1-8 ヒロインが失禁したので正式にパーティーを組んで目の前の絶望に立ち向かう
「アゲイン、アゲイン、アゲイン、アゲイン」
クレイジートレントのHPが0になろうともお構いなしにルリは攻撃をやめない。
「ちょ、もういい! 山火事になってるから! 俺らも燃え死ぬから!」
ツバサが慌ててルリの身体を揺すると、ルリはハッとしたようにスキルの発動を停止する。
「……私、何を」
「クレイジートレントの花粉を吸いこんでおかしくなってたみたいだぞ……相手もう死んでるのにめっちゃ攻撃続けてた。鬼みたいだった」
「おに……」
「ごめん、鬼は言い過ぎた。って、火事! やべえんだって、森が!」
このままでは自分たちもいずれ炎に包まれ……と思った矢先、燃え盛る木々が一斉に黒い霧となって消滅した。
「んん……? どういうことだ?」
「多分、この辺一帯の木全体が、クレイジートレントだったのかも。最初の攻撃も、顔のある木より遠くからきてたし」
なるほど。確かにそう考えるのが自然か。
「まあ、結果オーライってことでいいか」
「オーライ」
ルリが言うのは少し違くない?
「今ので新しいスキルも覚えた。『スキル解析』と『魔法解析』。合わせると、『ステータス確認』をした相手が魔法、スキルを使ってきた時に、その詳細がわかる」
「使えそうなスキルだな。解析したら、都度教えてくれると助かる。余裕のある時でいいから」
「わかった」
さて、自分はどうか……と思いツバサもステータス確認するが、ツバサは特に新しいスキルは習得できていないようだった。
「……。そういえば、さっき新しい魔法も使ってなかったか? 体を炎で覆うやつ」
「? あ、いつの間にか覚えてる。ファイア・ウォール。体を炎のバリアで包む。ツバサ、なんで知ってる?」
「覚えてないのか。花粉をどさっと浴びた時にそれ使って花粉燃やしてたぞ」
「……記憶にない」
政治家みたいなことを言うやつだ。
しかし狂化? 時の記憶は残らないみたいだな。
ともあれ。
ツバサはクレイジートレントが消えた辺りを見やる。
「クレイジートレント、倒しても魔石しか残ってないな。記憶の玉持ってるのはこいつじゃなかったのか」
「みたい。……でも、さっきより、近くにある気がする」
「えっ」
「近づいてる、こっちに」
ルリの無機質な声に、わずかに緊張の色がにじむ。
その理由はツバサにもすぐわかった。気配を感じる。
『気配』なんてものは、幻想の世界のものだと思っていた。
しかし、感じる。感じられる。
そういうことか。
理解する。
――自分はただ、そういった存在に出会ったことがなかっただけだったんだ。
地響きがする。
クレイジートレントが消え、少し開けた森の一角。
『それ』は姿を現した。
木々をなぎ倒し、山のような巨体の、鹿と牛を合わせたような獣がそこにいた。
その角は鹿のような形をしているが、まるで木々であるかのように葉が生い茂っている。
なんだこいつは。
ツバサの思考が停止した。
今までのモンスターとは存在感が段違いだ。
もし、この世に神という存在がいたとしたら、このような威圧感を放つに違いないと思った。
ツバサは自然と『ステータス確認』を使用していた。
・森林王
HP5150 MP380 SP545
言葉も出ない。桁が違いすぎる。
クレイジートレントでもHPは50程度だった。その約100倍だ。
ルリも同じことをしていたようで、信じられないといった顔で頭を横に振っている。
自身を『見られた』事を感じたか、森林王の黒曜石のような瞳が2人を捕らえる。
その漆黒の瞳は余りある怒りで染まっていた。不敬な者を見るかのような。
ツバサは崩れ落ちる。
魂が大音量で告げる。「逃げろ」と。だが身体が言う事を聞かない。
「ル、ルリ……」
「『スキル:神触感知』の発動を確認。効果は『自信を対象としたスキルを感知する』……。ごめんツバサ、私のせいで、敵と、思われた、かも……」
「い、いや、俺も使ってた。ルリのせいじゃ――」
ズオォォォォォォォォォォォォォォ――!
突如、獣が上空に向けて雄たけびを上げた。
大気がビリビリと震える。感じるのは圧倒的な怒気。
その衝撃だけで、身体全体が引き裂かれるような痛みを受け、ツバサとルリは吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。
HPを確認。クレイジートレントを倒してHPは280まで上がっていたが、それが一瞬で130まで減少していた。
雄たけびだけで150ものダメージ。笑える。おしまいだ。殺される。
自分の無残な死に様を想像してしまい、ツバサは両膝両手を付き、地面に胃の中のものを全て吐き出す。喉が焼けるように痛い。
直後、光の結界のようなものが獣を中心とした空間に広がり、2人はそこに取り込まれてしまう。
「これは……?」
「『神罰の結界:自身の半径100mに脱出不能の上級結界を張る』……。ダメ、もう、逃げられもしない、みたい」
地面にぺたんと座り込んだルリが、絶望に打ちひしがれた声で告げる。顔には涙が伝っている。
そしてスカートから伸びた白く透き通るような足が、彼女から漏れ出した小水が作り出す水たまりに汚されていく。
完全に戦意を喪失していた。
そんなルリを見て、逆に冷静になった。それは男としての本能か。それとも。
女の子が、目の前で死を覚悟して、泣いている。
こんな時、俺が好きだった、憧れた、ファンタジー世界の主人公だったら何をしていただろうか。
ただ諦めて、殺されるだけだっただろうか。
そんなわけはない。
決まっている。
「ルリ、俺がこいつを何とかする。倒せなくても、あいつに攻撃すれば、結界も解けるかもしれない。解けたら、逃げろ。町まで、まっすぐ。振り返らずに」
震える足で立ち上がる。だが覚悟は決める。
自分は一度死んでいる。前の世界の全ては失っている。
そしてこの世界では、まだ自分には何もない。失うものなど。
だが、ルリはどうか。
記憶を失ってはいるが、家族とか、大事なものが、この世界にあるはずだ。記憶を取り戻すという目的もある。実力も自分とは比べ物にならないほどある。将来、きっと幸せになれる娘だ。
生きる、べきなんだ。俺と違って。
死ぬのは確かに怖い。きっと痛い。でも、どうせ死ぬなら自分の死を意味のあるものにしたい。
無意味に死んだ前世だ。せめてこの世界では、誰かを守って死ぬ方がいい。しかも守れるのが可愛い女の子なんて、最高じゃないか。最高の死に場所だ。
「ツバサ、ちょっと我慢して」
不意にルリが立ち上がり、その小さな肩でツバサの肩に触れてくる。
急に密着され戸惑うと、ルリは自分の道具袋をポイっと捨て、静かに唱える。
「アクア・フォール」
バケツをひっくり返したような大量の水が、2人に向けて降り注ぐ。
「えっ、何を」
「ファイア・ウォール」
続けて唱える。2人を炎のバリアが包み、濡れた身体が一瞬で乾く。
「目が、覚めた?」
スッと、ルリが離れる。
「あ、ああ」
「……、私は、1人で逃げるのは嫌。だって、そうしたら、私は1人になる。今の私には、ツバサ以外、何もない」
先程とは違う、『いつもの』無機質な瞳でルリが言う。
ツバサは1つだけ、見落としていた。
今の世界に放り出されたツバサと、今の世界での記憶がないルリ。
奇しくも、『今』の2人には『お互い』しかないのだと。
なら、やるべきことは1つしかない。
「今言うのもあれだけど、ルリ、俺とパーティーを組んでくれ。こいつを倒すぞ。俺の命はルリに任せた」
「……。本当に、今言うのはどうかと思う。でも、わかった。私の命、ツバサに預ける」
いつの間にか、足の震えはなくなっていた。
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