「ワケアリカラクリ」
「この無礼者! 出直してこい!」
受け取った冊子を突き返し、教会から三人を締め出した。婦人二人と子どもが一人、顔を見合わせている気配がする。すぐに罪悪感に駆られたが、それよりも怒りの方が強かった。こんな侮辱を受けても、俺には本来言い返す事は出来ないのだ。事実を事実として認めるのであれば、俺はどんな雑言罵詈も粛々と受け止めていなければならない。しかし、ものには限度というものがある。人の姿を模(と)っている以上、感情だって備わっているのだ。
人間としての俺が、無礼な妹の言い分に怒っている。しかし宗教家としての俺が、妹の言い分は世の大半の無関心な人々の言葉なのだと受け止めている。生まれてまだ二百年も経っていない幼い妹。本来なら、俺の妹ではなく、姪と名乗るべき考えの基に動く妹。
それでも名乗ってしまったからには、末席に加えなければならない。少なくとも彼女達が使っている『聖書』は、伯父由来のものではなく、父が二世紀に編纂した聖書だ。俺が幼かった頃、アリウスという兄弟がいたが、その人にそっくりなのも、また腹立たしい。何故先祖返りをしているのだ。時代は二十一世紀だぞ。アリウスがいたのは三世紀だぞ。
「…なんだよ、たかが二百年も経って(生きて)ないくせに。」
言い訳がましいかも知れないが、たかだか一八〇年で人の本質に迫れるかと言ったら、多分その気になれば出来るのだろう。しかし、あの子はそれが出来ていなかった。潔癖無垢を至上主義とするのは決行だ。俺の仲間でも、修道院なんかはそういうところがある。だが、それが全ての信者に求められ、全ての信者が応えられるという前提からして、俺とは相容れない。そもそもこの俺が、そんなものからは程遠くなってしまったのだから。それを公表するだけでも相当会議は荒れた。
あの娘の家では、そんなことは起こらないのだろう。逆らう信者は追放し、神の国からも追い出せば良いのだから。
「………。はあ。」
酷く自分の吐く空気が重たかった。まだ胸の中に淀みが沈んでいる気がする。重たい足を持ち上げて、司祭館に戻った。テーブルの上には、ついこの間、医療ネグレクトで死亡した子どもの新聞記事の切り抜きが、何社分もある。そうだ、昨日、マーティンが怒り心頭でこれを持ってきて、意見と対策を求めてきたんだった。末の三姉妹がとんでもない子達だというのは、噂には聞いていたが、内々から伝わってくる彼等の言い分を聞いて、ぞっとした。
あの子は、聖書なんてものに、なんてものを賭けているのか。
父が作り、五本山が受け継ぎ、マーティンが広めたものが、そこまでの暴力の道具になっていただなんて。今日、あの子達が来なければ、こんな危機感を持たなかっただろうし―――こんな悔しさもなかっただろう。
「………。」
何の気なしに、受話器を取っている自分に気付く。リダイヤルすれば、昨日、困惑して電話をかけた相手の所に繋がるだろう。
………繋がって、どうする? あの子の言っていたことを言うのか? 何のために?
「………いいや。」
受話器を戻そうとしたとき、突然呼び出しの音楽が鳴った。ぎょっとして受話器を取り落とす。…番号を確認すると、昨日かけた相手だった。出ない訳にはいかないだろう。
「…もし、もし。」
『あ、ローマンか? 今日そっちにちびっ子を連れて行くから、信徒ホールを貸して欲しかったんだけど………。なんかあった?』
「何でもないよ。それよりちびっ子って? うちの園児?」
『いや、違うよ。ジャネットだ。』
ヒュッと呼吸が震えた。その瞬間、自分が真っ白になって、色が抜け落ちていくように理性が剥がれていくのが分かった。
「………ジャネット・ウィリアムズを、連れてくるの。」
『ああ、うん。見てみたいものがあるらしいんだけど、一人で行くのは怖いんだってさ。…おい、ローマン、本当にどうした? 何があった?』
「…親父は、」
『うん?』
「どうしてジャネットと行動するの。」
『はえ?』
「どうしてあんなクソガキの面倒見てやるんだって聞いてんだよ!!!」
ガンッと受話器が床に叩きつけられる。その拍子に、何かのボタンが押されたようだった。
「なんで、なんでそんなガキのお願いなんか聞いてんだよ! そいつが何したのか分かってんのか? アンタの息子たちを何て言ってるか知ってんのか!? 人を殺したんだぞ、聖書を使って!! 聖書を曲解させて、子どもを死なせた!! 子どもから医療を奪ったんだ、その為の裁判だって起こってる! そりゃ俺だって、聖書使って人殺したことはあるよ? まだ謝罪だって禄に終わってないし、どころか裁判なんかしちゃいない奴だってあるし、物によったら記録さえ残してない。だけど俺は、その時代の理性の最先端としてやるべきことも責任もやりきったよ!! あいつがやってるのはなんだ? ただの迷信とこじつけだ!! あいつの仲間に会ったか? からくり人形みたいに寸分違わない話し方をする!!」
『そうだな。父さんの所にも、同じように仲間と一緒に来たよ。』
スピーカーになっているらしい。父の声が、くっきりと聞こえた。悔しくて床を激しく叩きながら、尚も絞り出す。
「だったらどうして!! どうしてそんな奴の相手をしてやるんだ!! たったの―――たったの二百年も生きていないガキの癖に、二千年近く続いた五本山(俺たち)の、何が、何が分かるって言うんだ!! 人の弱きも知らないで!!!」
『ローマン、間が悪かったな。ジャネット達は後にするよ、今はお前の顔が見たい。』
「…冗談よせよ。いい年こいて父親に泣きついてる息子の顔なんか見て、どうするんだ。」
『父親が息子に会いたいのはおかしいことじゃないだろ? ただ―――まあ、なんだ。からくりとはよく言ったものだよ。確かにあの子の仲間は一挙手一投足、何もかもが同じだ。マニュアル通りにしか、あの子達は行動しないし動かない。』
「………。」
『それが人間らしいかどうか、オレには明確に言えないけど………。でもあの子が、ジャネットが、目の前にある色んなからくりの一つに、自分があることに気づけるまで、オレはお前の味方だよ。』
こんこん、と、司祭館の扉がノックされる音がして、俺は顔を上げた。出迎えようと思って玄関まで行ったが、鍵を開けることが出来なかった。
「ローマン、ローマン? いるんだろ、開けてくれ。」
遠くの受話器と目の前の扉の向こうから、同じ声がする。父が来たのだ。
「…やだ。」
「どうして?」
「…だって、あいつが言ったの、嘘じゃねえもん。…俺はどこに出しても恥ずかしい、五つ子の落ちこぼれだ。長男なんて、名ばかりだ。」
「それはお前が勝手に思ってることで、父さんが思ってることじゃない。開けてくれ。」
「親父はそう思ってくれてても! 世間はそんな風に思いやしない、歴史は俺をゆるしやしない!!」
「世間の意見なんて、毎秒死んで行くものじゃないか。どれくらい後の歴史でお前を救うかは、神のみぞ知ることだ。な、開けてくれ。傍に行かせてくれよ。オレの子はからくりじゃない。人の肖像を持つ以上は人と同じだ。開けて開けて。………怒らないから。怒ってないから。ね? 開けてよ。」
そっと鍵のつまみに手を伸ばす。
このつまみをぜんまいのように回して、動くだけのからくりのように仲間をコントロール出来るなら、その方がきっと楽だろうけれども―――。
そんなものと、神は愛し合おうとはなさらなかっただろう。
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