明けまして
自販機のボタンを押した。取出口を開いて缶コーヒーに触れると、その冷たさに驚いて思わず手を引いてしまった。
確かに、『あったか~い』のボタンを押したはずなのに……。
一瞬間を置き、私は気のせいだと自分に言い聞かせて再び缶コーヒーを手に取った。
「つっめた! なんでぇ……?」
缶コーヒーは本当に冷たかった。早朝の冷気と相まって、缶を握る手がピリピリと痛む。
『あったか~い』ってボタンを押したはずなのに!
元日の朝から自販機に騙されて貴重なお小遣いを無駄にしてしまうなんて、一年の始まりとしてはあんまりだ。今年はきっと、良いことなんて一つもないんだろうなぁ! と、自販機の前に座り込んでふてくされていると、横から手が伸びてきて、私の掌にある冷え切った缶コーヒーに指先を触れさせた。
華奢な手指だけれど、あちこちにたこが出来ていて、どこか逞しい印象を与えている。男の子なのか女の子なのか分かりにくい、不思議な手。
でも、あたしには女の子の手だとすぐに分かった。ちーちゃんの手だ。
「うわっ、ほんとに冷たい! 珍しいことがあるもんだねぇ!」
ちーちゃんはそのまま私から缶コーヒーを取り上げて、頬にくっつけたり、はぁー、と息を吹きかけたりして遊んでいる。
ちーちゃんは心に素直で、子供っぽい。
小学生の頃から陸上部に入っていて、運動一筋で授業中も部活ノートばかり見ていて先生の話を聞いていないから、成績はあまり良くない――かと言えば、そうでもない。授業はほとんど聞いていないくせに、テストでは可もなく不可もなし、という感じで平均的な点数をキープしている。私は国語以外平均点に届いてないのに!
ちーちゃんとは小学校に入学した時からの馴染みだけれど、どうも気に入らないと感じていた。
私と違って、運動にも勉強にも不自由を感じていないように見えるから?
そんなちーちゃんを羨ましいと思っているから?
とにかく、ちーちゃんと一緒にいるとなんだか胸の奥に不快感があるのだ。
「……もう、何しに来たのよぅ」
ちーちゃんを追い払おうと、いかにも不機嫌そうな声を私が出すと、「んー? うちは初日の出を見に来たの」と彼女は言って、松林の向こう側に見える砂浜を指差した。
「そしたら紅子が一人で歩いて帰ってくのが見えたからさ、追いかけてきたら紅子が自販機で大当たりを引いたところに出くわしたってわけ」
「何が大当たりよ、嫌味ならやめてよね」
「いーや、大当たりだよ。あったか~い、を押して 冷たい飲み物が出てきたことがある人なんかいるー? いないでしょ。だから運がいいんだよ、紅子は。今なら宝くじも当たっちゃったりしてー」
「……へりくつー」
はぁ、とため息を吐く。ちーちゃんのお喋りに付き合うのに疲れたのと、冷えた手を温めるため。
本当は、さっき買ったコーヒーで温まるつもりだったのになぁ……。
財布の中を覗いてみたけれど、そこにはもう十円玉が二枚あるだけで、体を温められそうなものは何一つ買えそうになかった。
諦めて家に帰ろうと立ち上がると、横にちーちゃんが立っていて、自販機のボタンを押していた。彼女は取出しから出てきたあったか~いココアを頬に当てて、私の手に押し付けた。
「奢ったげるから、元気出しなって」
そう言って笑いかける、ちーちゃんの顔が眩しい。
手の中のココアが温かくて、先までの苛立ちもあっという間に溶けて消え去ってしまった。
私はちーちゃんにありがとう、と一言伝えたかったけれど、都合の良いことをされて手の平を返したみたいで、気が引けた。
「私、ビンボーだから返せないよ」
「いーよ。言ったじゃん、奢ったげるって。代わりにちょっと付き合ってよ」
「何に……」
「初詣。すぐそこに神社あるじゃん? そこでお参りと、おみくじ引こ。宝くじが当たりますようにーってさ」
ココアの恩義くらいは返さなきゃ、と私は渋々了承するような演技をした。いつまでこうしていれば良いのかなぁ……。
短い道中、私はちーちゃんに貰ったココアをちびちび飲みながら、冷えた缶コーヒーの所在を聞いた。するとちーちゃんはジャケットの膨らんだポケットから缶コーヒーを取り出して、「紅子が不幸を呼び寄せたと思ってるこれは、うちが貰っとく。こんなの持ってても、うちは運が良いままだからさー!」と。
そんなちーちゃんをやっぱり、眩しいな、って思う。今朝に見た初日の出よりも、よっぽど。
「あの、さ……ありがと、色々と」
私はちーちゃんの優しさにちゃんと応えたくて、せめてものお礼を言った。
「いーって! 友達なんだから」
ちーちゃんはあっけらかんとして言った。
「あとさあとさ、新年と言えばーってあれ、まだしてないじゃん。今からやろうよ」
「……あぁ、あれね! いーよ、やろ!」
私たちは神社の鳥居の前で息を合わせて、大きく声を張り上げた。
「あけおめ! ことよろーっ!」
いつかの百合たち 詩希 彩 @arms_daydream
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