(5)必ずあの子を更生させます

「ここは学校です。学問の邪魔になるような行為は、禁止します」


 鈴原は同じことをもう一度言った。するとリアルが口を開いた。


「憲法より校則が優位なんですか」

「そうです」


 鈴原は言い切った。屁理屈が得意な生徒には、言い切るに限る。それ以上議論の余地がないように。


「最後は強制。子どもみたいですね」


 リアルは頭の後ろで腕を組んで上体を反らすと、独り言のように言った。

 勝った。鈴原はそう思った。悪態をつくのは反論ができない証拠である。それ以上、何も言い返すことはできまい。鈴原の目じりがわずかに下がる。

 だが、リアルはそれで終わらなかった。姿勢を正し、鈴原をまっすぐに見据えて言った。


「服装、その他はあなた方のやり方を尊重しているのに。妹の信仰に関しては理不尽です」

「え?」

「従う気はありません」


 話は以上ですか? 帰ります。そう一方的に言って、リアルはウサギの手を取って立ち上がり、さっさと教室を出て行ってしまった。

 がらんとした教室に、春日と鈴原だけが残された。

 何という言い草、態度。本当に、あの生徒は人をイライラさせるのがうまい。鈴原は長いキャリアの中で、これ程までにフラストレーションを与えてくる生徒を見たことがない。完全に教師をなめている。

 春日はおそるおそる鈴原を盗み見た。

 オレンジがかった西日が鈴原の顔を照らしている。メガネが光を反射して目は見えないが、その顔にいつもの笑顔はなく、口元はへの字に結ばれ、眉毛は吊り上がっている。

 春日は思わず目をそらした。


「私のキャリアの中で、更生できなかった生徒は一人もいませんでした」

 

 更生……。その言葉に春日は思わず苦い顔をした。正直なところ春日はリアルをそれほど悪く思っていない。若者には多少の反発があってよいと思っているし、自分もそうだった。リアルの授業を直接担当はしたことはないが、むしろ勉強もスポーツもできる手がかからない生徒だと聞いている。校外で問題を起こすこともない。

 しかし、春日は鈴原には逆らえない。ここは私立学校だ。鈴原の声一つで、いつでも教師をクビにできる。


「どんなに荒れた生徒でも、誠心誠意向き合えば、最後には必ず更生し、ありがとう、先生と言って卒業してゆきました。あの子は悪魔のような子です。全てがでたらめ、嘘で塗り固めてある。ここで更生できなければ、世に出たときにどんなことになるか」


 鈴原は声を震わせて、つぶやくように言った。

 こいつは……。春日は鈴原に狂信的なものを感じた。正しい教育という名の狂気だ。


「私は、必ずあの子を更生させます。必ず!」


 鈴原は手のひらで机を叩いた。生徒指導室に突然大きな音が響く。春日は反射的に体を縮め震めた。その拍子に書類がばらばらと床に落ちる。


「そして……私にありがとうと言わせてやる」


 鈴原は最後の言葉を声には出さなかった。

 窓から差す光で、進路指導室は真っ赤に染まっている。



◆◆◆



「簡単。あいつは私に嫉妬しているんだよ」


 リアルはパックのイチゴ牛乳を飲みながらさらりと言った。

 リアルとウサギは宣言通りきっちり十五分で帰ってきた。

 俺たち三人は学校を後にし、駅までの道にある商店街を歩いていた。どの店も年末の準備で忙しそうだ。


「嫉妬?」

「まず、見てよあの格好。地味でつまらなくて。それが好きなんだったらいいんだよ。個人の趣味を私は否定しない。でも本当は好きでもないのに、そうすべきだと思って着ているわけ。教師とはこういう姿であるべきだってね」


 全く予想外の答えが返ってきて俺は驚いてしまった。俺は何気なく、何で副校長はリアルを目の敵にするのかね、と聞いただけなのだ。


「私の頭脳、運動神経。それから若さと。なにより美しさ、それに嫉妬しているんだ」

「美しさ……自分で言う……」

「美しいでしょ?」

「ま、まあ……」

「でへへ! この正直者め」


 何だこのやりとりは? リアルが肘で俺の脇腹を小突く。ウサギが変な顔で俺たちを見ている。


「要するに、私の人生に嫉妬しているわけ。自分のつまらない人生に比べて楽しそうだってね。そして私を型にはめて、ありがとうござました、私が悪かったです、まっとうな道を歩みますって言って欲しいんだよ。それを聞いて、どういたしまして、頑張るのですよってマウント取って自己満に浸りたいだけ」

「そう言われればそんな気もしてくるな……」

「だからね、何でもいいから私を責める糸口を見つけたくて血眼なんだよ。で、たまたま今回はウサギに白羽の矢が立ったってわけ。だから本当はウサギの信仰なんかどうでもいいんだ」

「どうでもいい……」


 ウサギは宙を睨んでいる。確かに人の信仰にまで口を出すのはどうかと、俺でも思う。


「ねえ、ウサギ! 私に教えてよ。太陽と月の教のこと」


 リアルは突然隣を歩いているウサギにくっついた。ウサギの右腕に抱きつくような感じで体をぴったりと寄せる。


「え! ええもちろんです!」


 リアルのスキンシップに若干引きながらも、ウサギの表情はぱっと明るくなった。身近な人が自分の宗教に興味を持ってくれたことが嬉しいのだろう。



◆◆◆



 俺は再びリアルの部屋に招かれた。というか連れてこられた。俺は別にウサギが何の宗教をやっていても構わないし、自分が入ろうとも思わないから、話を聞く必要をもないと思っていたのだが、リアルが聞いておいてと言うのだから仕方ない。

 俺は制服のままでソファーに座り、リアルはスウェットに着替えてラグに胡坐をかいている。ウサギはふりふりのパジャマだ。これもリアルのものなのだろうか……? 一瞬、リアルがふりふりを着ているのを想像してしまった。……まあ何でも似合うな! 


「私たちが信仰しているのは、太陽と月のおしえといいます」


 ウサギは立ち上がり、右手を宙に差し出して静かに語り出した。立って話すのがウサギのスタイルらしい。

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