(3)直前の記憶
録音されたチャイムがスピーカーから流れ、授業が終わった。
ウサギはこの世界で数日しか授業を受けていないが、すでに立派な生徒になっていた。
日本人離れした容姿と、リアルの妹というプロフィール、そして初日の事件。最初教師たちはウサギを警戒した。が、授業中進んで発言し、聡明な質問を投げかけるその学習姿勢を見るや、他の盆百の生徒よりもよほど優秀でやりやすい生徒だと思うようになった。
同じようにクラスメイトもこの不思議な生徒に一目置くようになっていた。
どこの世界でも、学校というものはあまり変わらないな、とウサギは思った。同じ年の生徒と共に同じことを学び、同じようなことを考える。既に学校というものを卒業していたウサギにとっては、学校の光景は懐かしかった。
「ウサギちゃん、部活とか入るの?」
「いいえ、今のところは……」
「前の学校はどんなところだったの?」
「とても美しい所でしたよ」
「ウサギって本名なの? 珍しいよね。あ、でもリアルも本名だからそんなにおかしくないか」
ウサギはリアルが作った設定を崩さないように注意しながら、クラスメイトからの質問に要領よく答えた。
あの騒動以来、ウサギは教室で祈るのは控えている。本来は毎日欠かしてはいけない祈りだが、この世界であまりに目立つのも不利だ思ったのだ。
だから、皆、もう宗教のことはすっかり忘れてウサギをただの転校生だと思っていた。ウサギもまた、学校で授業を受けているときは、ただ勉学に打ち込み、色々なことを忘れることができた。
クラスメイトと少しのおしゃべりをし、居残って今日の授業の復習を終える頃には、教室に生徒はほとんどいなくなった。
さっきまで雲一つなく晴れていたが、風が強くなり、暗い雲が流れてきている。雨が降るかもしれない。
さ、帰りましょう。リアルとユウはどうしてるかしら。ウサギは教科書とノートを整えて、立ち上がった。
「ウサギ」
突然、声が聞こえた。誰かがウサギを呼んだのだ。
声は教室の入り口から聞こえた。ウサギは声のしたほうを見るが、誰もいない。
確かに聞こえたのに。不思議に思って、廊下に出て左右を見渡す。遠くの方に生徒が何人かいるが、あの生徒たちではない。
もっと近くから聞こえた……。丁度この入り口から呼んだような声だった……。
「ウサギ」
また、声がした。
今度は背後だ。ウサギが振り返ると、人の影がチラッと見えて、曲がり角の先に消えた。
ウサギは影を追って走った。
角を曲がると踊り場があり、上に登る階段と、下に降りる階段がある。影がどちらに行ったかはわからない。
「ウサギ」
上からだ! 声は上から降ってきた。ウサギは階段を駆け足で登る。
いた!
影はウサギの少し先を登っていた。
どうも高校生にしては少し背が小さいように見える。小学生くらいだ。ただ、なかなか素早い。ウサギはペースを上げる。
おかしい。
ウサギは違和感を覚えた。校舎は三階建てだが、すでに三階以上登っているように思えた。
だが、構わず進む。息が切れてきていたが、徐々に距離は狭まった。
最上階の、屋上に出る踊り場までくると影は足を止めて振り向いた。
その姿は逆光でウサギからは見えない。
「久しいな。メンリアルモ・ウサギ・ワラコメッシローアン」
ウサギは、びくりと体を震わせた。
「その名は……」
ウサギの本名である。
「神官様、どうじゃこの世界の住み心地は」
雲が太陽を隠したのか、逆光が弱まる。
その姿は。
「ま、魔王……!?」
ハーフパンツにキャラクターがプリントされたトレーナー姿で、髪は黒。魔王には本来あるはずの大きな角もなく、どこにでもいる小学生にしか見えない。顔つきもウサギの知っている魔王のものではない。
が、その威厳に満ちた気配は、間違いなく魔王のものだった。
「こうして再び会えて嬉しいぞ。そなたが正解のようじゃ」
「せ、正解? いったい何を言っているの!」
「ふむ。そうか、直前の記憶が欠けているのか。ならば教えてやろう」
魔王はそう言うと、ゆっくりと語り始めた。ウサギと魔王が初めて対峙したあの日のことだ――。
風が強く吹き、屋上に出るアルミの扉をガタガタと揺らす。空には重い雲が立ち込めている。
時折、雲の切れ間から光が差すが、すぐに隠れてしまう。
「――なにせ大きな魔法でな。少しばかり時間はかかる。だが、あと少し」
魔王は自分の足元に何かを置いた。ウサギの位置からは良く見えない。
また会おう、神官様、そう言うと、魔王の気配は、消えた。
風が強く吹く。
そこにはただの小学生が、ぽかんとした顔で突っ立っていた。
「あれ? おねえさん、だれ? ここはどこ?」
ウサギは膝をつき、肩を抱いて震えている。
「おねえさん、大丈夫?」
小学生の女の子が心配そうに顔を覗き込む。
雲が、速く流れる。
ウサギは今や、全ての記憶を取り戻した。
◆◆◆
俺は両親に停学の事を話そうか迷っていた。二日間くらいならごまかせる気もする。いつも通り家を出て、どこかで時間をつぶし、夕方戻ってくればいいだけのことだ。
日中は図書館か、もしくはリアルの家にでも行っていようか。
「停学になったんだって!?」
突然、両親が訪ねてきて。俺の算段はあっけなく無意味になった。ご丁寧なことに、学校からすでに両親に連絡が入っていたのだ。
怒られるかと思ったが、母も父も、嬉しそうだった。
「お前が停学ねぇ」
夕食を食べ終わってから、父はダイニングテーブルに肘をついて満足そうに俺の顔を眺めた。
「この子はもうダメだと思っていたわ。おとなしくて、何をやっても中ぐらい、特技もなく、このまま薄ぼんやりと人生過ごすのかと思ってたわ」
母親も参戦する。実の息子になんてことを言っているんだこの母親は。
「あのさぁ」
「いいじゃない、少年! 池に飛び込むなんていい度胸しているわ」
母は食器を片付けながら通りすがりに俺の肩をポンポン叩く。
息子が道を踏み外そうというのにお気楽な両親である。
まあ確かに、生まれてこの方、できるだけ正しそうな道を選んできた。だがここにきて、思いっきり踏み外しつつあるのは自覚している。正直、自分でやっていることが自分でもよくわからない。
もやもやとしながら食事を終えて自室に戻ると、珍しくスマホが着信を告げていた。
リアルだ。
「どうしたのリアル? 電話なんて珍しいじゃん」
「いや、結構ヤバいことになってきた。うち、来れる?」
「今から?」
「当たり前でしょ! どうしてわざわざ電話してると思ってるの?」
ええ……。もう八時だよ。しかも明日から停学だってのに。と言いたかったが、仕方がない。
「行くよ、行きますよ」
俺は一応、両親に見つからないようにこっそりと家を出た。見つかっても何も起こらないと思うけど……いや、むしろ喜ぶかもしれない。それはそれで嫌だ。
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