いつかの百合たち
詩希 彩
骨壷
夕焼け。水平線の向こう側に沈みつつある夕日が、空のうろこ雲を紅く染めていた。
シキは自転車のペダルをアルバイトによる疲労で重くなった足で漕ぎながら、紅いうろこ雲をぼんやりと眺めていた。
ある日を契機に、シキはあらゆる物事に対する関心を失ってしまっていた。人の顔と名前がまるで一致しないし、フィクションの物語に感動も出来なくなった。感情が凍り付いているのだ。まるでアンドロイドのように。だから、夕焼けで紅く染まったうろこ雲を見ても、「雲が紅いんだな」と認識するだけで、特に感想を持つことは無かった。
自宅まであと十分程度。人通りの少ない川辺を走行していると、前方を歩く小さな人影がシキの目に入った。それは小学五年生くらいの背丈をした少女で、真っ黒な髪をこれもまた真っ黒な衣服の肩甲骨辺りまで真っ直ぐに伸ばしていた。その少女は何やら大きな荷物を両手で抱えており、その所為で鈍重な足取りであった。
シキは、どうにもその少女のことが気になってしまっていた。それは少女が一人で歩いていたからでも、抱えている荷物の正体について知りたいからでもなかった。只々気になったのだ。数年ぶりの人間らしい感情の現れに、シキは動揺し、吐き気さえ覚えていた。
鬱陶しい感情を取り除くため、シキは少女に接触することに決めた。この感情を消し去り、また機械人形のような人間に戻りたい、というのがシキの考えだった。
シキはペダルをゆっくりと漕ぎながら少女に近付き、少し通り過ぎたところで自転車を止めた。そして振り返り、シキは少女を見た。久しく人の顔を意識して見ることになったものだから、力んで睨み付けてしまっていた。
少女が着ていたのは喪服だった。そして持っていたのは骨壺。しかし、その特異な出で立ちなど問題外になるようなことが目の前で起こっていた。
「キ、キリコ……?」
その少女は、かつてシキが愛したキリコという女性と瓜二つだったのだ。病的に白い肌、チークを塗ったわけでもないのに桃色に染まっている頬、ビー玉のように大きく丸い瞳。異なる点と言ったら、キリコが灰のようなグレーの髪色をしていたのに対して、少女はキリコの髪に墨を塗りたくったような真っ黒な髪をしているところだ。
「……あは。おねえさんが、シキちゃん?」
少女は瞬間困惑して首を傾げたが、すぐに微笑んで口を開いた。あは、という演技っぽい笑い方まで、キリコとまるで同じ。
少女の口から自分の名が出てきて、シキはさらに困惑した。何故、面識の無い小学生の少女が自分の名を知っているのか。
シキは喉の辺りまでせり上がってきた吐き気を抑えるために首元を抑え、深く呼吸をした。
狼狽えるシキに構うことなく、少女は再び口を開いた。
「おかーさんね、死んじゃったの」
キリコの生き写しの少女は、張り付いたような笑顔を浮かべたまま、ここにキリコの遺骨が入っているのだと言わんばかりに骨壺を摩りながら、そう言った。その一言は奇しくも、シキの人生を狂わせたキリコの言葉と類似していた。
そして無意識に、あの日のことを想起してしまう。
玄関を開けると、血で服を紅く染め、ナイフを片手に佇むキリコの姿があった。傍らには胸を真っ赤に染め、血の水溜まりを形成しているシキの母。
非現実的な状況に唖然としていると、キリコが微笑んで口を開く。
「シキちゃんのおかあさんね、あたしが殺しちゃった」
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