第一章 ~『大食いチャレンジと満腹亭の看板娘』~


「これからどうするかなぁ」


 リザと別れたジークは、行く当てもない中、街を彷徨っていた。有り金すべてを彼女に渡して一文無しとなった彼は、泊まる宿もなければ、食事代にすら困る始末であった。


「お腹、減ったなぁ」


 ストレスで碌に食事が喉を通らなかったジークは、リザのパワハラから解放されたことで食欲を取り戻し、今度は空腹に苦しめられていた。


「寒いなぁ。あったかい家が恋しい……」


 ジークはリザと共に暮らしていた日々を思い出す。大賢者のリザは高給取りだったこともあり、家も食事も豪華だった。金がなくて悩んだことなど一度もなかった彼は、彼女と離れたことで、その有難味を知る。


「でもまぁ、無能呼ばわりされるくらいなら空腹の方がマシだ」


 肉体と精神、どちらも健康でなければ人は幸せになれない。ジークは気を取り直して、空腹を抑えるために唾を飲み込む。


「まずは日銭を稼がないとな。そのためには冒険者でもするかぁ」


 ジークはリザと共に冒険者をしていたことがあった。彼の実力では付いていくだけで精一杯だったが、それでも基本的なノウハウは身に付けていた。冒険者を目指そうと、真っ先に思いつくのも当然の思考だった。


「いや、駄目だ。冒険者をやるなら最低限の装備がないと」


 冒険者は、薬草や防具、そして魔法使いならば杖がなければ、強力な魔物と戦うことはできない。準備をせずに冒険へ出かけるのは自殺行為である。


「やばい。空腹で意識が朦朧としてきた……」


 ジークの視界がグニャグニャと歪み、足元がおぼつかなくなる。このままでは死ぬかもしれないと、彼の脳裏に最悪の想像が浮かんだ瞬間、一枚の看板に足をぶつける。


 ジークは苛立ちを押さえつけるように、看板を睨みつける。するとそこには、彼のピンチを救うような文言が記されていた。


「大食いチャレンジャー求む。一時間で完食すれば――無料だって!」


 ジークは偶然の出会いに感謝し、店の扉を開ける。扉の向こうには肉体労働者で活気づく定食屋が待っていた。


「いらっしゃいませ。満腹亭にようこそ♪」


 エプロン姿の女性がジークを笑顔で出迎える。艶のある黒い髪と、宝石のような赤い目をした彼女は、容姿だけなら貴族の令嬢でもおかしくないが、その人懐っこい笑顔のおかげで定食屋の看板娘が板についていた。


「お客さん、どうかしましたか?」

「お、俺は……」

「顔が真っ青ですよ。もしかして体調が悪いのですか?」

「大丈夫だ。気にしないでくれ」

「で、でも――」


 女性が心配の言葉を続けようとすると、それに答えるようにジークの腹の虫が鳴る。すると女性はすべてを察したように、小さく笑みを零す。


「ふふふ、お客さん、もしかして大食いチャレンジャーですか?」

「ああ。挑戦を考えている」

「やっぱり♪」

「やっぱり?」

「実は今までも顔が真っ青になるくらい空腹にしてチャレンジするお客さんがいたんですよ」

「なるほどな。ちなみにチャレンジメニューとやらは量が多いのか?」

「感じ方は人それぞれですが、私はそんなに多くないと思いますよ」

「本当か?」

「ええ。いつもペロッと食べちゃいます」

「それなら安心だな」


 女性の身体はエプロン越しでも分かるほどにクビレが出来ていた。これほど細身の女性でも食べきれるのだから、男の自分なら余裕に違いないと、彼は席について、チャレンジメニューを注文する。


 だがジークの想定と違い、満腹亭の常連客たちはざわめき始める。


「オイオイオイ」

「死ぬわ、あいつ」


(な、なんだ。そんなに驚くようなことなのか?)


 ジークは不安で背中に冷たい汗を流す。それからしばらく待つと、店員の女性が料理を抱えて、彼の元へとやってくる。


「チャレンジメニュー、お待たせしました♪」


 女性は笑顔でジークの机の上に料理の大皿を置く。そこには山に盛られた炒飯と、大皿を囲むように唐揚げが盛り付けられていた。


(な、なんだこれ。十人でも食べきれない量だぞ)


「お客さん、どうです? 美味しそうでしょう?」

「それはそうだな」


 ジークは美味しそうであることに同意するも、意識は味よりも量にしか向いていなかった。


(クソッ、騙された。こんな量を食べきれるはずがない!)


 女性のペロッと食べられるという言葉を信じたことを後悔する。だがすぐにジークは自分が騙されていなかったと知る。隣の席で女性が彼と同じチャレンジメニューを食べ始めたのだ。その様子をジッと見ていると、彼女は視線に気づいたのか、炒飯と唐揚げを守るように体で覆う。


「あ、あげませんよ。これは私の賄いなんですから」

「賄い? この量が?」

「やっぱり量が不満ですよね?」

「まぁな」

「ふふふ、なら特別サービスですよ。唐揚げ、一個あげちゃいます」

「少なすぎるって意味じゃねぇよ!」


 ジークが唐揚げを断ると、女性はそうですかとしょんぼりとした顔で箸を進める。ジューシーな唐揚げを頬張ると、嬉しそうに笑みを浮かべる。


「食べるのが好きなんだな……」

「美味しいものを食べている時が一番の幸せですから♪」

「その量を食べると腹痛で幸せが逃げていきそうだがな……」

「いえいえ、私なんて。他の人と比べれば、まだまだ小食ですよ」


(お前のような小食がいてたまるかぁ!)


 ジークは心の中でツッコミを入れると、覚悟を決めて、炒飯を口の中に入れる。パラパラと口の中で米が散り、具材の旨味が口一杯に広がる。


「美味しいな……それにあったかい味だ」


 炒飯は味も素晴らしいが、それ以上に作り手の思いやりが込められていた。疲れている労働者を癒すニンニクと、流した汗の塩分を取り戻すための濃い味付け。料理人の優しさがストレスに苦しんでいた彼の心を癒してくれる。


「ははは、本当にうめぇな」

「ふふふ、そんなに美味しいのですか?」

「とってもな」

「ならあなたは優しい人ですね」

「俺が優しい? 何を根拠に?」

「食事を楽しめる人に悪い人はいません。これ、私の持論なんです」

「悪くない考え方だ」

「でしょう。ですのでお友達になりましょう」

「は?」

「私はエリス。見ての通り、定食屋の娘です。あなたは?」

「ちょっと待ってくれ。なぜ友達に?」

「駄目ですか?」

「駄目じゃないが、友達になる理由がない」

「いいえ、ありますとも。私、小食なんですが、周りの人たちから食べすぎだと諫められるんです。でも私と同じくらい食べる人が傍にいれば、私が小食だと皆に信じてもらえるでしょう。それに――あなたとは仲良くなれそうだと、私の直観が言っているんです」


(友達か。昔はそんな奴らもいたな)


 ジークは人当たりの良い性格をしていたため、友人は多かった。しかしリザによって無能のレッテルを張られ、仲の良かった者たちはみんな彼の元を去ってしまった。


(友達は裏切る……でも飯を旨そうに食べる奴に悪い奴はいないか……)


 ジークは口元から小さな笑みを零すと、エリスを見据える。


「俺の名前はジーク。今日からあんたの友達だ」

「ジークさん……」

「感無量で言葉も出ないか」

「いえ、制限時間は大丈夫ですか?」

「あ」


 大食いチャレンジは一時間の制限時間がある。ジークは意識を山盛りの炒飯に向けると、流し込むように口の中に掻きこんでいく。数分もしない内に、ご飯の山は小ぶりなサイズへと姿を変える。


(旨い。だがそろそろ限界も近い)


 ジークは限界を忘れるように食べるスピードを上げる。咀嚼すると胃に送る作業を繰り返し、何度目かで彼の手は宙で止まる。


(も、もう無理だ……)


 胃がパンパンに膨れ、脂汗が頬を伝う。限界が来たのだと、身体中が彼に警告していた。だがジークは食べることを止めることができなかった。


「頑張ってください。あなたならできます」


 エリスがジークならできると期待の眼差しを向ける。無能だと馬鹿にされてきた彼は、自分がやればできる男なのだと証明するために食事を進める。そしてとうとう大皿は空になった。


「やりましたね。チャレンジ成功ですよ」

「ありがとな。エリスのおかげだ」

「私の?」

「応援してくれただろ。ずっと無能だと馬鹿にされてきたからさ。期待されるのが嬉しくて、何とか達成できたんだ」

「無能ですか……でもジークさんは無能なんかじゃありませんよ。いえ、ジークさんだけじゃありません。人はそれぞれ個性があるだけなんです。それが社会で評価されるかどうかが違うだけなんです」

「…………」

「だから、あなたは無能なんかじゃありません。私が保証します♪」

「ありがとな」


 ジークが気恥ずかしくて頬を掻く。すると突然の眩暈に襲われ、意識が朦朧とし始める。空っぽの胃に大量の食事が詰め込まれたことと、チャレンジを達成した安堵が、彼の意識を刈り取ったのだ。


「や、やばい……」


 ジークは椅子から転げ落ちる。エリスに身体を揺らされるが、意識はそのままどこかへと飛んでいき、気を失ってしまうのだった。

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