第2話

「お目覚めですか」

 そんな女の声に、俺は目を覚ました。

 誰だろうと思いつつ目を開けると、見知らぬいつくかの顔が、俺を覗き込んでいた。

 それをぼんやりと見返しながら、まだはっきりしない頭を働かせる。


 この人達は誰だろう。そしてここはどこだ? 俺の部屋でないことは確かだ。なにせ、天井ではなく空が見える。厚い雲で覆われた、暗い空だ。つまり、俺は屋外に寝ていることになる。

 とりあえず起きたはいいが、あまりの状況の変化に、訳が分からない。そこに告げられる驚愕の言葉に、俺は耳を疑った。


「魔王様、ご機嫌は如何で御座いましょうか。我々は貴方様の、忠実なる下僕(しもべ)で御座います」


「……は?」


 寝ぼけ眼をぱちくりさせる。まおう? しもべ? 何を言ってるんだろう、この人達は。よく見ると、みんなして変な格好をしているし、何かのイベントか何かだろうか。

「魔王様、どうかその御力をもって、魔界に君臨なされますよう。我々一同、未だ未熟なれど、この身の全てを賭して、お手伝いをさせて頂きます」

 これは夢だろうか。いや、それにしては感覚が明瞭すぎる。俺の見る夢はいつも白黒なのに、今見えている光景は天然フルカラーだ。

 俺は脳を叩き起こし、フル回転させる。もしかしてこれは、ドッキリだろうか? しかし、それも変だ。誰が、何の為にこんな事を? 俺はお笑い芸人でもタレントでも無いし、素人に仕掛けるには少々大袈裟である。

 とりあえず、布団をめくってみる。――つもりが、布団が無かった。周囲を見渡すと……なんてこった、ここは屋外じゃないか。俺、いつの間に夢遊病者になったんだろう?

 どうやら俺は、草地の上で寝ていたらしい。周囲はずっと、見渡す限りの草原。こんな場所、日本にあっただろうか。


「痛てっ」

 立ち上がろうとして、裸足なのに気付く。足の裏に、小石が突き刺さってしまったのだ。

「魔王様、お手を」

 周囲にいたうちの一人――まだ辺りは薄暗いのではっきりしないが、髪の長い女性らしい――が、俺の手を取った。

「ああ、ありが――え?」

 その女性は、いきなり俺に抱きついてきた。

「え? え? ちょ、ちょっと……!」

 慌てる俺。が、彼女はそれに構うことなく、そのまま――宙に浮いた。

「わ、ま、待って! な、何これ!? 意味が分からな――!」

 突然の急加速。既に俺は空を猛スピードで飛んでいて、恐怖のあまり硬直した。

「すぐに着きます。暫くのご辛抱です」

 そんな言葉をかけられるが、俺はただ、落っこちないように彼女にしがみつき、声にならない悲鳴を上げ続けるだけである。


 体感時間一時間以上の、ただただ恐怖しかない美女との抱擁は、突然終わりを告げた。

「到着しました」

 連れてこられたのは、いかにも魔物が潜んでいそうな、おどろおどろしい古城。満月をバックにしたその偉容は、絵本に出てくる魔王の城そのものだ。

 その中の、非常に広い一室。赤絨毯の敷かれた、おとぎ話で王様とかお后様がいるような部屋で、奥には立派な玉座のようなものまである。

「魔王様。今日からここが、貴方様の住処に御座います」

 俺の前に膝をついた堕天使は、黒い翼を小さく畳んだ。俺はどうしていいか分からず、ただ呆然と立ち尽くすのみである。


「お疲れでしょう、どうか玉座にお座り下さい」

 そう勧められたが、躊躇して、すぐには座れない。あまりにも豪華すぎるし、不吉すぎたからだ。なにせ手すりには髑髏の形をした飾りがついていたし、埋め込まれた宝石も、まるで人の血を思わせる真っ赤な物だったのだ。

 そうこうしているうちに、次々と他の者達が現れた。先ほど見た連中である。

 あの時は、まだ寝起きだったせいもあり、一人一人をちゃんと見てはいなかったが、こうしてじっくり見ると、姿も大きさもバラバラで、少々人間離れしている。


「自己紹介がまだでしたね。一人一人、名乗らせて頂きます。私はマイア、見ての通り堕天使です」

 俺を城に連れて来た女性だ。輝く金色の髪に透き通る青の瞳が特徴の、思わず見とれてしまいそうなほどの美女だ。まさに天使という容姿をしていて、背中の黒い翼がなければ、無条件でそう信じてしまったことだろう。

 堕天使というと、妖艶な美女を思い浮かべてしまいがちだが、この人は全く違う。神々しいまでの雰囲気を、その身に漂わせているのだ。


「魔王様、ご機嫌麗しゅう」

 すっと前に出たのは、貴公子のような雰囲気を持つ、男の魔族。

「キルヴィスです。どうかお見知りおきを」

 キルヴィスと名乗った男は、美しい蝋人形のような、無機質で堅い笑顔を見せた。彼の笑い顔は、何故か作り笑いのように見え、妙な違和感がある。

「キルヴィスは純粋な魔族です。彼の能力は、変化の力です。何にでも、というわけには参りませんが、たいていの物には変身出来ます」

 マイアの説明を受け、キルヴィスは一礼をすると、パチンと指を鳴らした。と、その形が崩れ、次の瞬間には一人の貴婦人がスカートの端を摘んでいた。

「マジか……」

 あまりのことに、言葉を失う。とんでもないイリュージョンである。

「誰かと入れ替わったとかじゃ、ないんだよね?」

「もちろんですわ」

 貴婦人は微笑む。先ほどの男とは、似ても似つかない顔である。

「凄い。完全に別人だ」

「お褒めに預かり、光栄ですわ、魔王様」

 貴婦人は微笑み、映画で見るような礼をした。そして、その頭が上がった頃には、また元の男の姿に変化していた。


「こちらがジェイド。暗黒騎士です」

 マイアが示したのは、全身を鎧で包んだ人物だった。西洋の騎士が着ていた、黒くて重そうな奴である。

 ジェイドと呼ばれた彼――かどうかは不明だが――は、ガシャリという音をさせながら、無言で剣を顔の前に立てた。どうやらこれが、騎士の儀礼のようなのだが、見慣れていないのでなんだかちょっと怖い。

「あ、えっと……」

「……」

「ど、どうも……」

「……」

 騎士は剣を構えたまま、微動だにしない。俺は一体、どうしたらいいんだろう。

「ジェイドは言葉を発せられないのです」

「そ、そうなんだ」

 直立不動の彼の前で、俺も同じように硬直していると、マイアが助け船を出してくれた。

「さあ、次の者の紹介に参りましょう」

「あ、ああ」


 そこにいたのは、巨人だった。いや、比喩でもなんでもなく、身長が優に三メートルはある。大木のような太い腕と足。身体の色も緑がかっていて、明らかに普通の人間ではない。

「バドです」

 バドという名の大鬼(オーガー)は、頭を掻きながら、何度も俺に向かってお辞儀をする。

「あ、あう……」

 精一杯その巨体を縮こませ、緊張している様は、ちょっと可愛いかもしれないとか一瞬思いかけたが、やっぱ近くで見るとかなりの迫力で、思わず逃げ出したくなった。

「バドはあまり、話すのが得意ではないのです。ですが、その忠誠心と腕力は、疑う余地がありません」

「あ、そう。その、よろしく……」

 おずおずと手を差し出すと、バドはいきなり吼えた。

「な、なんだ!?」

 驚いて半歩後ずさる俺の前で、彼は地にひれ伏したのだった。

「魔王様のような高貴な御方が、そのように親愛の情に満ちた態度をお取りになったので、感動のあまり感情が爆発したのです」

 イマイチ良く分からないが、あんまり近くで激しく動かれると、太い腕に当たって死んでしまいそうなんで、もうちょっと考えて欲しいと思ったが……無理だろうな、これは。


 大男から離れた俺に、誰かが飛びついてきた。俺の腕に、柔らかな何かが当たる。

「うわぁ!」

 突然のことに、反射的に突き飛ばしてしまう。俺に押された女性は、きゃん、と言いながらこちらに微笑みかける。

「ミルティでぇす。こんな素敵な魔王様に出会えて、ミルティは幸せ者ぉ。もう、精一杯尽しちゃうんだからぁ」

 これはまた、なんともくだけた人である。赤い髪に金色の目、そして褐色の肌という、強烈な印象を残す人だ。

 服装もかなり特徴的で、ほとんど服の意味をなしていないんじゃないか、そう思えるくらいに面積が狭く、未成年の男の子にとって少々刺激的すぎる。

「魔王様、後でいっぱい、イイコトしましょうねん」

 周囲の視線も憚らず、しなをつくってみせる彼女。それに誰も何も言わないあたり、きっと普段からこういう人なんだろう。顔は可愛らしいが、なんか苦手なタイプだ。


「こちらがエンです」

 なんだか金融関係で良く耳にする名前の持ち主は、文字通り成金な太ったオッサン――などではなく、日本人に似た、若い女性だった。

 さっきから、ずっと黙ったまま、こちらに鋭い視線を送ってきている。黒く長い髪をポニーテールにし、どこか剣道着に似た衣服を着た彼女は、ここにいる誰よりも、日本を思い起こさせる。

 今は険しい顔をしているが、もしかしたら、この中で一番話が合うかもしれない、そんな俺の期待は、一瞬で打ち砕かれることとなる。

「エンです」

 彼女の自己紹介はその一言が全てだった。後はもう黙ったきりで、ひたすら痛い視線を送ってくる、それだけだった。話が合うどころか、今までで一番取っつきにくいかもしれない。


「そして最後がクート」

 出てきたのは、メイド服を着た少女である。俺よりも少し年下だろうか、周囲が長身揃いなせいで、とても小さく見える。

「クートです。身の回りのお世話をさせて頂きます」

 跪き、頭を垂れる。

「何かあれば、彼女にお命じ下さい。どんな命令にも従いますので」

「ど、どんな命令でも……?」

「はい。どんな命令でも、です」

 男の子の悲しい性で、ついついイケナイ想像をしてしまうが、さすがにそういうのとは違うだろう。

 気になったのは、彼女からあまり生気が感じられないことだ。整った顔だが、少しも表情が無い。服装も黒を基調にしており、喫茶店にいるようなメイドとは、少々違っているようだ。なんだか全体的に、暗く地味な印象である。


「我ら一同、魔王様に忠誠を誓う者です。どうか、よろしくお願い致します」

 一列になった彼女達は、そう言って俺の前に膝をついたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る