


「いまの俺は無敵だ」


 迫り来るダークオークの拳に手の平を向けると、ジークは魔力の盾を展開する。拳は盾と直撃するも、その盾には傷一つ付いていなかった。エリスは驚きで目を見開く。


「ジークさん、その力……」

「エリス、俺、加護に目覚めたよ」

「ほ、本当ですか!?」

「ああ。俺の加護は『デブになるほど強くなる加護』だった」

「は、はぁ……」

「魔力は身体に満ち、身体能力も誰にも負ける気がしない。例えば回復魔法を使えばこうなる」


 ジークは自分の肉体に回復魔法を使う。すると先ほどまで骨折していた骨が繋がり、傷は癒え、瀕死の肉体が瞬く間に完治する。


「ほ、本当に加護に目覚めたんですね!」

「疑っていたのか?」

「いえ、まさか、ポッチャリなほど強くなれる加護があると思わなくて」

「俺もいまだに信じられないが事実だ。ダークオークを倒して、この力の凄さをもっと見せてやる」


 ジークがダークオークと向き合う。ダークオークは先ほど魔力の盾で攻撃を防がれたことが悔しいのか、より勢いを乗せて拳を振り下ろす。しかしジークは余裕の表情を崩さない。向かってくる拳を掴み取り、そのまま握りしめる。メキメキと骨が軋む音が響くと、ダークオークは苦悶の声をあげる。


「魔力だけでなく、身体能力のテストもしないとな」


 ジークはダークオークの腕を掴んで間合いに入ると、そのまま勢いを乗せて足を払う。宙を舞うダークオークは、何が起きたのか理解できずに不可解な表情を浮かべる。


 だが疑問はすぐに答えを得る。ダークオークは視界を上下逆転させると、そのまま重力に従って頭を地面に衝突させる。必殺の投げ技を受けたダークオークは頭から血を流すと、淡い光と共に魔石へと姿を変える。


「ジ、ジークさん、あなたはいったい……」

「俺か? 俺はどこにでもいる定食屋のオッサンだよ」


 ジークは不敵な笑みを浮かべて、そう名乗る。その自信に満ちた表情は無能な男の顔ではなかった。

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