(3)木枯らしとともにあの子は現れる

 リアルは間一髪のところで教師を避けると、短い階段を昇り、とうとう、演台のマイクを奪取した。


 ウサギ。はじめるよ。来ているよね? 


「みんな、私は神の神託を受けた者、磯部リアル。いま! いま神からのメッセージと伝えに来ました」


 体育館のそこここから悲鳴が上がる。リアルは続ける。


「今すぐここから逃げて! この体育館は、まもなく崩れる! これは予言です!」


 異常な緊張感がリアルの声で途切れた。堰を切ったように、生徒が出口に殺到する。

 教師は生徒を押さえようとするが、人数には勝てない。教師を押さえつける男子生徒、ドアを開ける女生徒、開けるなと叫ぶ教師、怒号が飛び交う。


 今だ! リアルはスマホを取り出した。が、その瞬間、数人の教師がリアルに覆いかぶさった。

 スマホがステージ上を滑る。――しまった、合図が送れない。

 でも、こんな場合も想定してある。あと十分くらいのはずだ、この勢いならば、十分あればみんな外に出る。


「落ち着きなさい!」


 いつの間にか鈴原がマイクを取り、強い口調で呼びかけた。

 一瞬、生徒や教師たちの動きが止まり、ステージに注目が集まる。


「この体育館が崩れる? そんな事あるはずがありません。年末に点検もしてあります。どこにも欠陥はない。先生方、全ての入り口を閉じてください。みなさん、元の場所へ。外の生徒にも呼び掛けてください」

「みんな! 嘘じゃないんだ! 外に出て! ここにいたら、死んじゃうよ!」


 リアルは地面に押し付けられながら絶叫した。まずい、このままじゃ! 


「馬鹿馬鹿しい。あなたはもっと利口だと思っていました。そんな子どもじみた言説で、生徒たちを混乱させようとするなんて」


 生徒も教師も迷っていた。鈴原の言うことはもっともだ。常識的に考えて、何も問題のない体育館が崩れるはずがない。しかし、かといってリアルが嘘を言っているようにも見えない。

 迷いながらも教師が扉を閉めようとしたその時、外から扉をこじ開ける者がいた。

 吉村、それから田沢と木崎もいる。


「みんな! なんで今日、学校に来ていな人がいるか知っているでしょう!? ここは危険なんだよ! 今ここにいない人は予言を信じたんだ! 信じない人は巻き込まれてしまう!」


 釣り目の木崎が大声で叫ぶ。

 リアルは組み伏せられたままニヤリとして後を引き取る。


「私はみんなを守りたい。だからここに来た。神は私に告げたんだ! 今、ここで、この罪深き者に天罰を下すと!」


 その迫力に、教師たちは思わずリアルの拘束を解いた。リアルは声を張り上げながら立ち上がると、鈴原を指さした。


「これは罰だ! 人間が、思いあがった人間が、同じ人間を力で支配しようとしたからだ! みんな思い出して! この学校には訳もなく髪を染めさせられた人、退学させられた人がいる。どうして? 私たちが縛られる理由がどこにあるっていうの? 私たちは……私たちは自由だ!」

「黙りなさい!」

「私たちは生まれながらにして自由。天に月と太陽があるように、私たちには生まれ持った役割がある! 何人たりともそれを阻むことはできない!」

「黙らないと……黙らないと退学にするわよ!」


 鈴原が怒鳴る。

 その一言に動揺が走る。いつも落ち着いている鈴原が大声を出したことに対してではない。退学を武器に生徒を従わせようとする、その態度についてだ。

 そんなのありかよ! 関係ないじゃん! あちこちから声が上がる。

 

「副校長、それはさすがに……!」


 ステージ下に近づいてきていた校長が思わず言った。


「従わない教師は減給、いえ、懲戒免職です! 校長とて例外ではない!」


 正確には鈴原に校長を免職する権利はない。しかし、その気迫に返す言葉もなく、校長はうつむいた。


「ふ、副校長、私も納得がいきません!」


 思わぬところから声が上がった。

 ステージ下で待ち構えていた体育教師春日だ。顔を真っ赤にし、直立不動の姿勢で叫んでいる。


「あなたのやり方は! 行き過ぎている!」


 一瞬、誰の目にも鈴原の髪が逆立った様に見えた。メガネが光を反射して白く見える。


「あなたたち……いいでしょう、望み通りにしてあげるわ! 他の生徒も、教師も! この学校を辞めたければ体育館を出るがいい! 全員の顔を! 私は覚えている!」


 しん。

 体育館は静まり返った。

 教師たちは恐る恐るリアルに近づくと、再び両腕をがっちりと捉えた。


 リアルは体育館の時計を見た。


 五十九分! 


 はじまる! ウサギは来たの!? わからないけど、いまはじまったら……! 



◆◆◆



 俺はさっきから寒々しい空の下、一人校門で待機していた。

 生徒たちはとっくに校舎に入っていったから、辺りには誰もいない。

 体育館は校舎を挟んで向こう側にあるから、この位置からは見えない。

 他の退学組は朝礼が始まる時間に校内に入っていった。時間になっても生徒が体育館を出ない場合、リアルと一緒に脱出を呼びかけるためだ。リアルを信じた者は助かる。しかし、信じなかった者は……考えたくもない。


『朝礼、始まったぞ』


 小野寺から律儀にメッセージが来る。こいつ、朝礼中にどうやって打っているんだ? 器用なやつ。


 時間が刻々と過ぎてゆく。

 ウサギ、間に合うのか……? そもそも来てくれるのか。


 木枯らしが強く吹く。

 一枚の枯葉が、ひらひらと宙を舞ってゆく。俺はなんとなくその葉を目で追う。


 枯葉が飛んで行くその先に、金色の縁取りをした白いローブがはためく。

 金の飾りのついた長い杖、胸元の赤いアクセサリー。

 見覚えのある優雅な身のこなし。

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