「天使達の鐘時計」

 どういう意図かは知らないが、この鐘が鳴る歌があるらしい。

 朝、陽の光が射しこむと、その鐘は揺れる。太陽を創った御方を賛美する為に。夜、月の昇る前、その鐘は揺れる。疲れを癒す人々の揺り籠となるために。不安な人々の日々の始まりと終わりを優しく包んで、平穏と勝利の揺籃の中を、大きな方舟が進んでいく。この長崎の人々を乗せて、只管昏い冥い、海の底へ進んでいく。海の先に、平和の国があると信じて―――否や、彼等は方舟が海を潜って進んでいることを知らない。

 どういう意図かは知らないが、この鐘が鳴る歌があるらしい。

 以前、息子とその友人達の慰霊祭に招かれたときに聞いたときは、良い曲だ、というのと同時に、この歌詞を書いた人についても考えた。人一人の身では、察しきれること、推し量れないこと、様々なことがある。オレ達が神の国の揺籃の落とし子だとすれば、人は、決して神の統治を生きたまま知ることは出来ないのだから。人に出来るのは、祈ることだけだ。

 どういう意図かは知らない方が良いのだろうが、この鐘が鳴る歌は悲壮感に満ちていた。

 僅かに百年満ちるか満ちないかのうちに終わる生では、人はあまりにも愚昧で臆病だ。

 思いやり? 優しさ? 誠実? ―――ハ、烏滸がましい。

 そんなものは人の領分じゃない。けれどもそれすら人は分からないから、相手に神であるように求めようとする。神のように誠実に、神のように慈悲深く、神のように公正でいろと。そして自分達を不幸にした責任をとれと、そう言うのだ。彼等は自分達のプロパガンダに神の公正を利用するが、彼等と対立するプロパガンダもまた、神が愛しておられることを理解しない。

ザビエルによって聖母に奉げられた島国で、聖母を慕わぬ者が、聖母を慕う者に命じた。彼等はその日が聖母の祝日だとは知らない。そしてまた、この国の人々も、同じ国の中で、同じ神を奉る一族で、対立し、迫害があったことは知らない。彼等は我が愚息達について盲目だからだ。そして彼等は悲害者であるから、渦害者の苦しみは考えなくても許される。

政治からも国益からも解放された、過去の遺物であるオレに出来るのは、ただ境も無く、人類という神の似姿の祈りに触れることだけだ。そこから先、どうなるかは、心苦しいが息子達の手腕に任せて、オレ自身も祈ることしか出来ない。

朝の鐘が鳴った後、再び鐘はなったのか。あの光の渦を浴びて、悲鳴をあげたろうか。瓦礫の中から、壊れずに掘り出された鐘は、あの地獄絵図を見たのか。自分の歌声に癒されていた人々が、光に呑まれて消えていくのを見たのか。

きっと見ていた、見ていたはずだと、彼等は言うだろう。一方で、いいやあんな残虐な民族の裁きを見ていただろう、と言う人々もいる。鐘はどちらでもない、と言うだろう。自分の歌を聴いていた人が居なくなった、というのが平等な事実であって、鐘からしてみれば、それ以上に価値があることは、自分が光に晒されたということだ。

自分の生みの親のそっくりさんが自分に、自分達にしたことは、決して忘れないだろう。

「鳴らなくたって、鐘は鐘だよなァ。」

 祈らずとも人は、誰かに祈られて生きていく。この鐘が鳴らなくても、あの歌の中で、この鐘は永遠に鳴り続ける。この鐘は、まるでキリストのようだ。実体を伴わず、芸術という霊魂として広く拡がっていくのだから。もはやこの鐘は、鐘の形をしていない。ぶら下がってすらいない。それでもこの鐘は鳴り続けるのだ。

 その鐘の音は、愚息達にも届いているだろうか。争いを止め、祈るだけの時間というものを、思い出せているだろうか。

 或いはこの鐘の音を聞いた者は、敵をも愛する為に、理解しようとして調べるだろうか。そして辿り着くだろうか。連合国の中で行われていた、もう一つの戦争のことに。彼等は気付くだろうか。悪魔ではなく、敵ですらなく、人を殺した人々がいたことを。そしてそれは、全ての国に居ることを。

 この鐘が望んでいるものが何か、思い馳せる者はいるだろうか。涙を流して、あの時の悲しみだけを思ってくれる人はいるのだろうか。

 その思いこそが、神に最も近いということに、まだ幼い末娘達は気付いていない。ただ戦争を闇雲に否定し、時代のうねりに逆らえない者を罵倒し、自己を貫いて命を投げ打つ美談を繰り返す。それでは誰も救われない。戦争を知らない人しか、救われない。本当に救われるべき苦しい人々は救われない。

 この、もう祈りの時間を告げることのない鐘時計を見て、誰が思ってくれるだろうか。落とさねばならなかった人の事を。

「あ、お父様! こんなところにいらしたんですね!」

「…ああ、ジャネットか。反戦デモはもう終わったのかい?」

 第一次世界大戦後、突如としてオレの長女であり、後継者だと名乗り出た末娘が、オレを呼びに来た。この暑いのに、幼い姿からは想像も出来ないほどのフォーマルスーツを着こなしている。いくら幼く見えても、いくらオレに覚えが無くても、オレの娘を名乗るからには、百年以上を生きてきた気概がある。

 そして彼女は、先の大戦では、徹底的に政治家と対立し、多くの仲間を死に引き渡したことを誇りに思っている。

「お父様、どうして一緒に段幕を持ってくれないんですか? お父様だって、争いは終末の前触れだって、そういう聖書を作ったじゃないですか。私、何か間違ったことなんか言ってませんよね? 戦争は駄目ですよね? 愛じゃないですよね? なのに―――………。」

「ああ、いやいや、そうじゃないよ、ジャネット。もう父さんは年だからね。どこかの人とだけ仲良くなったりとか、そういうのは窮屈なんだ。だから別に、お前のしていることを否定しているんじゃないんだよ。」

 オレがそう言って頭を撫でてやると、ジャネットは少し嬉しそうにした。

「ですよね? 私達、正しいですよね? だって、私達が一番聖書を正しく理解しているんだもの!」

「うん、それでいいよ。」

 そういう風に聖書を使って欲しくはなかったけれど、今のこの子は、自分で作った聖書が無ければ生きていけない。その解決は、少なくとも二十世紀前後じゃ無理なんだろう。もっと長い目で見てやらなければ。一番古いローマンですら、九百年かかったことだってあったのだ。この子が決して無能なのではない。この子にはまだ時間が必要だ。戦争を憎みきったなら、その先にあるものが見えるだろう。

 ジャネットはまだ、キリストと天使の違いが分からないのだから。まだ時間の足りない、未熟な子。だからこそ、どんなめちゃくちゃな経歴を言おうと、オレの娘として受け入れようと思ったのだ。オレが作った聖書が原因だと、そのように言ったから。


 我が娘ジャネット。今はこの長崎と広島で、只管メガホンと段幕を握りしめて、夏の空を歩くと良い。今は世界の滅亡にしか興味のないお前も、この我楽多のように吹き飛ばされた鐘の放つ真理の光を見る日があるだろう。


鐘が鳴る。鐘が歌う。

訪れる人々の心に、被爆から数えた未来ときを数える天使達アンジェラスが歌う。

 天使達の歌を指揮しているのは、誰だろうか。

 その時こそは、ジャネットも、ローマンも、メソジストも、誰も彼もが揃って同じ楽譜を持ち、ただ鎮魂のためだけに、その目的だけで、声を合わせて歌えればいい。

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