第5話 魔王
(1)池に飛び込んだら停学です
俺とリアルは、速攻で生徒指導室に呼ばれた。あれだけ派手に校則を破れば当然だ。疑問を挟む余地はない。
さすがに乾いたタオルと着替える時間は与えられたので、俺たちは急いで更衣室でシャワーを浴びて体操着で春日と対面した。
「お前らは何をやったのか、わかっているのか!」
校則うんたらが我が校の生徒としての……。春日は得意の高圧的な態度でまくしたてる。でも、俺は気づいていた。この教師はさっきから同じことを繰り返している。
不良のリアルと違って俺は生徒指導室なんて来たことがないから、最初は緊張した。でもリアルのいつもと変わらないだ態度のおかげで、すぐにリラックスしてしまった。春日は声と態度が大きいだけで、底が浅い事にもまた、気づいてしまった。
「校則の第6じょぶっ!」
絶妙なタイミングで春日がかんだ。
真面目な場面とちょっとしたミスの組み合わせほど恐ろしいものはない。俺は面白くなってきてしまい、下を向いて必死に笑いをかみ殺した。やばい、肩が少し震える。
隣のリアルも同じく下を向いて肩を震わせている。
「ぷ!」
とうとうリアルが噴き出した。
そこが限界だった。
「くは!」
先程の無茶な出来事も一緒に思い出されて、声が漏れる。
とうとう俺もリアルも我慢ならなくなり、二人で声を出して大笑いした。体育教師は顔を真っ赤にして何事かを言っているが、全く聞こえない。
そんなこんなでちょうど一時間が経ったとき、副校長が入ってきて、こちらの方を一度も見ずに書類を春日に渡して出て行った。
春日はもう大声を出し過ぎて、疲れてしずかになっていたが、書類を見ると勝ち誇ったような顔でこう言った。
「お前ら、よく聞け。停学二日間だ。ゆっくり頭を冷やせ」
そして書類を俺に押し付けると、アゴで早く出て行けと言うジェスチャーをした。
俺たちは、悪びれもせず、言われた通り生徒指導室を出てまだ授業中の廊下を歩いた。
歩きながら、俺はこの後起こることを想像した。ざわつく教室、憐れむ同級生の目、怒る両親。自分のした事の重大さに、俺は、ちょっとだけ心が痛くなり、正直後悔した。
「ボンクラねぇ……」
リアルがこちらを見てニヤニヤしている。こいつ、心を読んでいる……!
「停学になんてなったら、誰だってちょっと悪かったかなって思うだろ。リアルが普通じゃなさすぎんだよ。普通じゃない!」
「……」
リアルは口をぷっと膨らませた。あれ? 意外な反応。もっと俺をバカにしてくるかと思っていたが……面白いので、俺はいつもの仕返しに煽ってみることにした。
「どう考えても普通じゃないだろ。池に飛び込んだり、教祖の真似事をしたり! 普通の女の子はそんなことしないよ」
リアルのピンク色の髪は濡れてぺしょっとしていて、肌はいつもより透き通っているように見えた。ほんのり石鹸のにおいがして、不覚にもドキドキしてしまう。
「ううう!」
え! 口達者なリアルが反論できない。こんな面白いことがあるだろうか。
「普通の子は教師にケンカ売ったりもしない!」
俺はリアルを指さして、とどめを刺す。
「うう! うわああああ!」
何ということだ。リアルは何かを叫んで、走ってどこかへ行ってしまった。
俺は生まれて初めてリアルに勝った……! だからどうってことはないけれど。
◆◆◆
毛足の長い絨毯に重厚なインテリアが配され、ガラスケースには盾やトロフィー、賞状の類が飾られている。校長室は創立五十年を越える伝統ある学校にふさわしい威厳ある空間に仕上がっている。
窓の向こうは夕暮れの赤っぽい光に満ちている。
「あり得ません!」
鈴原やよいは、応接用のソファーに浅く腰掛け、テーブルを平手で軽く叩いた。
ぱちん、という程度だったが向かいに座る校長をびくりとさせるには充分であった。
「まあ鈴原副校長、いつものことではありませんか」
校長が鈴原をなだめる。校長は、ソファに深く腰かけ、茶色っぽいハンカチで汗を拭いている。
鈴原は構わずつづけた。
「いつものことだから許せないのです。何度注意しても素知らぬ顔。教師をバカにしています。もう私は我慢の限界です」
「彼女はきっと東都大、いや、外国の大学に進学するかもしれない、有望な生徒ですよ。陸上の全国大会にも出ている。素行が悪いと言っても、何も夜の街で遊びまわっていたり、いじめをしているわけでもない。授業だって真面目に受けている。そもそも、頭髪だって制服だって、ちゃんとした書類を提出しているじゃないですか。もし他の親からクレームが入ったとしても、充分に説明がつく」
校長の視点はいつも校内より校外、生徒より親だ。
これで教育ができるか、鈴原はいつもそう思う。
「彼女を、磯部リアルを退学処分にしてください」
「いやいや、鈴原先生落ち着いてください。一方的な主張で退学処分にはできません。それこそ問題になる」
「あの生徒は、他の生徒に悪い影響を与えます。校長、私はこの学校をより良くしてほしいと乞われてこの学校にやってきました。その時の条件を、覚えておいでですか?」
校長が苦い顔をする。
「私の好きなようにやらせる。それが条件でした。まさかお忘れではありませんよね」
しばらく前、校長は学校のイメージアップのために、学校改革を売りにすることを考えた。改革、と言えば何か新しい取り組みをする学校というイメージができる。中身はどうでもよく、それだけで志望者も増える。私立の学校はビジネスだ。人気を上げて客を集めなくてはならない。校長はその責任を負っている。だからこそ、他校で名を挙げていた鈴原を引き入れたのだ。
しかし。
とんでもないモンスターを引き入れてしまった……。校長は正直なところ後悔していた。
「若者は、型にはめてこそ輝くのです。形の定まらない、ぐちゃぐちゃしたものを、あるまっすぐな型に押し込むのです。そんな生徒が煉瓦のように積みあがって、学校が輝きだすのです」
きっちりと規則正しく動く、軍隊のような。そういう美しさは存在する。しかし、そのために払う犠牲は少なくない。かつては右と言えば全員が右を向くような人間を作る教育が主流だったかもしれない。しかし、今は違う。校長はそう思っていた。
じょきん。
鈴原は思い出していた。自分が学生の頃に聞いたあの音のことを。
じょきん。
鈍い音が、脳を揺らす――。
「とにかく。停学は二日。池に飛び込んだくらいならば妥当です。これ以上話すことはありません」
校長は一方的に言って話を終わらせた。
鈴原が校長室から出ると、廊下を西日が満たしていた。
面白い、磯部リアル。私が指導できなかった生徒はいないのよ。必ず、あなたを更生させて見せる。
鈴原は廊下の先の一点を見つめていた。横から差し込む光で、顔は真っ赤に染まっていた。
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