第一章 ~『コロッケを作れる男』~
ジークが満腹亭で働き始めてから一カ月が経過した。調理は最初から上手くこなすことができたが、接客は不慣れだったために戸惑うことも多く苦労もしたが、一カ月の月日が彼に不得手を克服させていた。
「いらっしゃいませ」
「ジークは今日も元気がいいな」
「ありがとよ」
「調理の方も頼むぜ。お前の料理目当てで、わざわざ隣町から来ているんだからな」
ジークの活躍もあり、満腹亭は今まで以上に繁盛していた。旨い料理に看板娘。賑わう店内は、ジークの日々を充実させた。
「ふぅ、ピークは過ぎたな」
「お疲れ様です」
客の昼飯時を過ぎ、店内から客がいなくなる。ジークは椅子に背中を預けて身体を休めていると、エリスがお茶を淹れてくれる。
「ありがとう。旨い茶だな」
「私、お茶を淹れるの得意なんです」
「料理はあんなに下手なのにな」
「だから私は料理が苦手じゃありませんよ。ただ調理すると創作料理になるだけです」
「認めようとしないのは変わらないな」
「ジークさんは変わりましたけどね……体重、倍になったんじゃないですか?」
「うぐっ」
触れれば折れそうだった細身の肉体は、脂肪の鎧に覆われ、豚のように丸々とした身体に変化していた。
「俺が太ったのはエリスのせいでもあるんだぞ」
「私のせい?」
「エリスがたくさん食べるから、食事量を合わせて太ってしまったんだ」
「やだなー、私と同じ食事量なら太るはずありませんよ。なにせ私、小食ですから」
「お茶碗十杯のご飯をペロリと完食する奴が小食なはずあるかよ」
「いえいえ、小食ですとも。その証拠にほら」
エリスは上着を捲り、クビレたお腹を見せつける。シミ一つない白磁の肌には、余分な脂肪が一切ついていなかった。
「わ、分かったから。肌を隠せ」
「あら? ジークさんって案外ウブなんですね」
エリスのお腹を見たジークは顔を真っ赤に染める。少年のような純粋な反応に、彼女は少々驚かされる。
「俺はウブじゃない」
「でも顔が真っ赤ですよ」
「これは過去のトラウマのせいだ」
「トラウマ?」
「幼馴染と海に遊びに行った時のことだ。水着姿の女性がたまたま視界に入ってな。そしたらあいつ、『水着の女性に見惚れるなんて最低』と、俺のことを魔法で攻撃してきやがったんだ」
「それは恐ろしい目に遭いましたねー」
「いいや、話はそれだけで終わらないんだ。俺は反省して、水着を見ないように努めたんだ。そしたら今度は『私の水着……見たくないの……』と、突然泣き出したんだ。周囲から向けられる白い目が辛くてな。それ以来女性の肌を見ると、あの時の嫌な思い出が蘇って、拒否反応が出るんだ」
「ジークさんも苦労したんですね」
「色々とあったからな」
「でも辛い過去を思えば、太ったことなんて些細なことですよ。むしろ健康的でよろしいじゃないですか」
「ポジティブに捉えるとそうだな」
「それに体重だけでなく、料理の腕も上がってますよね。お父さん、ジークには敵わないと褒めてましたよ」
「いやいや、ゲンさんと比べればまだまださ……あれ? そういやゲンさんは?」
「魔物の森に行きましたよ」
「いつもの採集か」
満腹亭では近くにある魔物の森で食材を調達していた。ただし一人で魔物と戦うのは危険なため、同じような飲食店経営者たちが、パーティを組んで、森に採集へ向かうのだ。
「美味しい魔物が採れるといいな」
「ですね」
ジークはそう期待するものの、難しいことを知っていた。なぜなら魔物は強い魔物の方が美味しい食材であることが多く、弱い魔物の代表格であるスライムやゴブリンも食べることはできるものの、味は上位種のキングスライムやオークと比べると格段に落ちてしまう。そしてゲンたちが向かった魔物の森は下位種族の魔物しか出ないエリアだった。
「朝から出発したんだよな」
「はい。いつもなら帰ってくる時間なのですが……」
「食材を採るのに夢中なのかもな……腹も減っているだろうし、何か作っといてやるか」
「なら私、コロッケが食べたいです」
「おう。任せておけ」
ジークは潰したジャガイモと合い挽き肉を混ぜ合わせ、丸い形に成型すると、小麦粉をまぶして油で揚げる。小麦色にあがっていくコロッケが店内を食欲を誘う匂いで満たしていく。
「旨そうな匂いがしたんだが、やっているかい」
コロッケの匂いを嗅ぎつけて、五人の冒険者が満腹亭に入ってくる。魔法の杖を剣のように腰に差し、動きやすいように軽装防具を身に着けている。
(中央の男がリーダーかな)
五人の中で身体から発する魔力と態度が最も大きいのは赤髪の若い男だった。髪と同じ朱色の防具を身に纏い、赤い瞳でジークの顔をジッと見ている。
「あんた、どこかで会ったことないか?」
「初対面のはずだ」
「いいや、絶対にどこかで会っている……」
「だから初対面だと」
「思い出した! もしかしてあんた、無能のジークか? 太っていたから分からなかったぜ」
赤髪の男がジークの名前を口にすると、仲間の四人も彼の正体に気づいたのか、ニヤニヤと笑みを浮かべる。
「こいつが無能で有名なジークか」
「下級魔法さえ碌に使えないポンコツと聞いたぞ……」
「大賢者様のヒモなんだよな。羨ましい奴」
冒険者たちはヒソヒソとジークの噂話で盛り上がる。無駄に声が大きいせいで、その悪口のすべてが彼の耳に届いてしまう。
(見知らぬ人から無能扱いされるのはやっぱり辛いな……)
満腹亭での生活でメンタルを回復させたジークであるが、赤の他人に無能と噂されて何も思わないほどに心が強くなかった。
「なぁ、有名人。大賢者様と別れたと聞いたが本当なのか?」
「なぜそんなことが気になる。そもそもあんたは誰だ?」
「俺の名はクロウ。冒険者であり、大賢者様のファンの一人だ」
「あいつのファンねぇ」
リザはジークに対しては辛く当たったが、他の者に対しては聖女のように優しかった。さらに彼女の美貌は王国でも噂になるほどであり、魔法の腕前と合わさることで、多くの魔法使いたちが彼女の虜になっていた。
「別れたのが本当なら素晴らしいニュースだ。なにせ無能のあんたと大賢者様では不釣り合いだからな」
「俺は無能じゃない……」
「いいや、無能さ。なにせあんた、下級魔法さえ碌に扱えないんだろ」
「馬鹿にするな。二回に一度は成功する」
「ぷぷぷ、聞いたかよ、みんな。子供でも扱える魔法を、こいつは二回に一度は失敗するそうだぜ」
「ぐっ……」
「よければ俺が魔法を教えてやろうか?」
「結構だ」
「そう邪険にするなよ。お前も本当は料理人なんかより冒険者になりたいんだろ」
「そんなわけあるか……」
「嘘を吐くな。でも気持ちは分かるぜ。お前の実力じゃ銅等級が精々だ。活躍できない仕事に就いても楽しくないもんな」
「…………」
「一方、銀等級の俺はこれからオーク退治だ。オークを知っているか? ゴブリンの上位種で、俺のようなエリートにしか倒せない強敵だ。どうだ? 無能なお前では一生――」
「帰って頂けますか」
クロウの言葉尻を遮るように、エリスは怒りを含んだ声で店の扉を開ける。
「もう一度言います。帰ってください」
「おい、俺は客だぞ」
「それがどうかしましたか?」
「銀等級の冒険者にこんな態度を取ってタダで済むと思っているのか?」
「思ってますよ。あなたは自分の能力に大層な自信をお持ちのようですが、ジークさんの凄さを見抜けないようではたいした冒険者ではないでしょうから」
「ジークの凄さだぁ?」
「このコロッケを見てください。ジークさんはこんなに美味しい料理を作れるんですよ。あなたなんかより何倍も凄い人です」
「ただコロッケを作るのが上手いだけで俺より凄いだって。あのな、男の価値は強さで決まるんだ。料理ができるくらいじゃ、男の評価は変わらないんだよ」
「それはあなたがそう思っているだけです。でも私は違います。ジークさんが優秀な人だと信じています」
「ぐっ……」
「さぁ、帰ってください」
「チッ、二度と来ねぇよ」
クロウたちは悪態をつきながら店を後にする。店内は再び静寂を取り戻す。
「ふぅ~、怖かったですね」
「怖かったのか?」
「当たり前です。私、か弱い女の子なんですよ。でもジークさんが馬鹿にされたことを許せなくて、それで……」
「ありがとな。俺のために怒ってくれて」
「ジークさん……」
「嫌なことは忘れよう……おっと、こんなことをしている場合じゃない。折角の揚げたてコロッケが冷めてしまう」
「ふふふ、出来立ての内に一緒に食べましょう♪」
ジークたちは気を取り直して、コロッケを取り分ける。二人は対面の椅子に座りながら、皿に手を伸ばした。
「た、大変だ。大変だよ、エリスちゃん!」
満腹亭にさらなる来訪者が現れる。その男は常連客であり、ゲンと共に魔物の森へ採集に向かったパーティの一人だった。
「そんなに急いでどうしたのですか?」
「じ、実はゲンさんが魔物の森で行方不明に!」
「え? お父さんが?」
「パーティの他のメンバーが捜索を続けているが、まだ発見できてない。このままだと――」
「わ、私、探してきます」
エリスは最後まで話を聞かずに店を飛び出す。常連客の男は突然走り出したエリスに呆気に取られてしまう。
「ま、まずい。魔物の森は危険なんだ」
「ゴブリンやスライムが出るんだよな。確かにエリスがケガでもしたら一大事に――」
「違うんだ。ゴブリンしかでない魔物の森にオークが出たんだ。それでパニックになり、ゲンさんと逸れてしまったんだ」
「……エリスを連れ戻さないと!」
「お、おい、あんた!」
ジークは満腹亭を飛び出し、エリスの後を追う。下級魔法さえ碌に扱えない彼だったが、それでも安全なところでジッと待っていることなどできるはずもなかった。
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