魔王様降臨
いいが博士
第1話
プロローグ
六月四日。特に変わった事無し。
六月五日。飯田の誕生日。
六月六日。特に変わった事無し。
六月七日。特に変わった事無し。
六月八日。朝起きたら魔王になっていた。
六月九日。特に変わった事無
「なわけねえだろうがあっ!」
日記帳を放り出し、思わず叫ぶ俺。突然の事に、すぐ側にいたメイドが訝しげな眼差しを俺に向ける。
「魔王様、如何いたしましたか?」
「いかがじゃねえっ!」
だん、と思い切りテーブルを叩く。大理石で出来ているので、ちょっと手がジンジンするが、そんなのはこの際無視だ。
「なんなんだよ、これは一体! どういう事だかちゃんと説明しろっての!」
「はい。それは大理石という素材で出来たテーブルで、魔界でも有数の腕を持った職人によって――」
「んな事聞いてねえぇ!」
どこのどいつが、キレながらテーブルの説明なんぞを求めるのか。普通に考えておかしいだろうに!
「そうじゃなくて、なんで俺がこんな妙ちくりんな世界に連れてこられて、こんな陰気な場所で生活しなくちゃならないのかって事だ!」
「はあ。でしたら、お部屋を変えましょうか。下の階の大広間を改装して――」
「そうじゃねえって、何度言わせる気だぁっ!」
ああもう、なんでコイツはこうなんだ。いっつも微妙にピントのズレた返答をしやがる。天然なのかワザとなのか、嫌われてるのか俺はよ!
「申し訳ありません。どうか御気分をお鎮めください。私に出来る事でしたら、何でも致しますから」
「なら、元の世界に返してくれ」
「それは出来かねます」
即答で断られる。
「なんでもしてくれるんじゃないのかよ」
「出来るのでしたら、そうして差し上げたいのでずが、私にはそんな力は無いのです」
「どうだかね」
「本当です。私が魔王様に、偽りを申すはずがありません」
無表情のままそんな事を言われても、信じられるはずもない。本当に悪いと思うのならば、それらしい表情でもしてみろってんだ。
俺はむっつりと黙り込み、メイドも口を閉ざした。互いの間に、居心地の悪い空気が漂う。
そんな沈黙を破ったのは、躊躇いがちなノックの音だった。どうやら今の言い争いを聞きつけ、誰かがやってきたらしい。
「どうかなさいましたか、魔王様」
顔を覗かせたのは、六人の男女だった。彼らは皆魔物、自称『魔王の忠実なる下僕』である。
「ちょうどいい。一度、しっかりと話をしておきたかったんだ」
俺は全員を室内に招き入れた。そして、今までに溜まり溜まった鬱憤を、吐き出すことになる。
「なんで俺が、魔王なんて良く分からん職業につかんとならんのだ。俺はただの高校生で、平和な日本で暮らしていた、ただの一般人だぞ」
「はあ」
気のない返事をしたのは堕天使の女だ。見た目は完全に天使で、驚くほどの美人だが、いろいろと中身が過激な奴だ。
「お前、俺がどんな家に生まれたのか、知っているか?」
「前の世界のことは、存じ上げませんが」
「神社だよ! 俺は神主の息子として生まれたんだ! 神に仕えるこの身で、何が悲しゅーて魔物なんぞの親玉にならんといかんのか」
「神に仕える身、ですか?」
「その通りだ。まだ資格は無いとはいえ、将来は家を継ぐ予定だったんだよ!」
俺の声が、薄暗い室内に木霊する。昼間だってのに天気は悪く、しかもここは照明設備がなっていないから、全然明るくならないのだ。それが余計に、俺の気に障る。
「お前らちょっとそこに座れ!」
俺は魔族の連中に正座をさせる。向かって右から堕天使、暗黒騎士、闇メイド、オーガー、そして――
「ええいっ、とにかくだっ!」
いちいち確認するのも面倒になった俺は、律儀に横一列に並ぶ魔物共に対し、とつとつと説教を始めた。
「お前らは、とにかくなっとらん。いきなり目を覚ましたら見たこともない異世界にいて、訳も分からんうちにこんな所に連れてこられ、挙げ句の果てには魔王だと? 冗談も大概にしろよ!」
蓄積した怒りをぶつけるが、どうもこいつらには届いていないようだ。きょとんとした顔で、目をしばたかせている。言葉は通じているはずなのに、不愉快な奴らである。
「そもそもだな、本当に悪魔が存在してどうする。そんなもん、空想上の存在だろうに。お前ら少しは常識というものを弁えろ」
「いえ、我々は悪魔ではありません。堕天使にオーガー、暗黒騎士に魔族――」
「そんな細かいことはどうでもいい! とにかく、お前らみたいな連中は、フィクションの中に閉じこもってるべきなんだよ! 実在なんてしてんじゃねえ! 少しは空気を読め、空気を!」
「そう仰られましても、私共が生まれる前から魔物は存在しているわけでして――」
「ええい黙れ! 反論は許してないぞっ!」
俺が怒鳴ると、堕天使はびくりと身体を震わせた。
「いいか。確かに、日本は諸外国と比べ、宗教というものに対する意識や執着があまり無い。イスラム教徒のように、厳しい戒律の中で生活をしていないし、キリスト教徒のように、毎週お祈りに出かけることもない。しかし、それはそもそも神や宗教という存在に対する概念の違いから成るものであり、実は日本人は――って、聞いてんのかお前らは!」
顔を見合わせ、困ったような表情を浮かべる魔族達を一喝し、注意をこちらに向けさせる。ひとが真剣に話をしている最中だというのに、全然集中していないとは、全くもって困った連中である。
「日本においてはだな、宗教は人々の生活の中に溶け込んでいるんだ。つまり、実際に宗教が存在しないのではなく、人々はそれと気付かないだけなのだ。キリスト教徒が休日にミサに出かけるように、日本人は毎年初詣をしたり、お盆に墓参りをしたりする。確かに頻度や意識の面では大きな隔たりがあるが、だからといって、全く宗教と無縁なわけでは――って、そこ、よそ見をするんじゃない!」
俺に怒鳴られ、魔族の女が首を竦める。どうもこいつらには、集中力が足りないようだ。もしも俺が坊主なら、ここで折檻をしてやるところだが、生憎、実家は仏教とはあまり縁がない。
暫くの間、俺の説教は続いたが、どうも聞き手の反応が鈍い。
長々と、魔族相手に説教する虚しさに、ようやく気付いた俺は、連中を放置して独り自室へと戻った。
この世界での俺の部屋。だだっ広く、生活感のない、暖かみとはかけ離れた場所だ。
無駄に凝った彫刻や、見るからに豪華な調度品が一杯で、全然馴染めない場所だが、それでも他の場所よりはずっと落ち着ける。何がいいって、部屋が明るいのが一番だ。他の部屋は、陰気くさくていけない。
窓を閉め切り、扉に鍵をかけ、俺はでかいベッドに寝ころんだ。
「ああ、いつまでこの世界にいなきゃいけないんだろう……」
豪奢なシャンデリアが眩しい、やたらと煌びやかな天井を見上げながら、俺は呟く。
「帰りたい。家に、元の世界に戻りたい……」
そんな俺の呟きは、誰の耳に届くことなく消えていく。
一体、どうしてこんな事になってしまったのか。話せば長いことに……は、ならない。なんたって、あまりにも唐突すぎるのだ。
前日、いつも通りに布団に入り、何事もなく眠りについた俺。しかし、次の朝、目覚めたのは全く見知らぬ世界だった。ただそれだけの話である。
何か特別なことがあったわけではない。禁忌の洞窟に足を踏み入れた訳でも無いし、良く分からない道に迷い込んだ訳でも無い。謎の人物に出会ってもいないし、特殊な品物を手に入れてもいない。
何の変哲もない一日を終え、自分の家の自分の布団に入り、昨日や一昨日と同じくらいの時間に寝ただけなのだ。
それなのに、目を覚ましたらそこは異世界で、魔王だなんだと言われ、こんな場所での生活を強いられている。
ごろりと寝返りをうち、布団の中へと潜り込む。こうやって寝てしまえば、また元の世界に戻れるだろうか? もしそうなら、こんなに嬉しいことは無いのに。
暗闇の中、俺は思いを巡らせる。俺がこの世界に来てしまった、あの時のこと。
そう、あの時から、全ては変わってしまったのだ。あの、忘れもしない目覚めの時から――
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