異世界宗教布教計画

柏崎うみ

第1話 神官

(1)白鳥は水に頭を突っ込む

 時折、急に寂しくなる時がある。

 きっと、私の夢は叶わない。叶わないまま、残りの長い長い人生を生きなければならない。人生が八十年、いや、私が大人になるころは平均年齢は九十歳を超すだろうから、残りの七十五年以上をこの寂しさと共に過ごすのだ。そんな風に思うと、磯部リアルは寂しくてたまらなくなる。


 吐く息が白い。


 リアルは赤いロードバイクにまたがって、丘の上の公園から街を見下ろしている。蛍光ピンクのナイロン素材のマウンテンパーカーに、ピンク色の髪を後ろで一本にとめている。


 リアルの目下には街の明かりが広がり、その向こうに見えるのは真っ暗な海と雲に隠れた月。目線を空に転じればダイヤモンドをばらまいたような一面の星空。


 美しい。


 しかし、一見美しく見えるこの世界が本当は多くの問題を抱えていることを、十六歳のリアルはもう知っている。


 戦争、差別、貧困、環境問題、いじめやパワハラ、セクハラにモラハラ。大小問わずありとあらゆる問題がスマートフォンを通じて世界中から毎日届く。


 この世界には支配者がいない。


 それが最大の問題だ。磯部リアルはそう思っていた。


 ああ、私が支配すれば、上手くやれるのに――。 


 しかし、その夢は一介の女子高生に過ぎない自分には到底叶わぬ事だということも、リアルは理解している。


 だから、寂しくなるのだ。


 それは、夢という重荷を一度背負ってしまった者の宿命である。



 ◆◆◆

 


 窓から見える空がオレンジから深い青に変わって行く。

 俺、愛菱 まなびしユウは学校帰りの電車に揺られていた。ドア横の定位置に収まって、なんとなく車内を眺めていた。

 車両にはこの時期特有の客が乗っている。赤いてろてろした服を着た派手な化粧の女の人、べたべたする若そうなカップル、大きな紙袋を持ったサラリーマン風の三十代くらいの人。皆、一様にそわそわとしている。 

 今日は恋人たちの年に一度の大イベント、クリスマスだ。いや、正確にはクリスマスイブだ。どうでもいいけど。なにせこのイベントは自分とは縁遠い。彼女なんていない俺は、クリスマスはおとなしく家族と過ごすことになっている。といっても別に不満があるわけではない。

 このご時世、普通に学校に通い、毎日ご飯にありつけるだけで充分幸せというものだ。


 しかし、今、一つだけ不安の種がある。


 俺は反対側のドアのあたりをそっと盗み見た。


 そこには、ひときわ異彩を放つ女の子が立っていた。

 金の縁取りをした床につきそうなほどに長い白いローブを着ている。胸元には大きな赤い宝石をはめ込んだ複雑な形をしたアクセサリー。金の飾りがついた長い杖を胸の前でぎゅっと握りしめ、長く白い髪を耳の後ろから胸元に流している。大きな目の中に輝く瞳は、赤い。


  最近のコスプレはすごい。服も小道具も安っぽくなく、たった今アニメとかファンタジーの世界から飛び出してきました、というような感じだ。


 問題は、その子がさっきからずっと俺を見つめていることだ。


 俺の顔に何かついているのだろうか。

 不安になって窓に映る顔を確認する。人よりもややボリュームがあるストレートの髪の毛はいつもと同じだし、平凡な目鼻立ちも問題ない。制服もきっちり着ている。全体的に特に異常はなく、見慣れた顔がそこにある。


「あの……」


 気づくと、その子は俺の背後に立っていた。

 いつの間に……!? さっきまで反対側にいたのに!


 女の子は、両手で杖をぎゅっと握りしめて、唇をかんでいる。背が低くて、上目遣いで覗き込むように俺を見ている。恥ずかしながら、こんなに至近距離で女の子を見たことはない。息遣いまで聞こえそうな距離。か、可愛い……。


「あなたはりゅーか様ではありませんか?」

「え?」


 りゅーか? そうか、そう言うことか。俺は安堵のため息をついた。

 俺の顔に何かついていたわけではなく、俺がこの子の知り合いに似ていたのか。


 りゅーか、と聞こえたが、日本語にない発音だったから正確には何と言ったのかわからない。何語なのだろうか? 冷静に見ると、ややホリが深く、目はくるりとしていて、日本人離れしている。外国の人なのだろうか。


「すみません、残念ですが俺、りゅーかって人じゃないです」


 俺は正直に告げた。女の子は大きく目を見開いてから、がっくりと肩を落とした。


「そ、そうですか……。突然ごめんなさい。ありがとうございました」


 ごめん、だって違うんだもん……。俺だって正直なところお近づきになりたい。しかし、嘘をつくわけにもいかないじゃないか。


「あの! ここはどこですか?」


 うつむいていた彼女が、ぱっと顔を上げた。どこ? 駅のことを言っているのだろうか。


「次は海原うなばら 駅ですよ」

「うな、ばら……」


 女の子は少し考えてから言った。


「あの! 今はおうれき何年でしょうか?」

「お、おうれき?」


 漢字で書くと王歴、だろうか。そんな暦を使う国から来たのだろうか。良く知らないけど、西暦が世界標準だと思っていた。でも確かタイだって王国だしな……。

 どうもこの子、様子がおかしい。


「あの? どこから来たんですか?」

「ありゅーとりあむ、あんさんいんぐむ」

「は、はあ……」


 聞き取れない発音。ありゅーと……? そんな国聞いたことがない。


「私、気づいたらここにいて」


 気づいたらここにいた……ってことは記憶喪失的なやつだろうか。困った。


「あの、大変……不躾ながら、お水を頂けないでしょうか。のどがカラカラで……」


 可哀そうな女の子だ。記憶喪失で電車の中に迷い込んだのだろうか。それとも電車に乗っている間に突然記憶喪失になったのだろうか? いずれにせよ、きっとお金も持っていないに違いない。俺は快く返事をした。


「いいですよ!」


 電車はちょうど駅についた。


 俺は女の子をホームのベンチに座らせると、自販機で水を買って渡した。

 驚いたことに、女の子は受け取ったペットボトルを、ひっくり返したり透かしたりして不思議そうに眺めるばかりで、いっこうに開ける様子がない。いや、開けられないのだ。記憶喪失というのは、日常の動作はできると聞いたことがある。とすると、この子は重症の記憶喪失なのだろうか。


 俺はペットボトルを受け取り、フタを開けてあげると、女の子は慎重に一口目を飲んだ。よほどのどが渇いていたのだろう、そこからは一気に飲み干した。


 しかし、記憶喪失なら、もう俺の手には負えない。あとは駅員さんや警察に任せるしかない。


「ここで待っててください。駅員さん呼んでくるから」

 

 女の子はあからさまに不安そうな顔をした。気持ちはわかる。でも俺がここにいたって、どうすることもできないのだ。俺は後ろ髪をひかれる思いで振り返ると、窓口に向かって歩き始めた。


「ありがとうございました。見ず知らずの方。あなたに、神のご加護があらんことを」


 女の子は俺の背中に向かってそう言った。良く通る澄んだ声。俺は思わず振り返った。


 そして固まった。


 女の子は見たことのないポーズをとっていた。

 土下座のような姿勢で頭を地面に着け、両手を羽のようにV字に空に伸ばしている。ローブの袖がちょうど翼のように広がり、白鳥が大きく羽を広げているような格好だ。


 何のポーズか知らないけど、正直、ちょっと……笑える。


 羽を広げる白鳥、と言うより水に頭を突っ込んだ瞬間のような。神のご加護って言っていたし、何かの宗教のポーズなのだろうか。


 次の電車が到着して、降りてきた客が遠巻きに女の子を変な目で見ながら歩いてゆく。ついでに俺を見てひそひそと話している。いや、俺は関係ないんです……。


 一群の中で、若いサラリーマンの三人組が足を止めた。

 ツヤのある高そうなスーツ、とがった革靴を履いている。厚いコートの上からでも胸元が盛り上がっているのがわかる。いかにも体育会系的な雰囲気だ。

 

「お姉さん土下座して。何か悪いことしちゃったの?」


 顔が赤い。

 まだ五時なのに酔っているように見える。面倒なことになったな……。

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