(3)市民病院

「起きた?」


 リアルがキッチンから声を掛ける。このマメな女の子は、毎朝ウサギより早く起きて、欠かさず朝食を作っている。


「リアル……。私、徐々に記憶が戻ってきているみたいです。でも、まだ重大な何かを忘れているような気がして」

「ふうん。何だろうね」


 こういう不安な時はリアルのあっけらかんとした態度はありがたい。ウサギは、この際だから、不安を伝えておこうと思った。


「リアル、私、魔法がかなり弱くなっています。魔力も本当にわずかしかなくなっているようです」

「えっ! そうなの? そういえば、タクシーでしばらくぐったりしていたよね。駅のホームでもそうだった。魔法と関係があるのかな?」


 リアルはトーストをかじりながら、朝ごはんあるからね、と付け加えた。


「はい……。先日、神社で攻撃魔法を使いました。あの魔法は元の私なら何度でも使える、程度の低い魔法だったのです。ですが、たったの一回で魔力が底をつきました……。しかも威力は十分の一」

「あれで? あんなに吹っ飛んでいたのに。本来の威力だったらあいつ死んでたね」


 リアルはからっと言ってから、重要なことに気づく。


「え、ちょっと待ってウサギ。今度、奇跡を起こすための魔法は大丈夫なの?」


 ウサギは少し考えてから言った。


「ええ。そうですね……。一人の人間の病気を治癒するくらいなら、問題ない思います」

「どんな病気でも?」

「ええ。ただし、おそらく一回で決めなければなりません」


 よかったぁ。と言ってリアルは両腕を上げて大げさに安心した。その姿にウサギは少し安心する。                    


「まあ、今後も奇跡はそんなにポンポン使わないつもりだから。海を割ったりする事もないと思うし。一日一回で充分だし、きっと大きな魔法も必要ないと思うよ」

「そう……ですか。それならよかったです」


 ウサギはベッドから立ち上がると、のろのろとダイニングテーブルに着いた。

 そしてコーヒーカップを両手で包んでつぶやいた。


「私考えたんです。私の魔法力は神から授かった力。でもこの世界には私の神様を信仰する人はいない……。だから、魔力が弱くなっているのかもしれません」

「なるほどね……」


 コーヒーの湯気が揺れる。


「ねえ、さっきネックレス見てたよね? 何が入っているの?」

「え?」

「ネックレス」


 ウサギはネックレスを外して、恥ずかしそうにリアルに渡した。

 リアルがロケットを開ける。


「え!?」

「驚いたでしょ?」


 リアルは顔を上げてウサギを見る。


「ユウじゃん」


 ネックレスの中にはユウにそっくりな人物のセピア色の肖像が入っていた。


「違うのです。それは元の世界でパーティを組んでいた人。今は、生きているのか、もう死んでしまったのか……」

「ふうん……」


 リアルは立ち上がると、ウサギの後ろに回った。


「ありがと。いい?」

「はい」


 そして、腕を回してネックレスを付けた。

 ついでに頬にキスをした。


「ひえ!」


 ウサギは突然のキスに悲鳴を上げる。


「ひひ!」

「リアル!」


 ウサギは立ち上がるとリアルを追いかけた。二人はフロアをぐるぐると走り回った。



◆◆◆



 丘の上の公園から市民病院が見える。

 五階の角にある病室にはTVがあり、窓辺に花が飾ってあるのが薄いカーテン越しに見える。ベッドには豆粒のような患者が寝ている。それが、吉村のお父さんだ。

 ここは、リアルが街中走り回ってようやく見つけたスポットだ。


「ちょっと遠いです……」


 ウサギが病院を眺めて不安そうな顔をしてつぶやいた。


「ここしかないんだってさ。病室が狙えるのが。だ、大丈夫だよ、きっと。ウサギなら……」


 俺は気休めを言った。実際、公園から病院まではかなりの距離があり、間には、無数の屋根が連なっている。確かに遠い。病院のさらに向こうには青い海が見える。


 ウサギは金色の縁取りがある白いローブを着ている。俺と初めて会ったときと同じ服だ。

 これからウサギは、この丘の上の公園から病室に寝ている吉村のお父さんに魔法をかける。本来よりも低下している魔力を補うため、神官の正装をしているらしい。


 リアルが吉村のお父さんに祈りを捧げる。すると、不思議な神の力で病気が治る。リアルはそういう演出を計画していた。


「ウサギが魔法をかけるのを見せたら、神の力に見えないじゃない!」


 リアルはそう言っていた。魔法だって充分神の力に見えると思うが、ウサギが目の前で魔法を使ったら、それはウサギの力のように見えてしまう。あくまで、リアルが祈った結果、神の力によって奇跡が起こる、というシナリオなのだ。


 俺のスマホに合図が来たら、ウサギがこの位置から魔法を使うことになっている。


「これが太陽と月の教、この地球での最初の作戦になる。奇跡を起こすんだ! 一同心せよ!」


 リアルはそう言い残して、赤いロードバイクで颯爽と丘を下っていった。

 スマホを握る手がちょっと汗ばんできた。俺はただの連絡係だから緊張するほどの役ではないのだけど、今後の布教活動を左右するとなればやっぱり緊張する。


 もうすぐリアルは病院に着くはずだ。吉村先輩と合流して、病室に向かうことになっている。


 ウサギはさっきからじっと、病院の方を見つめている。

 少し風が強くなってきた。遮るものがないこの場所は、寒い。


 あれ? そう言えばどんな合図が来るんだろう? 聞いてなかった気が……。

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