(2)だから私は、世界を支配したいんだ

 俺たちは教室に戻ると、ざわざわするクラスメイトを尻目に、荷物をまとめてそそくさと下校した。

 ウサギを誘ったが、勉強熱心なことに、一人で授業を聞いてから帰るという。

 ウサギはもう一人で電車にも乗れるし、買い物もできる。現代人となんら変らない。でも、まだ元気はない。


 俺とリアルはぶらぶらと人気の少ない道を歩いた。学生はまだ授業中だし、サラリーマンも働いている時間だ。夕方の買い出しにはまだ少し早いから主婦もいない。いるのは暇な老人ばかりだ。

 ずっと向こうまで銀杏の並木道が続いている。黄色い葉で埋め尽くされた道は、なだらかに下っており、行きつく先は海だ。リアルとは中学の時からこの道を通って一緒に帰っている。

 ふと日常が戻ったという感じがする。

 リアルが口を開く。


「宗教を作りたかったんだよ、私」

「え?」 

 

 何を言っているんだ、この人は。


「つまり、前から作りたかったってこと? ウサギが来る前から?」

「そうだよ。私ね、世界を支配したいと思っていたんだ」


 せかいをしはいしたい?

 リアルは遠くの海を眺めてる。

 リアルの言っていることはいつもわからないが、今回は輪をかけてわからない。俺は、ぽかんと口を開けるしかなかった。


「ほら、見てよ」


 リアルは、十メートルほど前を歩く男を指さした。男は黒っぽいスーツを着て、黒い革の鞄を片手にぶら下げており、反対の手で煙草を吸っている。


「この地域は歩きたばこは禁止されている。周知もされているし、そこに表示もしてある」

 

 よく見ると地面に歩きたばこ禁止のプリントがなされている。


「でも、なぜ吸っていると思う?」

「なぜ? 考えたこともない。知らなかったから? いや、でも表示してあるな。法律を破っても吸いたい中毒者だとか」

「その可能性もあるけど」

「ああいうのって警察に見つかったらやっぱり捕まるのかな。だとしたら、吸いたいのと、警察に見つかる確率を天秤にかけて、大丈夫だと踏んでるとか」

「はは。なるほどね。でもさ、そんなに計算高いんだとしたら、肺がんとかになるリスクやお金を無駄にすることを考えて、タバコは吸わなくない?」

「確かに……。そんな損得勘定ができるなら吸わないかも」

「私の結論はこう。ああいう人は、いつでも自分の欲求が優先されて未来の計算ができない。見つかって罰金を払うリスク、人に非難されるリスク、健康を害するリスク、資産を失うリスク、すべてのリスクを一つも理解できていない」


 ううむ。そうなのだろうか。全員が全員そうだと言い切るのは乱暴だと思うが、確かにそういう人もいるかもしれない。


「じゃあここからが大事。あの人に煙草をやめさせるにはどうしたらいいと思う?」

「法律……」


 そうつぶやいて俺は固まった。法律で禁止できるのならば、今、あの男は吸っていないはずだ。だって、道路に表示がしてあるのだ。


「法律じゃなければお金、つまり税金を高くする……ってのもあまり効かないのかな。今、煙草ってすごい高いらしいよね。他には……世間の目? いや、法律も無視するようじゃ、世間の目なんか気にしないだろうし……」


 一体どうやったらあの男を止めることができるのだろうか。思ってもない難問に直面し、俺は考え込んでしまった。


「方法は二つある」

「二つも!?」


 リアルはピースサインを作って見せた。


「うん、二つ。一つ目は暴力。暴力でやめさせることができる。拳銃を向けて煙草をやめろって言う」


 リアルはピースサインを銃の形に変え、こめかみを撃つしぐさをする。


「え、そんなのあり? 確かに拳銃を向けられたらやめるだろうけど……」

「銃じゃなくても、別にナイフだっていい。でもさ、暴力は怖いし、嫌な手段だよね。もう一つの手段は、もっと気持ちよく解決してくれる。こっちのほうがずっといい」

「な、なに?」

「答えは信仰。自分が心から信じる神さまがダメと言ったらやめる」


 信仰。

 ある宗教では特定の動物を食べないと決めていたり、ある場所に入ってはいけないと決めていたりする。禁止されていることを不満に思っているわけでもなくて、むしろ進んで従っているようなイメージがある。


「あの煙草の人は、自分の信じる神様が煙草をやめなさいと言えば喜んでやめるよ」

「待って。考え方、じゃダメなのかな。思想というか」

「思想はもうあるじゃん。煙草は健康に悪いって思想が。いや違うな、健康は正しいって思想が。でも、効かない。なぜなら思想は強制力がないから」


 でも宗教はやめられない。リアルは暗にそう言っている。

 煙草男が、ごく自然なしぐさで吸殻を路上に捨てた。特に悪気も意図もなく、いつもそうしているから、そうしたのだろう。まだ先が赤く、火が消えていないのが遠目にもわかる。

 リアルの瞳がその火を映しているように見えた。


「ねえ、理想の世界ってどんな世界だと思う?」

「理想? 考えたこともない」

「ふーん。普通は考えないんだ。私はいつも考えてるよ」

「どんな?」


 破天荒なリアルが考える理想の世界、どんなだろう。


「争いがなくて、みんなが楽しく暮らせる。それが理想の世界」 

「へえ……」


 もっと突拍子もない世界が飛び出すかと思ったが、その答えはとても平凡だった。


「だってそうでしょう。人と人が争わず、差別もせず、お互い思いやって生きられたら。そして好きなことをして楽しく暮らせたら最高じゃない?」


 確かに。平凡だけどそれって一番幸せなのかもしれない。俺は頷く。


「だから私は、世界を支配したいんだ」


 なんで幸せな世界と支配が結びつくのか。


「いやいや、待って、なんか話が飛んでる」

「飛んでない」

「飛んでるよ。ボンクラね。私が世界を支配する、そうしたら幸せな世界になる。そう言えば納得する?」

 

 その表情に、嘘も、恥ずかしさもない。リアルは心の底からそう思っているのだ。本当に、不思議な人だ。


「そのためには宗教が最強なんだ。もちろん、私は本物の宗教家じゃない。神託も受けていないし、神の生まれ変わりでもない。ただの人間。だから、宗教が最強なのはわかってるけど、作ることはできないと思ってた。残念だけどこのアイデアを妄想で終わらせるつもりでいた。でも、ウサギに出会ったんだ」


 リアルは普段自分のことを話さない。だから、リアルにどんな家族がいて、どんな過去を持っているのか、俺は知らない。そんなリアルがこんなに語るなんて珍しい。


「これこそ、神が遣わしたってやつだと思った。ウサギの魔法を使えば、実現できるんだ。強い魔法はいらない。暴力はいらない。少しの魔法があれば世界を支配できる」


 この前、何で布教したいかを尋ねたとき、リアルは面白そうだからと答えた。それは嘘だったんだ。リアルは、本気だ。

 リアルは俺の顔をちらっと見て、慌てて手を口に当てる。


「あ! しゃべり過ぎた!」


 顔が真っ赤だ。


「いや、君には一応説明しとかなきゃって、思ってたんだよ! 巻き込んじゃったし……」

  

 リアルは目をそらして口を尖らせた。


「巻き込んだって? 池のこと?」

「その他も色々……」  


 この天衣無縫を地で行くような女の子に、そんな可愛らしい罪悪感があったとは。俺はちょっと面白くなってしまった。


「巻き込みまくりだよ!」

「う、うるさい!」


 ピンク色の常識外れの女の子が、いつもより少しだけ人間らしく見える。

 そして一つの疑問が沸いた。どうしてリアルは世界を支配しようなんて思ったのだろう? 普通に生きていて、そんな風に思うことがあるのだろうか。なにか、人に言えない過去の重大な出来事があるのだろうか……?

 俺はいつもリアルと一緒にいながら、この女の子との子を何一つ知らないのだ。

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