(4)会社をクビになったお父さんの気持ち

 軽い。退学とはなんと軽いものか。

 俺は一枚のプリントをひらひらさせて、廊下を歩いていた。

 プリントにはごもっとな理由と退学の文字が書かれており、ご丁寧に学校のハンコが押してある。

 退学? たいがくってなに? おいしいの? 俺は完全に思考力を失っていた。

 あの時、俺にはチャンスが与えられた。


「……ですが、あなたが磯部リアルとの付き合いをやめるというのならば、今回は取り消しましょう」


 鈴原はそう言った。やっぱり、こいつの目的はリアルだったんだ。

 本人ではなく、周りの人を責めるなんて、なんて卑劣なやり方だ。俺は頭に血が上って、反射的に答えてしまった。


「い、嫌です……!」

「そうですか」


 こうして晴れて退学が確定した。

 俺のバカ……。熱血ぶりやがって。

 さっきから同じ場面を何回も頭の中で繰り返しながら、過去の自分に非難を浴びせていると、向こうから吉村先輩が歩いてきた。

 青い顔をして、手には俺と同じように紙を持っている。


「あれ? 吉村先輩……」

「あ、愛菱さん。まさかあなたも!」


 吉村先輩は自分の持っている紙を俺に差し出した。

 そこには、退学という文字がプリントされていた。え?


「弾圧ですよ。他にもいるようです。木崎と、田沢、ほら先日相談させていただいた女子二人です。それと、同じクラスの漫研の部長もです。これは僕たち、磯部さんを慕う者に対する弾圧に違いありません」

「だん、あつ……」


 だんあつってなに? おいしいの?


 相変わらず俺の思考回路は完全に停止している。

 気づくと、スマホにも何件かのメールが入っていた。どれも先日の参加者からで、退学処分をくらったという内容だった。


「どうでもいい内容を膨らませて、罪を作って退学処分です。僕なんか購買のものを盗んだという罪です。そんなことするわけないのに。この前、カバンに知らないパンが入っていたので、誰かが間違って入れたのかと思って先生に提出したんです。完全にハメられましたよ。その先生が副校長に証言したというのです」


 俺はぼーっと聞きながらリアルのことを考えていた。

 ウサギがいなくなってリアルは取り乱した。俺にそばにいてと言った。リアルは身内に何かが起こるとパニックを起こす。


 俺たちに起ったことをどう伝えよう。リアルの悲しむ顔は……あまり見たくない。


「やってくれるじゃないの」


 え? 


 いつの間にかリアルが吉村先輩の隣に立っていた。

 腕を組んで仁王立ち、口の端を上げて、ニヤリとしている。いつもの戦略家の顔だ。


 しかしこの反応……おっかしいなぁ。俺は身内じゃないってこと?


「鈴原。あいつ、最近おとなしいと思ったら。しかも君たちを退学処分にするなんて。私をクビにできないから各個撃破に出たって訳ね。太陽と月の教を信じると、悪いことが起こるって印象付けたいんだ」

「磯部さん! 許せません! 僕らはこんなことでは屈しません! 僕は戦います! 父も応援してくれると思います」


 吉村先輩は勇ましく言う。戦う? 戦うってどうするんだこの人は? 退学は即時。俺たちは学校にはもう、来れないんだぞ?


「大丈夫。神は私たちを見捨てない。ここで慌てたら相手の思うつぼだよ」


 確かに。今暴れたりしたら、本当の退学の理由を作ってしまう。


「まずは従う。そして、祈る」

「わかりました! 木崎と、田沢、それから漫研の利根川にも伝えます」


 そう言うと、吉村先輩は去っていった。


「リアル……」

「言った通り。まずは従って。そして例の全校集会で決着をつける!」


 リアルの目は怒りに燃えていた。

 俺は少し嬉しいような気がした。


「でもリアル、ウサギは……」


 その名を聞いて、リアルは唇をぎゅっと噛んだ。


「ウサギは生きてる! 絶対に! それに、ウサギは来てくれる!」

「そ、そうか……。そうだよな!」


 カラ元気でも、出せば少しは気分が明るくなるものだ。



◆◆◆



 停学とは違い、流石に退学は親に言い出しづらかった。


 いかに能天気な俺の親といえども退学はさすがに驚くだろう。幸い、まだ学校からの連絡は来ていないようだ。鈴原の目的はあくまでリアルだから、まだ撤回の余地を残しているのかもしれない。


 次の日、俺はとりあえずいつもの時間に起きて、いつものように朝ごはんを食べて家を出た。会社をクビになったお父さんってこんな気分なんだろうな。

 玄関を出てから、隣の家との狭い隙間を進んで家の裏手に回る。そこで制服を脱いで、鞄に詰めた私服に着替えた。制服でうろうろしていてはすぐに捕まってしまう。それから塀をよじ登って、向こうの通りにジャンプした。この時間、この狭い通りを通る人はほとんどいないけど、一応左右を見渡して誰にも見られていないことを確認する。大丈夫だ。


 今の俺にできることは一つ。ウサギを探すことだ。幸い、時間はたっぷりある。


 あてもなく、俺は街を歩き回った。

 街の高いところから探して、徐々に坂を下って海側へ捜索範囲を広げてゆく。ショッピングモール、公園、駅、商店街。なかなか手掛かりは見つからない。こうなったらしらみつぶしだ。


 あっという間にお昼に差し掛かり、腹も減ったのでコンビニでおにぎりを一つ買った。

 ちょうど近くに公園があったので、ベンチに腰を下ろす。寒い中歩き回ったから、手先がうまく動かない。


 近くではボランティアが炊き出しをしている。ホームレスの人がベンチや花壇のヘリに座って、湯気が上がる温かい食べ物をかき込んでいる。いいなあ……。


 イメージ通りのホームレスも多かったが、若くて服装もきれいな人が多くて俺は驚いた。あの年齢で職を失ったのだろうか。


 あの人たちは俺の未来かもしれない。高校を中退して、中卒で、仕事にありつけなかったらどうしよう。勢い、退学を受け入れてしまったが、急速に不安が募ってきた。俺、大丈夫なのだろうか……とりあえず、おにぎりを食べよう。


「豚汁、いかがですか?」


 もそもそとおにぎりを頬張っていると、ボランティアの人が豚汁を差し出してくれていた。白い発泡スチロール製の容器に入った湯気の立つ豚汁。細く白い指が容器を支えている。

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