(4)本気の祈りと嘘っぱちの奇跡

  リアルは病院に着く少し前に自転車を降りて歩いた。

 神官がロードバイクに乗ってたら嫌じゃない? そう思ったのだ。

 病院のエントランスに吉村はいた。


「やあ。待った?」


 リアルはいつもの気安いトーンで言った。しかし吉村は緊張した面持ちを崩さない。


「祈ったのね。わかるよ、本気の人は、本気の顔をする」


 リアルはニヤリと右の口角を上げた。

 事実、吉村は必死で祈った。医者にはとうの昔に助からないと言われた。藁をもつかむ気持ちだったのだ。


「朝と晩。それだけじゃない。空を見上げてはいつも祈ってた」


 最初、吉村は懐疑的だった。祈れば病気が治る、そんなことはあり得ない、そう思っていた。しかし、祈りを捧げ始めると、不思議なことにその時だけは少しだけ心が楽になった。

 吉村は病院の廊下を歩きながら、リアルにその心境の変化をぽつりぽつりと話した。

 リアルは冷静を装っていたが、内心身震いしていた。

 これだ……! リアルは自分の直感が正しかったことを改めて確認した。間違いない。宗教は、世界を変えられる。荒波のように御し難い人の心を、信仰が支配することができる。

 リアルは高鳴る心を抑えた。

 いや、全ては奇跡が滞りなく成されてからだ。

 病院の緑色で陰鬱な長い廊下の突き当りに病室はあった。


「父さん」


 吉村は父に話しかけた。眠っているようだった。ひどく痩せこけていて、目が落ちくぼんでいる。詳しいことを知らずとも、重い病気に侵されていることは誰の目にも明らかだった。

 リアルは吉村の父を見ながら、遠くに見える公園を確認した。

 窓の桟には黄色い花の鉢植えが置いてある。その遥か向こうに、コンクリートで固められた丘の法面が見え、その上に公園のシンボルである大きな欅の木が見える。

 ちょっと遠かったかな……。


「父さん」


 何度目かの呼びかけに、吉村の父は目を覚ました。そして、ゆっくりと言葉を発した。


「おお、博か」


 その声はか弱く、今にも消え入りそうだった。吉村は嬉しそうな悲しそうな顔で父を見る。

 吉村の父はリアルに目を移すと、目を大きく見開いた。


「か、彼女か! とうとうお前に――」


 吉村の父は一気にそこまで言うと、ゴホゴホとせき込んだ。


「いや、と、父さん!」


 吉村が顔を真っ赤にしてリアルを見た。


「まさか。違います」


 リアルは笑顔できっぱりと言い切った。


「だよなあ。こいつに限って……。しかもこんな美人……」


 吉村の父はがっくりと肩を落とした。

 だよなあって何だよ。と吉村は赤い顔で抗議している。

 そんな吉村を無視してリアルは言った。


「吉村君のお父さん、私は祈りを捧げに来ました」

「え?」


 戸惑う父に、吉村は意を決して告げた。


「父さん、この人は……。この人は、太陽と月の教っていう教団の神官なんだ」

「た、太陽……?! 教団?」


 吉村の父の顔は絶望に変わった。

 自分のせいで、息子があやしい宗教にはまってしまった。そう思ったのだ。


「いや、父さん、言いたいことはわかる。でも、でもいいじゃないか、祈ってくれるって言うんだ」

「し、しかし……」


 吉村の父は何か言おうとして、またせき込んだ。

 やっぱり。父の反応は予想通りだった。誰だってそういう反応をするはずだ。吉村は父の落胆を避けるために言い訳をしようとした。


「俺だって、本気で信じているわけじゃ……」


 そして気づく。

 リアルが吉村を見つめている。その瞳は、真っ黒でどこまでも深い。


「信じてないの?」


 信じている。信じるしかない。でも……。この一週間、信じるか信じないか、繰り返し自分に問うたのだ。

 そしてまた同じ答えにたどり着く。

 吉村は決心した。

 他に道はない。信じるだけだ、何も失うものはない。


「信じてる!」

「OK!」


 リアルは左手に持ったスマホを吉村に見えないように操作し、ユウに電話を掛けた。これが合図だ。電話ならメールやメッセージよりも素早く操作できる。

 スマートフォンはそのままに、リアルはひざまずき、土下座の姿勢から両腕を大きく空に広げた。

 リアルは想像した。今頃、ユウが着信に慌てウサギに告げ、ウサギが呪文を唱えているだろう。そしてあの白い指をこちらに向け、ふっと聞き取れない言葉を発する。すると、吉村の父は回復するのだ。

 額を冷たい床につける。

 静寂が病室を包む。

 風が窓を叩く。

 ――しかし、いつまで経っても魔法の兆候は表れなかった。

 リアルの口が真一文字に結ばれる。あのボンクラ! リアルはユウを連絡係に任命したのを後悔した。

 横目で吉村を見ると、目を瞑り、両手を組んで指を羽の形に広げている。信者用の簡易的な祈りのポーズだ。習った通りによくできているじゃない。――って感心している場合じゃない! リアルは心の中で自分に突っ込んだ。

 ユウは合図に気づいてない。だとしたら他の合図を送らなきゃ!

 しかし、吉村にも、吉村父にもバレてはいけない。あからさまにスマホを使うことはできない。どうすれば。

 リアルはもう一度ユウの行動を想像した。 

 着信に驚き、電話に耳を当てる。けど何も聞こえず、ウサギに意見を求め、再びスマホを耳にする。

 くっそ! 気づけボンクラ! 電話で今から魔法をお願い! なんて言うと思うか! 私が電話を掛ける理由は一つしかないのに! リアルは心の中で毒づいた。そして――。



◆◆◆



 突然、電話が鳴った。

 電話は突然鳴るものだから、突然、とわざわざ言うのはおかしいが、とにかく、がっちがちに緊張していた俺はびっくりしてスマホを落としそうになった。

 何とか落とさずに画面を見ると、リアルから着信が入っている。

 通話ボタンを押して耳を当てるが、ごそごそという音以外、何も聞こえない。

 ウサギがじっと俺の様子を見ている。

 こ、これが合図なのだろうか。この着信自体が。それとも、何かの拍子で間違って通話ボタンが押されたのだろうか? 俺は判断に迷った。耳元のスマホからは相変わらず雑音しか聞こえない。

 どうしよう!


「ウサギ!」


 俺はウサギに助けを求めた。 

 ウサギはすぐさま俺の言いたいことを察知して、じっと病室を見る。


「み、見えません! 部屋で何が起こっているかまでは……!」

「そ、そうだよね!」


 きっと間違いだったんだ。そう思って通話終了の赤いボタンを押そうとした。

 待てよ。何か聞こえた気がして、もう一度だけ、スマホに耳をつけた。


「神よ!」


 リアルの声だ!


「ウサギ! 合図だ! 合図が来た!」

「行きます!」

 

 ウサギはすぐさま戦闘態勢に入った。口の中で呪文を唱え始める。

 空気が、震える。ウサギが陽炎のようにゆらゆらと揺れて見える。砂埃が舞ってウサギを中心に円を描く。赤い瞳の奥に青い光が生まれ、やがて瞳を覆って青く光る。

 細くて白い指先が、病室を指し示す。

 そして俺には聞き取れない何事かをつぶやく。

 一瞬、指先が強く光る。光は一筋の糸のように病室に届き、すぐに消えた。



◆◆◆



「神よ!」


 リアルは予定外のセリフを言わねばならなかった。つながったままの電話で、不審に思われることなくユウに合図を送るためだ。

 リアルは歯噛みした。彼女の美意識の中に神よ、などと言うベタな言葉はない。

 だが、作戦は功をなした。

 窓辺の鉢が、突然大きな音を立てて割れた。茎が太く成長し、波打つように壁を這いまわる。花弁は手のひらほどに大きくなり、葉は無制限に増えてゆく。それは成長を続け、床一面を黄色で覆い、窓ガラスを割って外に飛び出すとようやく止まった。


「わあああぁぁ!」


 吉村は壁に張り付いてあからさまにうろたえた。吉村父は驚きのあまり、微動だにしない。

 床に正座しているリアルの回りも、黄色で埋まった。

 苦肉の策で何とか合図は伝わったようだ。でも、今度は魔法が失敗した。魔法は吉村父に届かず、窓辺の花に作用した。

 しくじったな……ウサギ! 全く! どいつもこいつも! リアルは心の中で毒づいた。


「い、いったい何が!」


 吉村がリアルに問いかける。

 リアルはゆっくりと立ち上がり、平静を装ってしずかに言った。


「神が、この部屋の生命に力を与えたのです。あれは、その副作用とでもいうべきもの」


 全くのでたらめである。

 失敗はいい、早くリカバーして! ウサギ! あ、でも魔法は一日一回だった! リアルの口は真一文字に結ばれている。


「どうしました!」


 窓ガラスが割れた音を聞いて、ばたばたと数名のナースが部屋に駆け込んできた。


「あ!」


 ナース達は突如現れた黄色い花畑に目を見開いた。 

 早くなんとかして! リアルは心の中でもう一度言った。

 その時であった。

 吉村の父を淡い、白い光が包んだ。

 カーテンがバタバタとなびき、花が散って部屋中に舞う。

 吉村の父は自分の両手を見つめた。

 こけていた頬はふっくらと元に戻り、落ちくぼんでいた目には生命力があふれた。顔には朱が差し、骨と皮に近かった指は充分にふくよかになった。


「な……」


 病室にいた全員が、吉村の父の変化を目の当たりにし、口をつぐんだ。

 今だ! この現象と祈りを関連付けるんだ! リアルは厳かに両手を組み、指を天に向けた。そして天を仰いだ。


「神よ、感謝申し上げます」


 舞い上がった花弁がゆっくりと落ちてくる。


「博……」


 黄色く染まったベッドには。そこには、すっかり回復した吉村の父がいた。

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