(4)ウサギがいなくなった!
しまった……! 背筋に悪寒が走る。俺は一連のやり取りを観察するのに夢中で、すっかり見張りを忘れていたことに気づいた。
リアルの視線が俺に刺さっているような気がする。もちろん目は合わせられない。
幸い、まだ春日は状況を把握していないように見える。ここは俺が何とかせねば!
「先生、な、何も!」
俺は発言してしまったと思った。あー、これ完全に何かあるときに言うやつだ!
「あ! 磯部!」
俺の声が届いたのか届かなかったのか、春日がリアル気づいた。
終わった。
「そうか! おまえ、このチラシの話だな!」
春日はポケットからしわしわのチラシを取り出して、突き出し、前進し始めた。
身を寄せ合って警戒する一同。
退学の二文字が浮かぶ。まずいまずい!
俺はとっさに走りだすと、春日に飛びつくと、後ろから羽交い絞めにした。でも身長も体格もだいぶ違うから、大男にまとわりついている子どもみたいな感じになった。
「みんな! 逃げろ!」
俺は叫んだ。
一同は一瞬ぎゅっと委縮したが、すぐさま動き出すと散り散りになって、複数あるドアから去っていく。
よ、よし!
と思った瞬間、床がぐにゃりと曲がった。
「!?」
規則的に並ぶ光が見える。鉄骨も。――天井だ。
背中にわずかに痛みが走る。
「あ……あれ?」
春日が俺を見下している。
どうやら投げられたらしいと、俺はようやく気づいた。さすが体育の教師、一瞬の出来事だったし、ほとんどダメージもない。安全に、完璧に投げられたのだ。
そこで俺は気づく。
逆さまのリアルが、腕を組んで仁王立ちでいる。……水色のしましまパンツが見える。
やっぱり校則違反してるじゃないか。あの時下着チェックされてたらどう言い逃れするつもりだったんだ? いや! そんなことはどうでもいい! 何でリアルは逃げていないんだ! せっかく俺が体を張ったのに!
「どうした? 逃げないのか?」
体育教師が口の端を上げて、鼻息荒く言った。
リアルは相変わらず涼しい顔をしている。俺は何とか体を起こした。
「だって、逃げる必要ないから。先生。それ、ちゃんと読んだ?」
リアルはチラシを指さす。
「何? 一通りは読んだぞ。世界が滅ぶとか……!」
「私が本気だったら、そんなチラシにすると思う?」
「え?」
「怪しいじゃんそのチラシ」
「ん? そ、そうか?」
「だってさ、先生それで信じる?!」
「い、いや……」
「でしょ?」
春日は思わぬ肩透かしに戸惑っている。
そうか、リアルはこんな事態を考えて妙なデザインにしたのか。このデザインなら時に笑い飛ばせるし、一方では信じる人もいる。
「ま、それは置いといて」
リアルはさっさと話題を変えた。
「今日は、この学校の愛好家が月を見に集まっていたんだよ。見てください。ここはちょうど、窓枠に月が収まるんです。今日は空気が澄んでいて月を見るにはちょうどいい」
春日は月を一瞥してすぐにリアルの方を向き、勝ち誇ったように指さした。
「しかし、逃げたぞ! お前の仲間は! 後ろめたいことがなければ逃げないはずだ!」
「犬だって追いかけたら逃げるよ」
リアルはきゃははと笑った。
体育教師は顔を真っ赤にして、突っ立っている。
「と、とにかく、もう遅いから帰れよ」
春日はもうなにも指摘できなくなって、ようやく口を開いたと思ったら、普通のことを言って去っていった。
俺は体育教師の背中を見送った。
助かった……。これでリアルが即時退学になる事態は防げた。
一瞬ほっとしたが、俺は思い出した。俺がヘマをしなかったら、そもそもこんなことにはならなかったのだ。
リアル、怒っているだろうか。俺はおそるおそる振り返った。
リアルは――。
「ふ、ふは。くくく」
笑っている……。
「きゃはは! ありがとう、君はいつも面白い」
「面白い?」
まあ、勝てもしない相手に挑んだり、公衆の面前でパンツ一丁になるやつは面白いだろう。
「もうこの際言ってしまおう。私は、君に興味があるんだ」
ん! それってどういうこと!? 俺は一瞬完全に静止した。
まさか……! リアルが俺を見つめる。ピンクの髪が揺れている。
「君はいつも自分を投げうって人を助ける。人類のことを考えたら、私を助けるのは良いことだと思う。それは納得できる。けど、普通は自分を守る。君は興味深い」
……いや、そういうことね。研究対象的なやつね。
何かを期待したオレがバカだった。
◆◆◆
『私たちは、負けてはなりません。迫害に屈してはなりません。愚かなものがその罪に気づくその日まで、祈るのです』
俺は家に帰って自分の机に座ると、スマホを取り出した。
リアルから来た文章をコピペして、今日集まった信者たちにメールを送った。
「外敵は集団を結束させる」
リアルの言葉が思い出される。
作業を終えると、スマホを置き、制服をハンガーに掛けた。今日もなかなか大変な一日だった。教師を羽交い絞めにして投げられるなんて、俺の人生でそんなイベントが起るとは思わなかった。
またスマホが鳴った。
メールの返信かと思ったら、なかなか鳴りやまない。
見ると、リアルからの着信だ。
いつもはメッセージで電話なんてほとんどないのに――。
俺はイスに腰掛けてから、落ち着いて通話ボタンを押した。
「ユウ! ウサギが!」
聞き慣れないリアルの慌てた声が聞こえてくる。
「え? ウサギ? ウサギがどうしたんだよ?」
「ウサギが! いなくなった!」
「ええ!」
がたーん。
俺は急に立ち上がってしまい、イスを派手に転がした。
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