第8話 ウサギ
(1)ただの女の子
「どうしたんだろう、手紙も何もないし全くわからない! ウサギは出かけるなら置手紙をするんだよ、しっかりした子だから! コンビニに行く時だって! ああ! 一人にしなきゃよかった! どうしよう!」
いつも冷静なのに、慌て方が尋常じゃない。
「い、今行くよ! ちょっと待ってて!」
電話じゃ埒が明かないと思って、俺は、バタバタと階段を下りた。
両親がリビングから顔を出し、青春だなあ、ととぼけたことを言っている。
俺はスニーカーをつっかけて、真っ暗な住宅街を走った。
電柱の下の暗がり、ポストの向こう側、公園の街灯の下、ウサギがその辺にいるかもしれないから、辺りを見回しながら走った。
ほんの二、三分の道のりが長く感じる。
リアルにはついて行けないと思って出て行ったのか? ありそうなことだ。でも真面目なウサギなら、ちゃんと別れを告げそうな気がする。だったら何故……?
俺は一つの可能性に思い至った。この前ウサギは一人の時に魔王と接触したと言っていた。また同じことが起きたらどんなことが起こるのだろうか? つまり、再び魔王と接触していたとしたら……。
街路樹の向こうにリアルのマンションの頭が見えてきた。
オレンジと白の光が点々と点いている。
その角を曲がればエントランスが見えるはずだ。
「あっ!」
角を曲がった瞬間、人にぶつかりそうになって、慌てて俺は進路を変え――。
ガサガサッ
派手に植え込みにつっこんだ。
枝が、露出してる肌をひっかいて服の上から刺す。
「い、いってぇ……」
「ユウ!」
見上げると、ピンクの髪……。街灯の白い光を背に、リアルがそこに立っていた。
「ユウ!」
リアルはもう一度そう言うと、事もあろうか、植え込みに半分埋まっている俺に抱きついてきた。
「わああああああ!」
軽いとはいえ、人一人の体重が乗っかり、当然のごとく俺の体はさらに植え込みに埋まった。
「ご! ごめん!」
今頃気づくと、リアルは立ち上がって、俺を引き起こしてくれた。
リアルは俺がクッションになってほとんど無傷だが、俺は傷だらけだ。
「い、一体どうしたって言うんだよ!」
俺はまとわりついている草を払いながら言った。
街灯に照らされるリアルは、泣いているようで、頬がキラキラと輝いている。
「ウサギが……!」
「いなくなったのはわかった! 何か思い当たる節は?」
リアルはふるふると顔を横に振った。
「わ、私に愛想が尽きたのかな!」
「いや、俺もそう思ったけど……」
「だよねええぇぇ! 自分の話なんかしなきゃよかったあぁぁ!」
リアルはわあわあ泣き出す。何となくわかってきた。この子は他人はコマとしか考えていないが、身内にはとことん甘える性質なんだ。だから、身内が離れると激しく動揺する。
「お、落ち着いて! それだったら、言ってからいなくなる気がするんだ」
「そ、そうか! そうだよね……! だとしたらなんで……抱きついたり、ほっぺにちゅーしたりしてたからかな!」
「……そんなことしてたのか……!?」
「だって、小さくて可愛いんだもん! 反応も面白いんだよ、はわわわって……」
動物を可愛がるみたいな感じなのだろうか? 女子のそういうスキンシップってよくわからない。
「いや、そんな事じゃないんじゃない? だったらもっと早くいなくなっている気がする。それよりさ、また魔王と接触した、ってことないかな」
リアルは驚いた顔をした。
「そ、そっか……」
自分が原因だと思い込んで、他の可能性に全く気が回っていない。らしくない、というか。
「ウサギは魔王の魔法でこっちの世界に来たんだ。わからないけど、もしかして、逆に戻される事もあるんじゃないかって」
「確かに……」
「魔王にとっては、この世界唯一の魔法使いは邪魔なはずだ」
リアルはあごに手をやって必死に考えている。
「もしくは」
俺は、今のリアルに言うか言うまいか迷ったが、考えられる最悪の可能性を口にした。
「ウサギは魔王を引き込んでしまった責任を感じていると思う。それに、魔王は命をたどるって言ってた。その……つまり」
その先は言いにくい。
「ウサギが死んだら、魔王はこっちの世界に来れないんじゃないか……? だからウサギは自ら……」
リアルの目に涙があふれる。
「わ、わあああああ!」
「いや待て待て! これはただの仮説で!」
リアルにとってウサギはそれだけ特別な存在だったのだ。神が遣わした、とも言っていた。それに、自分の妹に設定して短い間だが一緒に住んでいたのだ。家族同然と言ってもよいだろう。
「もし。もしだよ。俺の考えが正しいとしても、まだ間に合うかもしれない! 探そう!」
俺は茫然とするリアルの肩をつかんで言った。細い肩。今のリアルは、ただの女の子だ。
「う……うん」
リアルはそでで涙を拭きながら言った。
「どこか、当てはある?」
「いや、全然……ウサギが行きそうなのはコンビニと、スーパー、それに図書館くらいしか……家で本を読むのが日課だったし」
「図書館もスーパーももう閉まってるな……」
俺はウサギと行った所を思い出した。
「神社、丘の上の公園……」
どこも決め手はない。
リアルも良いアイデアは浮かんでいないようだ。
「どこだろう……。とにかく全部行ってみよう」
「うん」
「手分けする?」
リアルが、俺の袖を引っ張って、顔を横に振る。
「そばにいてよ……」
どうしちゃったんだ?
逆光の中、目と唇だけが艶を持っている。俺も友達にカウントされているのだろうか。
どうしちゃったんだ……俺。
こともあろうに、この破天荒な女の子に少しばかりドキッとしてしまった。
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