(5)ソクラテス



 耳鳴り。

 音のない空間に耐えられず、脳が音を作り出している。

 ウサギは真っ白な空間で、魔王と対峙していた。


「わらわと一緒に行かぬか?」

「な、何ですって!?」


 魔王はゆっくりと言った。


「なに、そなたを殺すことも、この世界を征服することも、そう難しい事ではない。簡単ではないがな。それよりもわらわは、友達が欲しい。そして、共に平和な世界で暮らしたい」

「よ、よくもそんな。あなたが私の世界にした事は許されない」

「わらわの世界の者を救うためだ」

「だけど……! 侵略していい事にはならない!」


 ウサギは言いながら迷った。魔王には魔王の正義がある。その目的は純粋だ。


「そなたらは動物を狩り、食べる。作物の命を奪い、生き延びる。それと同じことよ」


 ウサギは回答に詰まった。

 太陽と月の教はこう教える。侵略は悪だ。でも食物連鎖は否定していない。神はこの矛盾にどう答えるだろう。わからない。


「で、でも! 私は、私たちの命を奪うものと戦う」


 魔王はウサギをまっすぐに見つめた。

 そして、少しだけ肩を落とした。


「思考停止した答えだ。もっとも単純な、な。そなたならば理解できるような気がしたのだが……。買い被りだったようだ」


 そう言うと魔王は赤く長い爪の生えた右手を広げ、ウサギに向けた。

 指先から赤い光がほとばしり、空間がすっかり染まる。


「あ……!」


 ウサギに抗う術はなかった。されるがままに赤に包まれ、声も出ない。


「その赤い光はわらわの空間魔法。そなた、それから、そなたの仲間を、皆別々の次元に送ろう。どこにたどり着くかはわらわにもわからぬ。大半は次元の狭間に落ち、死ぬだろう。だが、誰かが偶然良い世界に……落ち……だろう。わらわは――」


 魔王の言葉が途切れる。所々聞き取れない。

 みんなを!? リューカ様!

 ウサギの意識は徐々に薄くなってきた。


「良い世界に……落ちた……そして、我が世界のじゅうに……」


 魔王の声はもう聞こえない。何か、何か大事なことをウサギは聞いた気がした。


「そなたらは……ちだ」


 そしてウサギの意識は途切れた。



◆◆◆



 奇跡は起きたのだ。

 魔法で起こした奇跡を奇跡と呼んでいいのか微妙なところだが、とにかく、死ぬ間際の病人を一人回復させた。 

 吉村は泣いてリアルに感謝し、リアルはこう言った。


「感謝は私じゃなく、神に。これからも祈りを捧げなさい。そして、困ったことがあればいつでも私に相談して」


 完璧だ。

 これで信じない者があるだろうか。

 吉村はきっと今日も祈っているのだろう。

 主役を演じたリアルは、俺の隣でサンドイッチを食べ終わって、チョココロネをほおばっている。

 中庭の池の水面がゆらゆらと光っている。昼休み、俺たちはベンチに座っていた。

 一月だが日が差して結構あたたかい。

 成功と言える結果に終わったけど、綱渡りだった。一歩間違えば失敗した。

 俺はといえば、完全に荷物持ちに格下げとなった。


「まったく。この私が、あのタイミングで。間違って。電話を鳴らすと思う?」

「いえ……」


 俺はリアルに責められて小さくなっていた。


「おかげで神よ、なんてくさい芝居しなきゃならなかったじゃない。この私が。三回言ったんだから」

「三回言ったの……」

「そう! き、み、が! 着信だけで気づけばよかったのに、気づかないから大声でバカみたいな合図を、送ったの!」

「先に着信で合図するって言ってくれればよかったのに」


 責められてばかりで腹が立って、つい反論してしまった。急にリアルの目尻が上がる。


「そのくらいわかると思ったの! ボンクラにはわからなかったようね! すみませんでした!」

 

 テンションが一段階上がる。……火に油を注いでしまったようだ。


「君は神官様の荷物持ちに格下げね!」


 格下げって、以前は何だったのだろう。

 俺が小さくなっている横で、ウサギはさっきから黙って池を見つめている。


「どうしたのウサギ。さっきから黙り込んで」


 リアルがやさしく声を掛ける。ウサギだって失敗したのに、ウサギは叱られていない。露骨なこの差はどうだ!

 だが、ウサギは返事をしない。


「ウサギ?」

「え!」


 ウサギは驚いてペットボトルを落とした。こぼれたお茶が地面に広がる。


「ウサギ、あれ以来ずっとしずかだよね。魔力が回復してないのかと思ってたんだけど」


 一回目の魔法の後、ウサギはかなり消耗していた。

 魔法が外れたのは丘の上からでもわかった。黄色い何かがもこもこと窓から現れ、外壁まではみ出ているのが見えた。それが窓辺の花だったというのは後でリアルに聞くまでわからなかったが、何かがおかしいことはすぐにわかった。

 ウサギは何とか気力だけで二回目を放ち、見事命中させた。

 だけど、その後ウサギは地面にへたり込んで、杖を抱えて眠ってしまった。なんとかベンチに連れて行ったけど、しばらくはそのまま動かなかった。


「いえ、魔力はもう充分に回復しています」

「具合でも悪いの?」

「いえ……。私、やっぱり何か重大なことを忘れているような気がして」

「前の世界のこと?」

「はい……。大事な部分が思い出せないのですが……」

「それに……」


 ウサギが黙り込んでしまったので、俺とリアル顔を見合わせた。


「私……もうダメです……」


 ウサギは横目で俺たちを一瞥し、地面を見つめ、ため息交じりに言った。

 え? 急にどうしたの?


「魔力が弱くなっているだけじゃない……魔法が、思うようにコントロールできないんです……」

「確かに、一回目は外れた……でも花の成長はすごかったよ」


 リアルがフォローなのか何なのかよくわからないことを言う。


「魔法は、私の手足と一緒なんです……! 何も考えなくても、自在に使うことができたんです。でも今は考えても考えても、どうやって使っていたのかわからない……うまくいかないんです……! 手と足がなくなってしまったみたいなんです」


 未開封のコッペパンの袋に、ぱたっと涙が落ちた。ウサギは赤い瞳から涙を流している。


「きっと罰なんだわ! 驕った私への……うう……。私は、ずっと上手くやってきました。勉強も、魔法もお勤めも。いつも神の子と誉めそやされ、いい気になっていたのかもしれない……」


 ウサギの涙は見る間にあふれ出し、とうとう声を出して泣き出した。


「お父様、お母様……りゅーか様、帰りたい……わあああああ」


 りゅーか様。最初に会ったとき、ウサギが言ってた名前だ。ウサギの大事な人だったんだろう。俺にはそんな人がいないからわからないけど。俺は少しだけ嫉妬して、心底同情した。

 本当は不安だったんだろう。全く知らない土地に投げ出され、親も仲間も友達もいない世界で、ここまでなんとか平静を装っていたのだ。

 俺は隣で泣く女の子に、何もできずにおろおろするばかりだ。

 すると、リアルがすっと手を伸ばし、ウサギを抱き寄せた。ウサギはされるがままにリアルの胸で泣いた。

 ふと、俺は顔を上げた。

 中庭にはまばらに人がいるが、俺たちの事なんか誰も気にしていない。池の水が真上の太陽を映してまぶしく光ってる。枯れた木に残った葉が揺れている。

 しずかな冬の昼間。何も変ったことはない。

 ウサギは異世界の神官だけど、やっぱり普通の一人の女の子なんだ。


「……ごめんなさい。私、取り乱して。ダメですね、信仰が足りません」


 ウサギはぐすぐす言いながら、涙を拭う。


「あのさ。この間、ウサギが言ったでしょ? この世界にはウサギの神様を信仰する人がいないから、魔力が弱くなっているのかもしれないって」


 リアルがしずかに言う。


「え、ええ……」

「あれ、正しいんじゃないかな。信じる人がいない神は力を持たない。そんな例は沢山あるんだよ。ほら、道祖神やお地蔵さん、最近見かけないでしょ?」

「どうそじん? おじぞうさん?」

「ああ、ごめん、ウサギは異世界から来たんだった。道祖神もお地蔵さんも、村を守る石造りの守り神みたいなものなんだ」


 道祖神はあまり聞き慣れないが、お地蔵さんは知っている。田舎に行くと、人型をした小さな石像が道端のお堂に置かれていたりする。それがお地蔵さんで、赤い前掛けをしているイメージがある。都会ではほぼ見る機会はない。


「昔はみんなが拝んだり、お供え物をしたりしたんだけど、村らしい村は現代では少なくなって、誰も気に掛けなくなった。誰も信じない神様は廃れて、やがて忘れ去られる。もし、信者が足りないのが原因だとしたら」

「だとしたら?」

「逆に言えば、信者を増やせば魔法も戻るんじゃないかな」


 確かに……! ウサギも驚いたような顔をしている。


「だから私たちがすべきことは、とにかく信者を増やすこと。話はそれから。それで魔法が戻れば、万々歳。戻らなくても、ウサギは神官としてやって行ける」

「は、はい……そうですね」


 ウサギは弱々しく言った。


「それにさ。魔法が戻れば、もしかして元の世界に戻る方法があるかもしれない」

「そ、そうか……。そこまで頭が回ってませんでした。どうして思いつかなかったんだろう。空間魔法や索敵魔法を応用すれば元の世界を探すことができるかもしれない……」

「でしょ?」


 ウサギの表情が少しだけ明るくなる。

 リアルの予想が正しいかどうかはわからないけど、やってみるしか方法はなさそうだ。


「真面目なんだよ、ウサギは」

「へ?」


 ウサギは顔を上げた。


「優等生過ぎるんだよ。だから、少し失敗しただけで落ち込んじゃう。よし、悪いことしよう! 行け! ユウ!」


 リアルは俺の方を見て、池を指さしている。


「へ?」

「だから!」


 リアルは俺の手を引っ張ると、そのまま走り出した。


「ちょ! おい!」


 俺は転びそうになりながらリアルに付いて走る。リアルが俺の手を強く握る。細い指、思いのほか温かい手。

 わかったよ。

 ウサギを励ますんだよな! リアル!

 リアルの綺麗な横顔が、日差しを受けて明るく光っている。

 俺はそこからむしろ積極的に走った。でも、リアルは速くて追い越せない。引っ張られるように走り、手をつないだまま二人で踏み切ると、俺達は一月の池に飛び込んだ。

 大きな音がして、つめたい水がはじけ飛ぶ。


「きゃははは!」


 リアルが大声で笑う。

 周りからきゃああ! だの、わーだの、いろんな声が聞こえる。注目を浴びている。


「ほら! ウサギ!」


 リアルはベンチで立ち尽くすウサギを促がす。


「だ……ダメです! リアル! 何を言っているんですか! 学校の法を犯しています! 校則は守らなくては! 校則六章十三項、中庭の池にみだりに飛び込むべからず!」


 よく暗記してるな! 校則まで読んでいるとは。流石に裁判官であり、警察である異世界神官様だ。


「悪法は破ってもいいんだよ!」


 もう。この人は無茶苦茶だ。だけど――。


「池に入ってはいけない、は悪法じゃないと思います! それに悪法でも法です!」

「あ、それソクラテス!」


 ソクラテス? なんだっけ? 習った気がする。確か昔のヨーロッパで悪法も法なりと言って処刑された人だ。違ったっけ? なんでもいいけど! 


「寒いよ! リアル!」


 ピンクの髪が濡れて、しずくが滴っている。

 ウサギが向こうで見ている。言っていることに反して、その表情はとても優しかった。

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