空を飛べない、綺麗なだけの

 中学校の屋上から飛び降りた少女を見て、綺麗だな、と思ってしまった。

 自ら命を絶つ人間の顔は、決まって暗く凍りついている。感情が欠落した表情をして、それしか選択肢が無いとでも言うように躊躇なく首を括ったり、身を投げたりする。

 そんな愚かでつまらない死に方をした人間の肉を喰らい、血を啜るのが私の楽しみだというのに、なんだ、この少女は。

 朱に染まった眼の縁から流れる涙は、一粒一粒が月明かりに照らされ、宝石となって宙を舞っている。身を投げた少女の体は瞬く間に宝石の涙を置き去りにし、落下している。しかし、真っ白な長髪はふわりと広がって、少女は落下ではなく空を飛んでいるのではないかと錯覚させる。

 そう、その様がどことなく、儚げに羽ばたくカイコのように思えたから、綺麗だと思った。

 私は尚も落下を続ける少女を見詰めながらじぃ、と見ながら、美しいものは死んではいけないと思った。そしてすぐにその言葉に背中を押され、少女の体が地面に叩きつけられる寸前に飛び込み、空中で抱きとめた。

 「まだ生きてるかい……って、おいおい……」

 軽やかに着地して、少女に声を掛けてみたが、返答が無い。肌に触れてみると冷たいが、呼吸はしている。きっと死の恐怖で血の気が引いたのだろう。

 私は意識を失った少女を抱えて、寝床に戻ることにした。真夜中とはいえ、人目に触れるわけにはいかないので、住宅街の屋根の上を駆けた。十代の少女を抱えながら駆けることくらい、私にとって造作もないことだ。

 人間が階段を二段飛ばしで上るのと同じ感覚で屋根をいくつも跳び越えていくと、あっという間にレディースマンションに辿り着いた。

 少女の頬を軽く指でつついてみるが、相変わらず反応は無い。私は溜め息を一つ吐いて、周りに人の気配が無いことを確認してから、六階の自分の部屋のベランダまで跳躍した。

 あらかじめ鍵を開けたままにしておいた窓から入って、少女をベッドの上に寝かせてやると、私は改めて溜め息を吐いた。

 冷蔵庫から紅い液体の入った瓶を取り出し、栓を抜いてそのまま一気に呷る。唇の端から液体が垂れるのも気にせず飲み干すと、自分は一体何をしているのか、と思う。

 態々襲う手間が省けるから、自殺した人間を喰らっているのではなかったのか。それを、綺麗だったから、などという理由で助けるなんて。生かしたところで、人間はまた繰り返すだけだというのに……。

 ならいっそ、ここで血を吸い尽くして殺してしまおうか。ここ最近生き血を吸っていない。良い機会じゃないか。

 空き瓶をその辺に放り、ベッドに横たわるの上に跨った。少女は未だ意識を取り戻さず、すぅすぅと心地良さそうに寝息を立てている。幸せな夢でも見ているのだろうか。

 その、少女の顔を覗き込む。先程まで青ざめていた肌は血色を取り戻したが、それでも少女の肌は雪のように白い。純白の髪は触れると綿のように柔らかく、ふわり、という言葉がよく似合う。

 そんな少女を見て、やはりカイコだ、と思う。

 こんなに美しい少女の生き血を吸えるのなら躊躇う必要もない。首筋に舌先を這わせ、血管を探し当てると、牙を押し当てた。肌は一瞬の抵抗の後、牙を受け入れ、貫かれる。牙の先端からは麻痺毒が注入され、少女は一瞬たりとも暴れることなく血を吸われ尽くすことになる。

 後は、存分に少女の血を堪能するだけ。

 美しい少女の生き血は格別に美味だ。情欲がそそられる程に。

 たまらなくなって、私は貪るように血を吸い、嚥下した。傷口から垂れる血の一滴すら残さず、咥内に取り込んだ。

 そうして血を吸い続けている最中、ひゅ、と喉の鳴る音がして、少女が絶命しつつあることが分かった。私は少女にせめて苦しみを与えずに、夢を見たまま死なせてあげようと、一気に血を取り込んだ。少女の体が一瞬跳ね、次いで脱力して、呼吸をした。

 私は少女の血を味わいながら、彼女の息絶える瞬間を音で感じようとした。

 その、最期の瞬間。

「……。葵……せん、ぱい……」

 掠れた、声にならない声で、女の名前を口にした。

 唇を離して、息絶えた少女を見る。

 やっぱり、カイコだな、と思った。

 


 

 

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