(3)泥棒

 アロハシャツを先頭に、全員が俺の方にずんずん向かってくる。俺は慌てて、うつろな目のウサギを引き起こすと、そのまま踵を返してダッシュで裏門へ向かった。


 逃げる者は追いたくなるのが人の性というものだ。

 背後でバタバタと足音が聞こえる。止まれとか殺すぞとか言っている気がする。どう考えても、振り返ったら命取りだ。

 隣を走るウサギは朦朧としながらも、かなりの速度で走れている。この辺が実戦経験者だよな。なんて感心している場合じゃなく! 足音はどんどん近づいている。もう息が切れてきた、胸が痛い! 息苦しい!


 松野林を抜け、神社の玉垣を抜けると公道に出た。太陽がまぶしい。大きめの通りには車が行き交い、人も多い。目の前に大型のタクシーが横づけされ、後部座席のスライドドアが開いてリアルが顔を出した。


「早く!」

「え!」

「早く!」


 思考停止する俺の腕を、今度はウサギが引っ張った。赤く光る瞳。完全に目が覚めてる!

 俺とウサギは転がるようにタクシーに乗り込んだ。

 ドアが閉まるのを待たず、車は走り出した。


「良かったな、お兄ちゃん! まさか暴力団に追われるなんてなぁ! いったい何をやらかしたんだ?」


 タクシーの運転手さんが、バックミラー越しに笑顔で話しかけてくる。顔がてかてかした柿みたいなおじさんだ。暴力団って何?

 ふとリアルを見ると、こちらを見てウインクしている。タクシーを捕まえ、友達が暴力団に追われている、助けてくれとでも頼んだのだろう。


「まあ皆まで言うな! こういうの、タクシー運転手の夢だよな! 漫画みたいだ! わはは!」


 陽気なおじさんらしい。後ろの窓から、件の暴力団がこちらをにらんでいるのが見えた。道路の真ん中に立って、鬼のような形相で得物を振りかざしている。その後ろには渋滞が出来、クラクションが鳴っている。あれに捕まっていたら、とんでもないことになっていた……。

 ウサギは先程の逃走で精魂尽き果てたのか、シートにだらりともたれかかっている。車は三列のミニバンタイプで、後部座席には、リアル……と、もう一人いる!……あの男だ!


「リアル! こいつ、知り合いなの?」

「知り合いじゃない」

「じゃあどうして?」

「まあまあ、落ち着きなさい、ユウ君」


 ……リアルの口の端が、上がっている。



◆◆◆



 俺たちは一応屋台の人の襲撃を警戒して、神社からある程度距離をとったコンビニの駐車場でタクシーを降りた。タクシーのおじさんは、料金を無料にしてくれた。粋なおじさんであった。


「申し訳ないです、みなさん、巻き込んでしまって……」


 男の名は、吉村といった。

 吉村は駐車場の縁石に座り、うつむいている。ストレートでやや長めの髪が顔にかかって、表情は良く見えない。


「どうしてあんなことしたの?」


 店舗と駐車場を隔てるステンレス製の柵に座って、リアルは吉村に尋ねた。


「実は……うち、父親が去年病気で入院して」


 吉村はぽつぽつと身の上話を始めた。


「代わりに母親が働いていたんだけど、うまくいかなくて……。母親は毎日愚痴ばっかり言って。俺もイライラして。金さえあればいいんだろって思って。屋台の金なら簡単に盗めるかなって。みんな正月で浮かれてるし、あんまりセキュリティとか気にしてなさそうだし……」


 リアルは黙ってイチゴ牛乳を飲んでいる。リアルの隣に座っているウサギは腹が空いたのか、コンビニの袋をガサガサして一心不乱に食べている。


「本当はさっと盗んで帰る予定だったんだけど、見つかっちゃって。それでとっさに思いついたのが、万が一のために持っていた包丁で、人質を取るって作戦で」


 やっぱり、こいつ俺を人質にするつもりだったのか。


「でも、やっぱり、泥棒は悪いことです。本当に、本当に申し訳ありません!」


 吉村は駐車場に身体を投げ出し、俺たちに向かって土下座した。


「君、海原高校の生徒だよね」


 リアルが指摘する。吉村は顔を上げ、目を丸くした。


「そ、そうです。でもどうして……」


 何でリアルは、同じ学校だとわかったのだろう。


「わかるよ。君、二年生でしょ」

 

 リアルは理由をはぐらかした。別にいいのだが、先輩とわかっていてタメ口なのか、リアル。吉村……先輩はおもちゃの人形みたいに、こくこくとうなづいている。

 

「君のお父さんはどこの病院に入院してるの?」

「え、市民病院だけど……」


  吉村先輩は怪訝な顔をしている。

  ふーん、と言ってリアルはニヤリとする。何か企んでいる……。


「OK! わかった。これに懲りて、今後妙な考えは起こさない事ね! 未遂に終わったし、包丁は使わなかったから無罪放免。ねえ、ウサギ」


 急に話を振られたウサギは、頬張っていたコッペパンを吹いた。


「も、もい!」


 リアルの勝手な判決を聞いて、吉村は、寂しそうに笑い、のそのそと立ち上がって、ぺこりと頭を下げると、力なく去っていった。


「大丈夫かな、あの人……」


 俺は吉村の背中を見送りながら、彼の境遇を思って同情した。すずめが飛んできて、コッペパンの欠片を食べている。


「ボンクラねぇ、ユウ君」

「へ? なんだよ! 俺の反応は普通だろ?」

「そう、普通。本当に普通」

「なんだよ、リアルはどう思ってるんだよ?」

「君、君。これはチャンスなんだよ。見つかったのよ。最高の役者が!」


 最高の……不幸な人、ということだろうか。眉をしかめる俺に、リアルはニヤリとした笑みを返した。


「私ね、年末は校内で聞き込みをして回ってたの。信者候補を探しにね」


 そうか、それでいつも席にいなかったのか。


「で、何人かに目星をつけてたんだ」

「目星って?」

「不幸そうなやつをチェックしてたんだよ。吉村もその中の一人」

「ふ、不幸そう?」

「決めた。あいつを、信者第一号にする」


 ウサギがまたコッペパンを吹いた。

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