(4)生徒指導室
副校長鈴原と春日は、生徒指導室のパイプ椅子に座っている。
この部屋は普通の教室と同じ造りだが、学習用の机はなく会議用の長机が中央にぽつんと置かれている。他には何もない。この飾り気のない、がらんとした空間は不安を創り出す。
人は動物だった時の防御本能から、背後に壁があると心理的に安心し、逆に背後に広い空間があることを嫌う。無意識に、背後からの襲撃を警戒してしまうのだ。
だから、大抵の生徒はこの部屋に入ると不安と緊張に包まれる。それこそが鈴原の狙いだった。
あらゆる手を使って、生徒を追い込むのだ。追い込んで叩かれ、柔らかくなった精神を型にはめる。そうやって、きちんとした生徒を作るのだ。鈴原はそのように考えていた。
ウサギは鈴原の思惑通り、小さくなり、緊張しながら生徒指導室に入ってきた。
最初が肝心なのだ。こちらの生徒は大丈夫。鈴原は思った。
しかし、もう一方は全く型にはまりそうにない。磯部リアルは左右に結わえたピンクの髪を揺らし、鼻歌を歌いながら椅子に座った。
鈴原のこめかみがわずかに震える。
だめよ、怒ってはいけない。鈴原は自分に言い聞かせた。
リアルとはすでに何回も面談を重ねている。しかし、その態度は全く改善されない。
鈴原は約三十年の教員生活で、厄介な生徒指導対象者を数多く扱ってきた。だから、この位で動じてはいけないことはわかっている。これは挑発なのだ。
鈴原は一つ咳払いをしてから話し始めた。
「さて、一年三組いそ――」
「あ! 先生、この部屋寒いですね! 先生も寒いでしょ? 暖房上げますね」
リアルは鈴原の言葉を遮って席を立つと、エアコンのスイッチを調整した。
見計らったかのようなタイミング。いや、この生徒のことだ、出鼻を挫く気に違いない。再び鈴原の怒りは高まった。怒ったら負けだ。
リアルが座るのを待って鈴原は続けた。
「一年三組、磯部リアルさん。あなたの髪の毛は地毛だそうですね」
まずは、軽い導入だ。温かいお湯が徐々に熱く、煮えていくように。鈴原の戦術だ。
「そうです。ちゃんと書類も出してます」
「見ております。先天性随意色素転換症ということですね。私はその病名を知りません」
鈴原は軽く揺さぶりをかける。
「副校長先生もご存じないなんて、やっぱり珍しい病気なんですね! 私も困っているんです。突然髪色が変わるから」
しかしリアルは白々しく言い放つ。
鈴原は診断書は偽造だと思っている。しかし、どんな方法で入手しているかはわからないが、診断書に記載の医院は実在しているし、診断書を出した事実も確認が取れている。
この質問がかわされることくらいは、鈴原は承知している。
「制服を着ていませんね」
「私、ウールアレルギーだから制服はダメなんです。それに足の裏の皮が薄くてスニーカーじゃないとダメだし……頑張ってスカートは履いています」
「それも書類を確認しています」
春日が怪訝な顔で鈴原の表情を盗み見た。服装のやり取りはこの年末までに数回繰り返している。何故同じことを聞くのか、と思っている。
だが、鈴原はそんなことは百も承知だ。
同じことを何度も質問するのは取り調べの常套手段だ。
人は同じことを聞かれると、繰り返しを避けて、微妙に違う答えを返す。これを繰り返すと徐々に矛盾が生じ、嘘は苦しくなり、時には真実の中に嘘を作り出すこともできる。
しかし、リアルは危険を察知して必ず一字一句同じ答えを返す。
頭がいい。鈴原は軽く深呼吸すると続けた。
「スカートの丈はひざ下五センチと決まっているはずですが」
リアルのスカートは丁度ひざ上の長さだった。リアルがはっとする。
派手な服装や髪型に目が行って細かい部分は見逃しがちだが、私は違う。鈴原はわずかに目を輝かせた。
「ごめんなさい! ひざが特にウールアレルギーが強くて。今日は特に調子が悪いから、少しだけ短くしていたんです。日によってアレルギーの症状が強い日と弱い日があるんですよね」
先程からリアルは軽やかに受け答えをしているが、リアルの瞳は鋭く鈴原を見据えている。その目はどう? 反論できるならしてみなよ? と言っている。いつもの事だが、手強い。本当に気に食わないが、リアルのやり口に隙はない。鈴原は一気に温度を上げることにした。
「ここまでは、一応の確認です。さて、本題は妹さんの件です」
リアルの横で小さくなっていたウサギは、びくっと体を震わせた。春日は下を向いたまま、いちばん表に来る書類を入れ替えた。鈴原は続ける。
「担任の山岡先生から報告を受けました。あなたの妹は信仰があるようですね。それはもちろんかまいません。しかし、教室での宗教行為、これをやめなさい」
「え?」
ウサギは明らかに戸惑いの表情を見せた。
リアルは崩せないかもしれない、しかし妹はどうだ。鈴原は気づかれないようにリアルの表情を見た。しかしリアルは涼しい顔を崩していない。
「授業の進行の妨げになります。祈りならば家で存分にすればよいでしょう」
「ですが、私は昼の十二時に祈らなけばなりません」
それに。ウサギは続けた。
「それに、この国の憲法には信条の自由の条項があります」
ウサギはリアルの家でこの世界のことを勉強していた。リアルの持っているあらゆる本や教科書を読んだ。そして、驚くべき記憶力でそれらをすべて吸収した。
鈴原は、鼻で笑った。
「確かにそうです。前の国ではどうだったかは知りませんが、ここは日本の学校です。信仰は自由ですし、心の中で何を思っても自由ですが、行動には制限があります。校則にも、学問を妨げる行為をしてはいけない、と書いてあります」
「そ、そんな……」
ウサギは青くなった。ウサギの世界にも憲法や法律がある。しかし、学校でそれが制限されるなどという話は聞いたことがない。
助けを求め隣を見ると、リアルは涼しい顔でまっすぐ鈴原を見据えている。
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