(2)磯部リアル
「ねえ、行こう」
俺は女の子に声を掛けた。
女の子は祈りのポーズを解き、正座した状態で顔を上げる。
その顔を見て、サラリーマンのテンションが一気に上がる。
「あ、かわいいじゃん! ダメだよ、彼氏、こんなかわいい子に土下座させちゃ」
下品な人たち! 俺は構わず女の子の手を引く。
女の子はサラリーマンの方を警戒しながら立ち上がる。
「待てよ、彼女困ってるじゃん」
一番背の低い一人が俺の進路をふさぐ。ヤバい。完全に絡まれてる。
気づくと、いつの間にか残りの二人が俺の背後を固めている。
女の子は俺の横で身を縮めて杖を握りしめている。
俺が守らなきゃ? だよな……!
こんな経験は初めてだ。心臓がバクバクする。えっと。
クリスマスってこんな日だっけ?
「ねえ、無視しないでよ」
正面の男の手が女の子に伸びる。
あ!
短い叫びが聞こえた。
気づくと男は足元に転がって鼻を押さえてうめいている。手の隙間から大量の血が流れ出て、ぼたぼたとホームを汚している。
……何が起きた?
「お、おお!? て、てめ!」
倒れた仲間を見て、背後の一人がこちらに突進してくる。
――と思ったら、そのまま前のめりに倒れ、顔面を強打して動かなくなった。
倒れた男の向こうには、脱げた靴が床に張り付いていて、靴の周りの床がキラキラと輝いているように見えた。
氷……?
傍らの女の子が倒れた男の方を見つめている。瞳が……青く鈍く光っている。
その光は徐々に弱くなり、元の赤い瞳に戻ると、今度は女の子が膝をついて崩れた。
え? え!?
「おいお前! 何した?!」
知るか! 俺が知りたい!
残りの一人、一番体格のいいやつが、腕を広げて腰を落とし、じりじりと近づく。レスリングのような動きだ。
固いコンクリートを蹴って男が加速する!
逃げなきゃ!
あれ? 足が動かない! 腰が抜けるってこういうことか?
俺は強い衝撃を覚悟した――が、衝撃の代わりに、目の前の男の顔がひしゃげ、白い歯が一本、口から飛び出して宙に浮き、唾液が水玉になって飛んでゆくのが見えた。
そのまま男の頭は右に流れて行き、大きな体が後についてゆく。
大きな音を立てて、男が転がって、動かなくなった。
何が起きたのかわからない。
周りには三人の倒れた男、女の子は杖を支えに座り込んでうなだれている。
「何やっているの? 面白そうね!」
聞き覚えのある声。
俺はゆっくりを顔を上げた。カラフルなハイカットのスニーカー。すらりと長い脚。見慣れた海原高校のチェックのスカート、白いパーカー。整った顔立ちに切れ長の目、そして……真ピンクの髪の毛を左右で結わえている。
ピンク!?
「リアル……!」
磯部リアル。
同じクラスの女の子で、小学校からの腐れ縁だ。ただ、今日学校で会ったときには髪の毛は黒かった……!
「ほら! もたもたしていると警察来るよ!」
「ああ、そうか!」
だんだんと周りに人が増えてきた。俺は立ち上がる。情けないことにヒザがガクガクする。
「さあ!」
「……待って、この子も」
俺はリアルを引き留めて、女の子を指さした。女の子は地面にぺたりと座り、ぐったりとうなだれている。
「ええ? よくわかんないけど!」
リアルは女の子の体を支えて立たせ、歩ける? と声を掛ける。女の子はこくん、とうなづく。
「行こう!」
リアルを先頭に、俺たちは小走りにその場を去った。
振り返ると、転がっている三人の男の周りに人が集まってきていて、駅員が到着したところだった。
危ないところだった……。
◆◆◆
海原駅を降りて、ぽつぽつと店がある駅前を離れると、すぐに住宅街がはじまる。リアルの家は住宅街がはじまってすぐ、大通りを少し入ったところにある。
黒と白を基調とした十二階建ての洒落たマンション。リアルはこのマンションで中学の時から一人で暮らしている。家具も自分の趣味で統一したいし、掃除も洗濯も全部自分でやりたいから、らしい。
「さ! 入って。散らかってるけど!」
そう玄関で告げると、リアルは先に部屋に入っていった。開いたドアから、雑誌やら洗濯物やらを抱えてあちこち動いているのが見える。
俺は女の子を支えながら部屋に入った。
「お邪魔します……」
リアルの家から俺の家まではすぐだ。
だからリアルとはよく一緒に帰るのだけど、部屋の中に入るのは初めてだ。とりあえず女の子を休ませるには、駅に近いリアルの家が一番都合がよかったのだ。
はじめて入る部屋にドキドキしつつ、ぐったりした女の子をソファーに寝かせた。それから、あらためて部屋を眺める。
ワンルームだけどかなり広い。濃い茶色の床に壁は白、ふさふさの白いラグにガラスのテーブル、白いソファー。TVはない。ベランダに面したガラス戸の近くには青々とした観葉植物が飾ってある。
きれいな部屋。せまくて散らかっている俺の部屋とは大違いだ。しかも、これを一人で維持しているのだからすごい。俺なら一日で廃墟になる。
「適当に座っててね!」
この家の主人はキッチンに立ち、てきぱきと何かを準備している。
リアルは何でもできる。
勉強も運動も常にトップ、コミュ力も抜群で友人も多いし、容姿だってずば抜けている。うわさによるとファンクラブもあるらしい。
リアルがコーヒーとお菓子をお盆に載せて持ってきてくれる。
「昨日シフォンケーキ焼いたの」
「へぇ。料理もできるんだ」
腹も減っていたので、すぐに手を付ける。見た目も味も申し分ない……どころか売っているものと何が違うのか、俺の貧弱な味覚ではわからなかった。
「大抵のことは何でも」
リアルは胸を反らせる。まあ自分で言っちゃうところ意外は何も反論はない。
湯気の立つコーヒーを一口飲むと、ようやく人心地がした。
女の子はさっきまでは横になっていたが、上体を起こしてコーヒーカップを持っている。先程よりは随分と顔色が良いように見える。
「この髪さ。いいでしょ? さっき染めてきたの」
お盆を抱えてリアルがくるりと回る。ピンクの髪がふわりと揺れる。
「ああ、それであの時間に駅にいたのか。先に帰ったと思ったら」
今日、リアルは授業が終わるとすぐに帰った。クリスマスの約束でもあるのかと思っていたが、美容室に行っていたのか。
「何で染めたの?」
「なんで? 髪を染めるのに理由がいるの?」
「いや、なんか聞くじゃん、女の子が髪型を変えるときは……って」
「気分に決まってんでしょ、ボンクラねぇ」
そう言って心底バカにしたような顔を向ける。俺は自分の顔が真っ赤になるのを感じた。すいませんね、女の子の気持ちなんかわかりませんよ。
リアルはよく俺のことをボンクラと言う。失礼極まりないが、リアルのハイスペックに比べれば自分はいたって普通なので甘んじて受け入れている。それに、いちいち反応していたら埒が明かない。
それより、気になることがある。リアルの髪色だ。
「大丈夫なのか?」
「何が?」
「その髪の毛だよ、うち、校則厳しいじゃん」
俺たちが通う私立海原高校は校則が厳しい。髪は黒と決まっていて、パーマも当然ダメだし、整髪料ですら禁止だ。
「はは! あんなの何とでもなるよ」
リアルはあっけらかんと言い放った。
「何とでも!?」
「だって、これは地毛ですから」
「流石にそれは無理があるでしょうよ……。今日の今日まで黒髪だったじゃないか」
「何と言われようとこれは、地毛。もう診断書も手配済み」
「診断書!」
リアルはこの手で幾多の校則を破ってきた。
まず、制服は着ない。季節によってパーカーだったりTシャツだったりするが、とにかく好き放題だ。それから指定の革靴も履かず、勝手にスニーカーを履いている。
指摘されれば医者の診断書を用意して学校側を論破するのがいつもの手だ。
「ボンクラなユウ君に念のため教えておいてあげよう。我が校の校則では診断書があれば頭髪の色についてとやかく言われることはない、と書いてある」
「ええ……そんなこと書いてあるのかよ……」
俺はブレザーのポケットから生徒手帳を出して該当部分を見てみた。
特別な事情がある場合は、医師による診断書を提出すること、と書いてある。こんな校則も、リアルにかかれば、診断書があれば何でも良い、となるようだ。
「しかしリアル、一体どうやってそんな無茶な診断書を」
「知り合いの医者に頼めば楽勝です」
医者というのはそんなに簡単に診断書を出してくれるものなのだろうか。そもそも本当にその知り合いの医者というのは存在するのだろうか。
無駄話をしていると、ようやく女の子が口を開いた。
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