第一章 ~『ゴブリンとの戦い』~
エリスを追いかけ、ジークは魔物の森を訪れていた。薄暗い雰囲気の森は鳥の鳴く声が時折響き、不気味さを増長させていた。
「エリスはどこへ行ったんだ……」
魔物の森にいることは分かっているが、森は広く、簡単に見つけることはできない。
「あの茂み、揺れたような」
ジークがキョロキョロと周囲を見渡していると、眼前の茂みがカサカサと揺れる。もしかするとエリスかもしれないと期待していると、姿を現したのは、棍棒を装備した緑の肌色の小人――ゴブリンであった。ゴブリンは口元の小さな牙を剥き出しにして彼を威嚇する。
「ゴブリンの相手をしている暇はないんだが仕方ない」
ジークは手の平に魔力を集める。魔法を放つ兆候が光の奔流となり、ゴブリンは迫りくる脅威に怯えの表情を浮かべる。
ジークは魔力を魔法に変換し、炎の弾丸を放つ。放たれた炎はゴブリンに着弾し、緑の痩躯を燃やす。だが一撃では倒しきることができず、彼は追撃の炎を放つ。放たれた炎はゴブリンの身体を焼き、最後には魔物の命の結晶である魔石へと姿を変える。
「杖なしだとゴブリンでさえも一撃で倒せないのか……」
大賢者のリザならば一撃で倒せていた。そんな考えがジークの頭に過り、彼の心の中に悔しさがこみ上げる。しかし同時に違和感も覚える。
「俺の魔力量、増えてないか?」
今までのジークなら一度魔法を使うだけでも疲れてしまっていた。しかし今の彼は息一つ乱れていない。
「でもまぁ、気のせいか。この一カ月、寝て食べてしかしてないしな……」
ジークは気を取り直して魔物の森の探索を再開する。しかしエリスがどこにいるのか手掛かりさえ掴めない。
「エリス、無事だといいが……こんな時、リザがいてくれれば……」
大賢者のリザならば魔法で森の中を探索し、エリスがどこにいるかを見つけることも可能だ。
「だ、駄目だ。駄目だ。俺とあいつは喧嘩別れしたんだ。助けてくれるはずがない」
ジークは自分の力で探し出すしかないと迷いを振り払う。クリアになった頭でエリスを探そうと正面を見据えると、大きな影が視界に入る。影の正体はゴブリンと同じ緑の肌色をしているが、体は何倍も大きい巨人――オークであった。
「まさか本当にオークがいるなんて……」
原則として魔物は縄張りの外に出ることはない。ゴブリンはゴブリンの、オークはオークの縄張りがある。魔物の森はゴブリンたちの縄張りであるため、本来ならオークがいるはずがないのだ。
「オークは銀等級レベルの敵だったな」
ジークはゴブリンに放ったのと同じ炎の弾丸を放つが、オークはそれを躱そうとさえせずに被弾を受け入れる。炎はオークの表皮を焼くだけで、ダメージを与えることはできなかった。
「俺の魔法の実力ならこんなものか……」
ジークが小さくため息を吐くと、オークは禍々しい目で彼を見据える。その視線にジークも敵視するような視線を返す。場の空気が凍り、膠着状態が生まれる。
しかしその膠着状態も長くは続かなかった。我慢できなくなったオークが拳を振り上げたのだ。
(俺では躱せない……)
もう無理だとジークが諦めそうになった瞬間。風切り音が鳴り、矢がオークの瞳に突き刺さる。
オークは痛みに悲鳴をあげながら、慌てたようにこの場から逃げ去る。ジークは矢が飛んできた方向に顔を向けると、矢を構えたゲンが姿を現す。
「ゲンさん!」
「危ないところだったな。大丈夫だったか?」
「それはこっちの台詞だ。オークの出る魔物の森で、一人逸れたと聞いて心配していたんだぞ」
「それは悪かったな。だが心配は無用だ。なにせ俺は料理人としてだけでなく、狩人としても超一流だ。オーク一匹を撃退することなど造作もない。もっとも撃退はできても倒せはしないんだがな。ガハハハッ」
「ゲンさん、あんまり無茶しないでくれよ……いや、こんな話をしている場合じゃない。エリスが大変なんだ」
ジークはエリスがゲンを探しに魔物の森を訪れた経緯を説明する。一人娘が危険な場所にいると知り、ゲンの顔から血の気が引いていく。
「何とかして見つけないと。二人で手分けして探そう」
「ならこれを渡しておく」
「これは……弁当か?」
「エリスの捜索はもしかすると日が暮れても続けられるかもしれん。お前、朝から何も食べとらんだろ?」
「コロッケを食べようとしていたところでこの騒ぎだからな」
「腹が減っては動けなくなる。俺は腹がいっぱいだし、ジークが持っておいた方がいい」
「そういうことなら遠慮なく」
ジークが弁当を受け取ると、ゲンは小さく安堵の息を漏らす。その何気ない行動が、ジークにすべてを悟らせる。
「まさかこの弁当……エリスが作ったのか?」
「秘密だ」
「自分が弁当を食べたくなくて俺に渡したのか?」
「人の好意を疑うんじゃない。ただし返品は許さないからな」
「やっぱりそうじゃねぇか!」
ゲンに嵌められたことに悔しくなるが、エリスが頑張って作った弁当を捨てるわけにもいかず、腹が減った時にでも食べようと覚悟を決める。
「ゲンさん、声が聞こえなかったか?」
「微かにだが聞こえたな」
人の悲鳴に続くように、魔物の叫び声が魔物の森に小さく反響する。低い波長の声はジークの聞き覚えのない声だった。
「ゲンさん、この魔物の声、オークとは違うよな」
「ゴブリンでもない。なら――」
「オークより上位種の魔物がいるようだな」
「なぜそんなことが分かる?」
「推測だが、魔物の森にオークが出現しただろ。あれは第三の魔物がオークたちの住処を襲い、魔物の森に逃げこんできたからだ」
ジークはオーク以上の強敵がいると知りつつも、悲鳴の聞こえた方角へと走りだす。その背中にゲンが声をかける。
「お、おい、一人で行くな」
「ゲンさんは街で冒険者を呼んできてくれ。俺はエリスがいないかだけ確認してくる」
「そんな危険なこと……」
「エリスのためだ。それにエリスがいなければ、すぐに返ってくる」
「……分かった。無事で戻って来いよ」
ジークはゲンと離れて、一人で脅威のいる場所へと向かう。恐怖で手が震えるが、そこにエリスがいるのなら、相手がどれだけの強敵だとしても逃げるわけにはいかなかった。
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