第3話 信者

(1)ウサギの見た夢

 最後の村を出てもう十日になる。

 枯れた草木、いやな臭いのする水たまり、生き物の気配が全くない荒れ果てた大地。

 パーティは眩暈のするような行程をひたすらに進んできた。その間、まともな寝床はなかったし、食料はとうの昔に底をついている。一方で魔物は驚くほど少なく、そのことが逆に目的地に近づいていることを予感させた。


 一行は、ようやく巨大な城の見える丘の上にたどり着いた。

 黒光りする石造りの城壁、いくつもの尖塔が天を衝いている。空はどんよりと重い雲に覆われ、星は見えない。


 最も高い中央の塔の、上層階に位置する小さな部屋に一行はいた。

 分厚い木の扉の向こうには、まだ魔王の配下がうろうろしているが、魔法のおかげでしばらくの間この部屋は魔物たちからは見えない。


 白髪に赤い瞳の神官、ウサギは杖を抱き、壁にもたれてうなだれている。ほかの仲間たちは石を敷き詰めた冷たい床に転がっている。城に入ってから三日三晩、休みなく戦い続けたから、疲労は限界に来ていた。


 小さな窓から見える空は真っ暗だが、雲の間にわずかに月が見える。

 月よ、こんなところにまで……。感謝します。頭を上げる気力もない。ウサギはなんと眼球を動かし、月と言葉を交わしてから、口の中で回復の魔法の呪文を唱えた。そして綿帽子を吹くように、そっと最後の一言を解き放つ。

 青白い光が一行を包む。腹は満たされないが、これで体力は回復する。


「う……」


 うつ伏せで寝転がっていた剣士が目を覚まし、ウサギに気づいて上体を起こす。


「ウサギ、俺たちは……?」

「昨夜の廊下での混戦の際、この部屋を見つけて全員で駆け込みました。何とか扉を封印して……。月の位置から考えると、私たちはたっぷり五時間は眠っていたようです。私も先ほど起きたところです」


 封印が破れていなくてよかった。もし魔法が不完全だったとしたら、無防備なパーティは廊下に屯する魔物たちの餌食になっていただろう。ウサギは想像して身震いした。

 魔王の根城には、今までとは桁違いに強い魔物たちが配備されている。しかし、最後の扉は目と鼻の先だ。その先に、魔王がいる。


「そうか。ありがとう、ウサギ。君のおかげで全滅を免れた。それに、充分に休むことができた」


 剣士は立ち上がると、ウサギの目の前に片ひざを立て、ひざまずいた。そして、月明りに照らされる赤い瞳をまっすぐ見つめた。


「扉を出たら後は生きるか死ぬかだ。皆眠っている」


 赤い瞳もまた、まっすぐに剣士の目を見つめる。


「今しか伝えることはできない。この戦いが終わったら、ウサギ……」

「リューカ様……」


 ウサギはそこではっと目を覚ました。

 目の前には白い天井。どうやら自分はふかふかしたものに横たわっている。

 上体を起こす。周りは魔王の城とは似ても似つかない白くて清潔な部屋。体に痛みや疲労はなく、充分に休息がとれていることがわかる。


「私は……」


 混乱する。冷たい壁の感触は背中にわずかに残っている。今自分はどこにいるのだろうか。

 突然、ウサギの視界の端でピンク色の塊が動いた。


「ウサギィィィぃぃ!」

「わああぁぁぁぁ!」


 リアルがベッドに寝ているウサギに飛びついた。

 二人はもつれてベッドの下に転がり落ちた。そこまで来て、ようやくウサギは状況を理解した。そうだ、自分は違う世界に来てしまったのだ、と。


「リ、リアル!」

「ウサギ、いいにおい……。それにやわらかい。女の子って感じ! ふ、ふふふ!」

「へ!?」


 床に転がったウサギに、下着にタンクトップ姿のリアルが迫ってくる。ウサギはただならぬ気配を感じて、後退りしながら、はだけていたパジャマの胸元を押さえた。


「り、リアル私はそういう……!」

「きゃはは!」

「へ?」

「さあ、行くよ! テーブルの上にトーストとサラダあるから。私は先に食べちゃった。一緒に焼いたからちょっと冷めてるかも」


 そう言って、リアルはぱっと立ち上がると、さっさと行ってしまった。

 からかわれた、のだろうか。ウサギは茫然とした。

 リアルはハンガーラックに掛けてある服をあれこれと物色している。服を体に当てては、うーんと唸り、ぽいと床に投げる。悩んでは捨て、拾ってはまた悩んだ。すぐに、床中が服だらけになった。

 そんな様子を見ながらウサギは起き上がり、洗面所に顔を洗いに行く。リビングからリアルが話しかけてくる。


「制服が嫌いなわけじゃないんだ、かわいいし。でもさ、好きなものを着たいんだよ。今日は制服、明日は私服。決められるのが嫌いなんだ。ねえ? わからない? この気持ち」

「え、ええ」


 それからウサギはテーブルについてトーストをかじった。大きくとられた開口から朝のやわらかい光が差し込んでいる。


「リアル、どうして私に親切にしてくれるのですか?」

「んー? 面白そうだから?」


 リアルは、クローゼットから大きな箱を取り出してリビングに並べている。

 ウサギはまだこの風変りな女の子ことがよくわからないでいた。寝床も食事も、生活の場も提供してくれる。この世界のことも教えてくれるし、見ず知らずの自分に親切にしてくれる。

 明るくて頭がいい女の子。

 だけど、どこかつかみどころがないーー。

 リアルは箱を開けて中身を広げている。白地に金の刺繍、赤い花の模様。


「わあ! きれい」


 ウサギはその美しい布に思わずため息をついた。


「やっぱりこれに決めた。さあ行こう、ウサギ!」

「え? どこへ?」

「初詣!」

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