「きよしゆくとしくるとし」

 敷地内では寒いだろう、と、ホールを開放したが、人が多すぎた。二階の自分達の部屋にまで、時計を見つめる人々の声がする。デジタルの時計に、四つゼロが並ぶ瞬間、今年も大騒ぎになるのだろう。それは構わない。ただ問題は一つだけ。

 眠い。


 日本の年末は忙しい。十一月の終わりから待降節に入り、勝手の変わるミサを行うのは、万国共通だ。何故かイースターよりもクリスマスが根付いたこの国では、信者以外にも、信者の友人がクリスマスのご馳走目当てにやってきたりするし、そういう客人をもてなすのも仕事だ。クリスマス・イブは夜にミサが二度もある。それぞれの生活スタイルに合わせる為だ。それはまあ、別に良いのだ。

 問題は二十六日からだ。この日から、元旦ミサの準備に加えて、年賀状に一筆添えなければならないのだ。印刷も機械でやってくれる時代だし、教会としての年賀状は、事務員が挨拶文を考えて書いていてくれる。しかし中には、そんな事務的な年賀状ではなく、『俺』に年賀状を送ってくる人間も少なからずいる。俺の在り方がどうとかではなく、俺個人に、年賀状を送りたい、という信者だ。特別の尊敬を集めているというのは、不思議な気もするが、悪い気はしないし、応えられるなら応えるべきだ。大体そういう信者は、暑中見舞いや寒中見舞いを送ってくるので、そういうはがきをとっておいて、一筆、『俺』として書くのである。クリスマスが終わったら、その対応に追われるのである。一日には元旦ミサもあるので、新年に相応しい挨拶を毎年考えなくてはならない。そして、年始であるので、いつものように失敗談や過去の恥部を面白おかしくオブラートに包み、なんとなくいい話にする訳にもいかない。今年初めの、というのは、存外この国では大切にされる。教会暦とグレゴリオ歴の始まりは違うから、結果的に俺達は年に二度、『説教始め』をしなければならないのである。勿論、その内容も被ってはいけない。

「うー………。あー………。」

 少しでも眠った方が良いのに、眠れない。枕元のデスクには、書きかけの新年の挨拶の原稿がある。これが気になって眠れないのだ。

 やっとクリスマスミサが終わって一区切りついたというのに、やれ餅つきだの甘酒の準備だのみかんの仕分けだのと、教会は騒がしい。何故前日に餅をついてはいけないのだ。その餅つき、今すぐ食べるものと、年を跨いで一週間後に食べるものと、二種類つくのは、まあいい。ああいいが、その間自分は、きゃいきゃいと子供達が騒ぐ空間に、寝不足で、それを見守っていなければならないのだ。それも一日中、ずっと。子供が居る間、子供を見ているだけならいいが、これまたクリスマスの時のように、餅目当てで来る客人をもてなさなければならない。往々にしてクリスマスの時にも、ご馳走に与りにきた者が多い。ということは、この人の名前は何で、誰の知り合いなのか、まで覚えていなければならない。しかも、その客人というのは毎年恒例組と突発組とがいて、突発組は特に丁重に歓迎しなければならないのだ。何故って、彼等は神父のハードスケジュールを知らないからである。

 …坊主丸儲け、なんて言葉を生み出した日本人、今すぐしばいてやりたい。

「うわーん、ローマンさまぁ!」

 ドンドンドン、と、激しく扉を叩かれ、目が回るように覚めた。

「はいはい、どうぞ、お入りなさい。」

 この声は教会学校のリーダーの子じゃなかっただろうか。俺が玄関に彼を招き入れると、もう間もなくめでたい新年だというのに、涙を溜めている。

「どうした、みかんならさっき、事務員が持ってったぞ。」

「みかんじゃないよ! さっきそこで変な女の子に絡まれたのー!」

 正月間近、俺の教会の周りをうろつく『女の子』。一瞬で誰のことか分かった。

「あー………。ジャネットって名乗ってなかったか?」

「わかんない! でもこんなの貰ったの!」

 そう言って、少年は俺に、正方形のパンフレットを差し出した。命令調のタイトルと、油絵のような写実絵のような独特な絵柄、そして下の方に、『クリスマスと新年―期待に応えてくれますか』と書かれている。ああ、こないだ俺が留守の間に、ポストに入ってた奴だ。確か祝杯によって家庭内暴力が起こるとか書いてあったっけ。忘れてた。

「ここでお祝いしてたら、神様が怒るって言ったんだ! 世界の終わりのタイムリミットが迫ってて、来年で世界が滅んじゃうんだ!」

「あー…。」

「怖いよ、ローマンさま。ボク、どうしたらいいの?」

「あー…。」

 言葉が出ない。というか、こんな疲労状態でこんなものを持ってこないでくれ。しかし今は、とにかくこの、妹の被害者を慰めてやらねば。

「ユウ、クリスマスプレゼントもらった?」

 膝を折り曲げて、少年の目線より少し低い位置に顔を下ろす。少年はこくこく頷いた。

「去年や一昨年のクリスマスプレゼントのおもちゃ、まだ遊べる?」

「遊べたんだけど、なんか壊れちゃって、お店で直せないんだって。」

 …それは俗に言う転売ヤーから買ったからではなかろうか。だが今は丁度良い。

「形あるものは、いずれ壊れてしまう。それはユウのおもちゃも世界も同じだ。でもね。」

 徐々に涙の膜に被われた瞳が、こちらを向いてくる。

「神さまは、ユウくん達がとても大事なんだ。だから、ずっとユウ達と遊べるように、どんなに壊れたって、直してくれるよ。この紙は、皆や世界が壊れてしまうことしか言ってないけど、神さまはユウ達が大好きだから、壊れる前に直すし、壊れたとしても捨てたりしないよ。だから大丈夫、新年のお祝いをしておいで。」

「ほんとにぃ? 来年世界滅んだりしない?」

「滅ぶかどうかは分からないけど、ユウくんも教会に来てないお友達も、みーんな神さまが護ってくれるから、なんの心配もいらないよ。教会学校で、神さまは助けてくれるって、習ったでしょ。」

「うん…。」

「どんな時も神さまは助けてくれる。それだけ分かっていれば良いんだよ。さ、みかんでも食べておいで。」

「………。うん!」

 少年はやっと納得してくれたようだった。扉が閉まるのを確認し、大きく溜息をつく。日付が変わったら挨拶をするために出なければならないのに、こんな煩雑なものを持ってこないで欲しい。

 …というか、仮にも幼女の姿を模しているのだから、こんな夜中に出歩くんじゃない。

 すっかり目が覚めてしまったので、デスクに向かった。もうこうなったら、原稿を書いてしまおう。二十四時間程度眠らなくたって、どうともない。

「―――んん!?」

 デスクのアナログ時計が、『23:59:45』と並んでいる。あと十五秒で新年だ! まずい!

 こうなったらアドリブでやるしかない。俺は原稿を放り投げ、司祭館から飛び出した。

「―――ゼロ! あけましておめでとう!」

 寝不足の頭に、信者達の脳天気な歓声が良く響く。しかし、まあ、ジャネットの寄越したあのパンフレットのように、今年こそハルマゲドンが来ると目を輝かせるより、目の前の酒食を楽しみ、親睦を深めている方が、俺の性には合っている。あれはあれで幸せな新年を過ごしているだろうから、俺は自分の所に集まった羊たちを牧さなければ。

「みんな、あけましておめでとう!」

「おめでとうございます!」

 皆が口々に言って、俺が歩くための道を空ける。さて、もう一踏ん張りだ。アドリブで頭を使った後は、みかんの果糖で頭を休ませるとしよう。



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