第一章 ~『お粥とスライム』~
気を失ったジークが目を覚ますと、視界には見覚えのない天井が広がっていた。視線を下に移すと、自分が畳の上に敷いた布団の上で寝ていることに気づく。
「ここはどこだ……」
「良かったです。目を覚ましたのですね」
ジークが布団から起き上がると、心配そうな表情を浮かべるエリスと視線が合う。彼は彼女の顔を見て、何が起きたのかを思い出す。
「大食いにチャレンジして、気絶したんだよな」
「ご飯を食べて気を失うなんて、びっくりしちゃいましたよ」
「すまない。店にも迷惑だったろ?」
「いえいえ。お客さんあっての満腹亭ですから。ジークさんより大切な仕事なんかありません」
「エリス。ありがとな」
「ふふふ、どういたしまして」
「ゴホン」
急な咳払いが聞こえ、ジークは視線をそちらに向けると、頭にハチマキを巻いた巌のような男が、鋭い目つきで彼を睨みつけていた。
「あんたは……」
「俺はゲン。満腹亭の主人で、エリスの親父だ」
「似てない親子もいるもんだなぁ」
「エリスは母親似なんだ……もっとも病気で死んだがな」
「すまん。配慮が足りてなかった……」
「気にするな。エリスが生まれてすぐの話だ。それよりもお前たち、どういう関係だ?」
「ただの友達だが……」
「本当だろうな?」
「嘘を吐く理由なんかないだろ」
「……まぁいい。もし恋人ならすぐにでも追い出すが、友人ならば許してやろう」
「疑いが晴れたなら良かったよ」
「そうだ。気絶してから時間が経ったし、腹も減っただろ?」
「まぁな」
「ならいいものがある。ちょっと待ってろ」
ゲンは台所から一皿の粥を運んでくると、それをジークに手渡す。
「食っていいぞ」
「……もしかしてこれ、あんたが作ったのか?」
「おう。炒飯と唐揚げも俺の手作りだ」
「あの優しい味をこんなオッサンが……」
「お前も十分にオッサンだろうが!」
「冗談だ。頂くよ」
ジークは粥を掬うと、口の中に含む。カツオの旨味と米の甘さが口一杯に広がった。
「旨いだろ?」
「ああ」
「胃が荒れている時に食べる消化の良い粥は格別な味わいだからな」
ジークはゲンの食べる人間のことまで考えて料理する姿勢に、彼が一流の料理人であると再認識する。
「そういや気絶したのは持病か何かか? まさか食いすぎで気絶したってことはないよな?」
「直接の原因は大食いだが、一番の理由は長い時間、何も食べてなかったからだろうな」
「おいおい、飯を食わないと大きくなれないぞ……いや、そもそもオッサンに成長の余地はないか」
「一言多いんだよ……それに食いたくないから食わなかったんじゃない。食えなかったんだ」
「食えない?」
「実は……」
ジークは今までの出来事を振り返る。幼馴染の恋人が大賢者であることや、無能だと馬鹿にされたストレスで食事が喉を通らなくなったこと、そして帰る家や食事代もなく、縋るように大食いチャレンジに挑戦したことを話す。
「話は分かった。幼馴染の大賢者は酷い奴だな」
「そうですよ。ジークさんが可哀想です」
ゲンとエリスはジークのために憤る。自分のために怒ってくれることが、ジークは嬉しくて頬を緩める。
「よし決めた! ジーク、お前、ここで働け」
「え?」
「当面の生活資金が必要なんだろ?」
「冗談は止めてくれ。俺は無能だと馬鹿にされてきたんだぞ。そんな俺を雇う経営者なんているはずが……」
ジークは降って湧いたような採用を冗談だと受け取るも、エリスとゲンの真剣なまなざしから、それが本気なのだと理解する。
「本当にいいのか? 後悔するぞ」
「困っている奴を助けない方がもっと後悔する」
「……力になれるか分からないが、精一杯頑張るよ。これからよろしくな」
「おう、よろしくな」
「ジークさん、よろしくお願いします」
二人は笑顔でジークのことを受け入れる。彼は二人のためにも頑張ろうと内心で意気込んだ。
「ジークさんは接客や料理はできますか?」
「接客はしたことないから分からないが、料理は得意だ」
「お前、料理が得意なのか!?」
「まぁな」
「これはエリス以上の戦力になるかもな」
「お父さん、私も料理は苦手じゃないよ」
「馬鹿を言うな。あの味を客に出せるか。例えばさっき作っていた粥なんて酷い味だったぞ」
「粥って、まさか俺のために?」
「おう。ただあまりに味が酷いから俺が作り直したんだ」
「……そのお粥、まだあるのか?」
「あるにはあるが……」
「持ってきてくれ」
「構わんが……本当に食べるのか?」
「ああ」
ゲンは呆れながらもどこか嬉しそうにエリスの作った粥を取りに行く。ジークの傍にいたエリスもまた口元に小さな笑みを浮かべていた。
「私、ジークさんと友達で良かったです」
「なんだよ、急に?」
「ふふふ、幼馴染の大賢者さんは人を見る目がなかったんですね」
エリスの笑みには傷ついたジークの自尊心を回復させる力があった。パワハラでボロボロになった彼の心の傷が癒されていく。
「おい、持ってきたぞ」
ゲンがエリスの作った粥を運んでくる。温め直したのか、皿から白い湯気が立ち込めている。
「見た目は普通だな」
「でしょう!」
「食べてみろ。そうすりゃ、分かる」
「なら早速」
ジークは恐る恐る粥を掬うと、口の中に放り込む。最初は米の甘味が口の中に広がったが、次に舌がピリピリと痺れ始めた。
「な、なんだ、この味」
「あ、気づきましたか? 泥っとした粘性を表現するために、隠し味のスライムを溶かしてみたんです」
「ス、スライムを……」
「はい。王国三大珍味の一つですからね。どうです? 美味しいですか?」
「すまんが……あんまり美味しくはない」
スライムは誰が食べても美味しい食材ではなく、一部のマニアにだけ受け入れられている珍味だった。スライムの強い酸味がお粥の旨味を完全に殺してしまっていた。
「ただこの料理、惜しいところまで来ている」
「惜しいところですか?」
「梅干しはあるか?」
「あると思いますよ。取ってきますね」
エリスは台所から梅干しを取ってくる。それをジークに手渡すと、彼はお粥の中に入れて、再び口の中に入れた。
「うん。美味しくなった」
「そんな馬鹿なことが」
「ゲンさんも食べてみろよ」
ゲンは疑心暗鬼になりながらも、スライム入りのお粥を食べる。マズイことを覚悟して口の中に運ぶが、次第にその顔は朗らかなモノへと変わる。
「旨い。どういうことだこれは?」
「スライムは梅と合わせると、酸味が薄れて、ほんのり甘くなるんだ」
「ほぉ。それは初耳だ。さすが自分で料理が得意だというだけのことはある」
「俺も知ったのは偶然さ。幼馴染がスライム入りの味噌汁を飲みたいと要求するんでな。あいつは無茶を言うくせに、完璧な味でないと怒るんだ」
「それは随分と我儘な幼馴染だな」
「だろ。加えて、あいつも味噌汁を作ってくれたんだが、俺のスライム入りの味噌汁以下の味でな。『どうしてスライムが入っているのに私より美味しいのよ、馬鹿』と罵倒してくるんだぜ」
「お前も苦労してきたんだな」
「苦労してきたのはお父さんもでしょ」
エリスは苦労という言葉に反応して口を挟む。
「お父さん、一人で私を育てるために夜遅くまで働いてきたんです。でもそのせいで体を壊してしまうこともあって……私がもっと料理さえ上手ければ負担を減らせるんですけど……」
「エリス……」
「だから私、料理の得意なジークさんが働いてくれることがすっごく嬉しいんです。本当になんと感謝してよいやら」
「感謝するのはこちらさ。俺のような男を雇ってくれたんだからな」
「頑張りましょう、ジークさん。そして幼馴染さんを見返しましょう」
「見返す?」
「そうです。この店が繁盛すれば、それはジークさんの評価に繋がります。あなたは無能じゃないと証明できるんです」
「この店を繁盛させるのが一番の復讐か。面白い。やってやろうじゃないか」
ジークは満腹亭で働くことを決意する。彼の料理人として第一歩はここから始まったのだった。
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