祈りと願い
放られた五円玉が賽銭箱の上で何度か跳ねて、小気味いい音を立てながら中に吸い込まれていった。
ぴん、と背筋を伸ばして深くお辞儀。もう一度頭を下げて、両手を合わせる。瞳を閉じて、どこかで見ている神様に強く念じながら手を打ち鳴らした。静かな境内に破裂音が二度響いた。たとえ神様が居眠りしていたって、この音は届くだろう。
芹とまた一緒に遊べますように。また一緒に学校に行けますように。
両手のひらを合わせて、強く祈った。
芹は私の大親友。去年の夏頃から病気でずっと入院している。最初の頃は同じ学年の生徒みんなでお見舞いに行ったり、ビデオを送ったりしていたけれど、今は私みたいに仲の良い友達が数人、千羽鶴を持って行ったり、話し相手になってあげたりしているだけ。他のみんなは芹が病気と闘っていることなんか忘れてしまったみたいに、いつまでも空いたままな教室の一つの席を忘れてしまったみたいに過ごしている。冷たい人たちだと思うけれど、責める気持ちはない。だって、私が芹の完治を願う気持ちはこの宇宙の誰よりも大きいから。お見舞いに来なくなったみんなの分を余裕を持って補えるくらい。
腕が震えるほど力強く合わせていた手のひらを離し、深く頭を下げる。二匹の狛犬に手を振って、神社を後にした。
ハンカチで額の汗を拭きながら引き戸を開けて、芹の病室に入った。
「やっほ、芹」
にぃ、と歯を見せて笑うと、ベッドから外を眺めていた様子の芹がこちらを向いて、穏やかな笑みを浮かべた。手首に繋がれた点滴チューブが目に入って、目蓋の筋肉が一瞬びくん、と動いたけれど、芹の前だから控えた。お見舞いに来た人間が暗い表情を見せちゃいけない。
「相変わらず元気だね、咲は」
芹の声音は落ち着いていて、川のせせらぎを聞いているような気分になる。
相変わらず元気だね。
以前まで、私が言っていたはずの言葉。外見はそれほど変わっていないけれど、その内側には私と一緒に遊んでいた頃のエネルギーはない。それを実感して、重りを乗せられたみたいに胸が重苦しくなる。
私が言葉に詰まったのを見て、「ごめん。嫌味っぽかったね」と芹が謝る。芹は何も悪くないのに。
「ううん、返事に困っちゃっただけ。気にしないで」
私こそごめんね、と言いかけて、その言葉を喉元で飲み込んだ。せっかく会えたのに、互いに謝ってばかりになるのは嫌だ。
心の中で自分の頬を両手で叩いて、ベッド横の椅子に腰掛けた。
「何見てたの?」
「外だよ。ここから見える雲とか、空とか、太陽だとかを見てるの。一人でいる時はいつもそう」
芹が目を細めて空を見るから、私もそれを真似る。絵の具で塗ったみたいに青い空。その所々に浮かぶ綿あめみたいな雲。太陽は雲の背後に隠れていてもなお眩しい。
「咲は今日もお参り?」
窓の方を向いたまま頷く。お参りは芹が入院してからの日課で、お見舞いに行く日は特に念を入れている。毎日神様に祈れば、芹の病気が治るような気がするから。
「私に出来るのは祈ることくらいだから。神様が願いを叶えてくれるまでは続けるよ」
クレーマーみたいだと芹が笑う。ようやく声をあげて笑ってくれたから、嬉しくなって一緒に笑った。
それからは私も芹もすっかり調子を取り戻して、いつものように、会っていない間にあった楽しい出来事や面白い話をした。新しく赴任した担任の加藤先生がかっこいい話とか、また茂山君が告白した女の子にフラれて、うちの中学で一番失恋した男の称号を与えられた話とか、将来の夢はなんだと聞かれて神様になりたいと答えたら教室中に笑い声が響いた話とか。
二人で笑い合っていると看護師さんがやってきて、面会時間の終了を告げられた。
「もうそんな時間なんだ。へへ、久しぶりにいっぱい笑った気がする」
そう言う芹の表情は活力に溢れた良い笑顔で、私は胸を撫で下ろした。芹にはいつだって元気でいて欲しい。
「良かった。またすぐに来るからね」
「うん、待ってる。それと、一つだけお願いがあるんだけど」
「なに?」
頬をもごもごと動かしながら、しばらく空を見詰めた後に芹は口を開いた。
「お参りにはもう行かなくていいよ」
なんで、と聞いた。
「ほら、毎日神社に行くのって大変でしょ。夏はいつも汗だくでここに来るから、心配でさ」
右親指の腹で人差し指の付け根を擦りながら、歯切れ悪く答える様から、私は芹が嘘を吐いていると思った。彼女が嘘を吐く時にする変な癖だ。どうして嘘を吐くのか分からなくて、私は自分の今までの行為が独りよがりなものだったんじゃないかと思い始めた。迷惑だったかな。胸から喉元までに熱いものがこみ上げてくる。
「う、うん。ごめんね」
ばいばい、と掠れた声で別れの挨拶をして、返事も聞かずに病室を出た。
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