(3)返り討ちにしてやんよ

 四時間目の授業中にそれは起こった。

 起こった、というか起ることは知っていた。俺は止めといた方がいいと思っていたのだが……。

 四限は社会だ。

 担任の山岡が教壇に立ち、下を向いたまま淡々と話している。

 山岡は三十代後半の中堅教師で、七三分けの中途半端な長さの髪、派手なストライプの入った似合わないスーツに黒ぶちのメガネをかけている。冬だというのに時折ハンカチで額をぬぐっている。癖なのだ。

 俺は黒板の上の時計を見た。もうすぐ正午――。

 

「先生、授業中、失礼いたします」


 ウサギが手を挙げてそう言うと、山岡は顔を上げた。山岡はその言葉の意味するところは分からず、ぽかんとしている。

 ウサギは席を立つと、教室の後ろの空きスペースに立ち、スカートの裾を少しだけ上げて正座した。向いているのは南。ちょうど窓の方向だ。

 他の生徒たちは振り向いて興味津々にウサギを見ている。

 時計の針が十二の位置で重なり、外でお昼のチャイムが鳴っている。

 ウサギは頭を下げ、床に前頭部をピタリと付ける。そして、両手を斜め上四十五度に広げる。その一つ一つの動作は流れるように行われた。……美しい。ポーズは変だけど。

 束の間、教室を静寂が包む。

 しばらくするとウサギは顔を上げた。その表情はすがすがしい。


「失礼しました」


 そう言うとウサギは立ち上がり、スカートの埃を払って、何事もなかったかのように席に戻った。

 山岡はしばらく目をぱちぱちしていたが、まだ後ろを向いている生徒たちに、ほら、前を向きなさい、と言って授業を続けた。


「私、この世界でやるべきことができました。――この世界に、私の宗教を布教します」


 今朝、ウサギはそう言った。

 

「太陽と月の教の教えを広めれば、きっとこの世界ももっと良い世界になります」


 太陽と月……の教。

 宗教と聞いて、俺はたまに家に来る、何かよくわからない勧誘の人の顔を思い出した。長い髪の毛はボサボサで、しわの寄ったワイシャツを着てインターフォンを覗き込む。その表情は暗いが、瞳が不自然に澄んでいる。冊子を受け取ってくれと言うので、結構です、と返すと、丁寧にお辞儀をして帰ってゆく。


「へぇ。面白いじゃん」


 リアルがニヤリとして言う。

 ええ……リアルさん。ウサギに信仰があることについては何の文句もないけど、布教活動はどうなのだろう。しばらく一緒に生活するウサギが変な目で見られるのはあまり良くないのでは……。俺の心配をよそに、ウサギはやる気満々だし、リアルも黙認している。


「まずは、私がいつもの習慣を取り戻さねば……! ここの所の異常な出来事ですっかり乱れてしまっていました。正しい信仰は正しい行いから! よし!」


 ウサギは頬を両手ではたいて言った。

 こうしてウサギはみんなの前で儀式? をはじめてしまった、という訳なのだ。

 噂好きのクラスメイト達も、宗教がらみのことは聞きにくいと見え、次の休み時間はそわそわした空気が流れていた。リアルはこの状況に対し、何も言わない。



◆◆◆



「磯部、いるか?」


 教室にいた全員が入口を見た。

 体育教師の春日が教室の入り口でリアルを呼んでいる。あんなことがあったのに悪びれもせず、相変わらずの横柄な態度だ。みんな春日を副校長の手先だと思っているから、春日は誰からも好かれていない。

 肘をついて窓の外を見ていたリアルが顔を向ける。


「はい、私ですか?」

「お前だけじゃない」


 だけじゃない? 磯部は一人でしょ?

 そこで俺気づく。ああ、ウサギだ。ウサギは磯部ウサギだった。

 当の本人も気づいておらず、夢中で授業で習ったことをノートに書き込んでいる。もう休み時間だというのに勉強熱心だなぁ。

 ウサギの肩を、リアルがポンと叩く。ウサギはハッと顔を上げる。


「二人とも、放課後、生徒指導室に来い」

 

 教室がざわついた。

 生徒指導室。職員室ではない。指導のためだけにある部屋だ。生徒が生徒指導室に呼ばれることは、この学校ではそれなりにあることだったし、リアルが生徒指導室に行くこともよくあった。だけど、ウサギは当然はじめてだ。


「はーい」


 慣れているリアルは軽々しくそう言った。春日はその返事を聞くと、憎々し気な顔をしてさっさと行ってしまった。


「リアル……?」


 ウサギが固い表情でリアルに声を掛ける。


「ああ、大丈夫だよ。いつものこと。朝のやり取りじゃ物足らなかったんでしょ」

「私、学生時代は呼び出しされたことなんて一度もなくて……」


 そうだよな。ウサギは主席で魔法学校を卒業したのだ。模範的な生徒だったのだろう。


「それに……」

「心配しないで! ぜんっぜん大丈夫」


 ウサギはリアルがまた辱めを受けるのではないかと心配しているようだ。他のクラスメイト達も同じような顔を向けている。俺だって心配だ。

 しかし、リアルは笑顔だ。


「きゃはは! 返り討ちにしてやんよ」


 リアルは拳と手のひらを勢いよく合わせて、ぱちんと音を鳴らした。今日も気合充分。リアルはいつも教師との対決を面白がっている。

 その様子を見て、クラスメイト達は色めき立った。小野寺が頑張れ! と声を掛けた。

 放課後、俺は先に帰る訳にも行かず、教室で待機することにした。

 リアルとウサギは十五分で帰ってくると宣言して、出て行った。

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