(5)ボランティア

「ん?」


 ふと顔を上げると、束ねた白い髪の毛に赤い瞳が目の前にあった。

 相手も目を見開いている。


「ウサギ!」


 俺は思わず立ち上がってウサギの肩をつかんだ。その拍子にウサギの持った熱々の豚汁が少しこぼれて俺の腕にかかった。俺があっつっ! と叫ぶのとウサギがユウ! と叫ぶのが同時だった。


「ユウ! どうしてここに……!」

「どうしてもこうしてもないよ! なんでこんなところに……ああ、でもよかったああ」


 俺は心底ほっとして、へなへなと座り込んだ。


「死んじゃったんじゃないかって思ったよ……!」


 ウサギは何も言わず、バツの悪そうな顔をしてから、ゆっくりと俺の横に座った。


「はい、ユウ。せっかくだから食べてください」


 俺はウサギから豚汁を受け取って、容器の中を眺めた。

 少しこぼれたが、まだ充分入っている。人参と大根がつやつやと光って、湯気が揺れている。


 ウサギは、遠くの海を見ながらゆっくりと話し始めた。


「私、私の責任を果たそうと思ったのです。魔法を使って魔王の所に行ってきました」


 ああ、やっぱり。俺の予想はある程度あっていたようだ。


「責任……魔王を引き入れた責任ってこと?」

「はい……」

「でもそれ、ウサギのせいじゃないじゃないか……」

「でも……」


 ウサギは真面目だ。自分のせいだと思ってしまうのだろう。


「私が消えれば魔王の道は断たれる、そう考えたのです。だからあちらの世界に行き、自分自身に魔法を放ったのです」

「……」

「でも、魔王に簡単に阻止された……。そして、こちらの世界に落とされました」


 それがあの事件現場か。どこか空の一点からウサギが落ちてくる。枝を折りながら落下し、最後に車の上に激突する。そんな場面を想像した。


「何が正しいかなんて、考えたこともありませんでした。私は名門に生まれ、生まれたときから太陽と月の教で育ってきました。学校や家で正しいと教えられたことを、何の迷いもなく実行するだけでした」

「神官であり、警察と裁判官の役割も担う。ウサギは正義の塊みたいなものだもんな」


 ウサギは少し寂しそうに微笑む。


「でもリアルに会って、私は混乱しました。リアルは校則を破るし、私の魔法を詐欺みたいなことに利用するし、悪い事ばかりしています。でも、リアルが目指すのは幸せな世界」


 詐欺……まあその通りだ。リアルはスケールの大きい詐欺を働こうとしている。世界を欺く詐欺だ。


「皆がお互いを尊重して、仲良く幸せに暮らす世界」


 ウサギがつぶやく。


「私はその考えに共感します。でも、リアルは正しいのか、自分は正しいのかわからなくなってしまった」


 俺は豚汁に口をつけた。温かい……。


「魔王に落とされて、しばらく意識を失っている間に、あたりは騒然としていました。私、車の上に落ちたんですよ。警察や消防、救急車、多くの人が囲んでいました。なんとかそこから逃げ出して、街をさまよいました。そして、このボランティアの人たちを見つけたんです。すぐに手伝わせていただきました。この人たちは毎日場所を変えて炊き出しをしているんですよ」


 奉仕の精神。ウサギは人を助けることに心の底から意義を感じるのだろう。それは太陽と月の教の教えの力なのかもしれないし、生まれながらにしてそうなのかもしれない。ボランティアに共感するのは、すごくウサギらしい。


「仕事にありつけない人がこれだけいるのに、多くの人は知らん顔です。そして、こんな状況にあっても争いは起こる」


 向こうの方で、列に並んだ者同士が言い合いをしている。先に列に並んでいただの、割り込んだ、などという声が聞こえる。リアルの思想とは真逆の世界だ。


「ここで炊き出しをするのは正しいのでしょうか。今、温かい食べ物は人々を癒やしています。でも、世界を変えなければ本当の幸せはない」


 そうだ。ずっと炊き出しの世話になる訳にはいかない。


「リアル……とても強くて、とても心の弱い子」


 ウサギがぽつんという。心の弱い……俺は取り乱したリアルを思い出した。


「ユウは、リアルに協力するのですか?」


 俺は少し考えた。


「いや、わからない。わかんないけど。あいつ危なっかしいんだよ。ずっとそう思ってたけど、今回よくわかった。あいつは他人と基準が違う。何をしでかすかわからない」


 あいつの基準は人類だ。そんな女子高生がいるだろうか。


「うふふ。ユウらしい」

「らしい? 俺ってどんな?」

「さあ?」


 ウサギは悪戯っぽく笑う。


「だからリアルはユウと一緒にいるんですね」

「え?」

「鏡に映した自分の姿を、いつも確認しているんです」


 俺が、鏡ってこと?


「リアルはいつもユウをほめてますよ。あいつは本当に普通だって」

「え……それ褒めてんの?」

「褒めてますよ。信用されているんです」


 ウサギはにっこりとする。


「私にはわかるな。リアルの気持ち」


 ウサギの赤い目が俺を見つめる。深い、赤。白いまつげがきらきらと光っているように見えた。

 俺は思わず目をそらして、海の方を眺めた。


「リアルも見ず知らずの私を家族のように扱ってくれました。ちょっと愛情が強く感じることもあるけど」

「うん」


 ウサギが遠くを見つめてぽつんと言った。


「私は、どうしたらいいんだろう」


 向こうでホームレス同士の争いは続いている。ボランティアの人が割って入り、他のホームレスも加わって人だかりができている。


「もう少しだけ待ってください」


 ウサギは立ち上がった。

 俺は、ウサギを引き留める事ができない。なぜなら、俺も迷っているからだ。


「もう少し……もう少しだけ、ここを手伝いたいんです」


 ウサギは自分の原点を見つめなおそうとしているのかもしれない。

 何か言わなきゃ。そう思うけど、俺にはそれ以上何の言葉も出てこない。

 今は、待つしかないのかもしれない。


「わかったよ。待ってる」

「はい」


 ウサギは笑顔で答えて振り返り、元いた場所に戻ってゆく。


「あのさ……!」

 

 俺は立ち上がってウサギを呼び止めた。ウサギは振り返る。

 

「リアルのやり方が正しいのかどうかわからない。だけど。なんて言うか……正解はないと思うんだ」


 そう、正解はない。考えながら話す。どこに着地すればいいんだろう。 


「リアルは本気なんだ。できっこないと思うけど、世界を変えようと、あいつは本気で考えてる。……それだけは信じていいと思うんだ」

 

 自分で何を言っているか、よくわからなくなった。でも、伝えなきゃいけないと思って必死に言葉にした。上手く伝わった気はしない。


 ウサギは一瞬驚いたような顔をして、それから笑った。

 俺はまだ温かい豚汁をゆっくりと食べた。ちょっと味噌が少ないんじゃないか? そう思った。

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