みみかき
「ありがとうございました。また来てくださいね。待ってますから」
いかにも心の底からそう思っているような笑顔を向けて、お客様を送り出しました。今回のお客様が不快だったわけではありません。私はただ、お客様の求めている言葉を口から出しただけです。
小町になって二年、私にはお客様の心が求めているものを読み取ることが出来るようになっていました。超能力が使えるようになったわけじゃありません。なつめ庵を訪れるお客様は皆、心のどこかに寂しさを抱えています。お客様と一緒にお茶を飲みながら世間話をして、膝枕をする。耳をマッサージしたり、耳かきをしたりしていくうちにお客様は次第に心を開いて、感情を曝け出していく。そうして裸になった心に触れて、癒してあげるのが小町の務めなんです。
紙コップに残っていた緑茶を飲んで息抜きをしていると、またすぐに受付から連絡が来ました。なつめ庵を初めて利用するお客様ということで、今日出勤している小町の中でも経験豊富な私に声が掛かったのです。
新しくお茶を淹れて、綿棒や耳かきなどの小道具が不足していないかを確認しながら、お客様が暖簾を潜るのを待つことにしました。
暖房が程よく効いた部屋に眠気を誘われて、小さく欠伸をこぼした頃、暖簾が慎重に上げられました。
あっ……と、私の口は欠伸をした形のまま固められてしまいました。
それは彼女も同じで、私たちは同じ顔をしてしばらく見つめ合っていました。
沈黙を破ったのは、彼女でした。
「もしかして、美咲……?」
「……やっぱり、さら」
浴衣を纏い、茶髪に染めた私を彼女が認識出来たように、私も一目で彼女がさらだと分かりました。
黒髪のボブに、まん丸としたブラウンの瞳。左目の下には泣きぼくろがあって、あの頃はよく指で撫でて揶揄っていたっけ……。しゃん、と鈴が鳴るような声も相変わらず。
「とりあえず、入ってよ。せっかくお金払ってるんだから」
彼女は頷き、私はお茶とおしぼりを出しました。お茶を一口飲むと、さっきまでの気まずさは吐いた息とともに消えていきました。
「さらがこんなお店に来るなんて意外。そういう趣味なんかなかったでしょ」
高校生の頃と同じように話し掛けてみましたが、さらは気まずいようで、俯いて口をもごもごとさせているだけです。なつめ庵を初めて利用する彼女がここにいられるのは一時間だけ。二年ぶりに会えたさらとの時間を楽しいものにしようと、私はとにかく話題を振り続けました。キャンパスライフはどう? いつ帰省したの? 等々。
さらはどの質問にも答えてはくれませんでしたが、恋人は出来た? と私が聞いたところで眉をぴくりと動かし、
「ふられたよ」
と、ぶっきらぼうに答えました。
その声は今にも消え入りそうで、胸の奥がピリリと痛みました。それがなつめ庵を訪れた理由なのでしょう。私は彼女の話を聞いてあげることにしました。
「それが、ここに来た理由? なら聞かせてよ。お客様の心のわだかまりを取り除いてあげるのが小町のお仕事なんですから」
茶化すように言って促すと、私は畳に移って正座をして、ぽんぽんと膝を叩きました。小町として接した方が、彼女も気が楽だろうと思ったからです。
さらは控えめに私の膝に頭を乗せました。体を丸めた彼女は幼い子供のようで、私はとても愛おしく思いました。
温かい濡れタオルで耳を拭いてから、耳かきと綿棒のどちらを使うかを決めます。さらの耳はあまり汚れていなかったので、濡れ綿棒で細かい耳垢を取り除く程度に留めておくことにしました。
耳の溝をなぞるように綿棒を動かして耳かきを始めると、さらも口を開いて語り始めました。
「大学に入ってすぐ、彼氏が出来たんだ。入学前からツイッターで話してて、気が合う人だとは思っていたんだけど、実際に会ってみてもそれは変わらなくて、しかも顔も結構良くてさ……」
相変わらず面食いなんだ、と笑ってしまいそうになりましたが、唇をきゅっと結んで我慢しました。さらは真剣に話してくれているのです、それを笑ってしまったら小町失格。私は何も言わず、彼女の話を聞いているだけで良いのです。
「それで、何度か会ううちに意気投合して、付き合うことになった。告白は私から。良い景色が見られるタワーに行ったときにそういう雰囲気になって、私も彼もずっと黙ったままでさ。その間ずっとどきどきしっぱなしで、彼に告白されるのも待っていられなくなっちゃって、好き、付き合ってくださいって手を握って告白したら、すぐにオーケーしてくれたんだ。……それから半年くらいは本当に幸せだった」
さらの話はそこで一旦止まりました。頭の中で幸せな思い出と辛い記憶を整理しているのでしょう。ちょうど右耳の掃除が終わったところなので、彼女に反対側を向くよう促しました。
左の耳朶にはほくろが二つあって、小犬座のように並んでいます。仲良く並んだ星を指の腹で撫でると、彼女は擽ったげに体を捻りました。楽しくなって脇腹を突くと、今度は声を出して笑いました。嫌がっている素振りは見せていないので、擽るのを続けます。やめてよ、と笑いながら訴えるさらの表情は先ほどよりも明るく、私は安堵の溜め息を吐きました。
さらの横に寝そべり、彼女の頬を指で突きながら壁掛け時計に視線を向けると、共に過ごすことの出来る時間がもう残り少ないことが分かりました。
「そろそろ、お別れだよ」
私がそう言うと、彼女は寂しげに眉を下げました。その顔があんまり愛おしいものでしたから、思わずさらを抱き締めてしまいました。
腕の中のさらは、私よりも身長が高いはずなのに、とても小さいものに感じました。小犬や子猫などに喩えられるくらい。嫌がって抵抗する様子もないので、私は残りの時間、彼女を抱いていようと決めました。
高校生の頃は柔軟剤やボディーソープの優しい香りがしていた体から、今は香水の匂い。彼氏に喜んでもらうために買ったのかな、と考えて、針で刺されたような痛みが胸に走りました。胸の痛みを誤魔化そうと彼女の旋毛に鼻を押し当てると、あの頃と変わらないシャンプーの優しい香りが鼻孔を擽り、私は安心しました。二年の時の流れは、彼女の全てを変えてしまったわけではないのです。
さらと触れ合っている時間は永く幸せなものでしたが、時の流れは残酷で、あっという間に別れの時が来てしまいました。
彼女を立ち上がらせると、私は小物入れからメモ用紙を一枚取り出し、電話番号とラインのIDを書き込んで差し出しました。
「ここ、施術と関係ない触れ合いは禁止なんだ。だから、また会いたくなったらここに連絡して欲しいな。呼んでくれたらいつでも飛んでいくから」
小町とお客様の関係ではなく、美咲とさらとして会いたい。これは彼女が求めているものではなく、私自身の言葉でした。喉が火傷したように熱く、本心から出た言葉を口に出すことがいかに大変か思い出しました。さらと再会してから、私の心は高校生の頃に戻ったようでした。
「うん、きっと連絡するよ。ありがとうね、美咲」
「また、来てね。待ってるから」
心の底からの笑顔を向け、私は手を振って彼女にひとまずの別れを告げました。
さらの唇が触れた紙コップの縁をなぞると、指に熱がともるのを感じます。ほんのり桜色に染まった指に唇を触れさせながら、私は静かに祈りました。
彼女と一つになりたい、その願いはあの頃から変わっていません。たとえ失恋の傷を利用する形になったとしても。
だって、こんな偶然、二度とないだろうから。
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