第6話
* サチ、ミユ 4390時間後*
「お母さん起きた? 今日は、病院行く日だよ。パン焼けてるから、早く食べよ!」ミユは、なかなか寝室から出てこない母が心配でならない。あの忌まわしい事故から、もうすぐ2か月経つ。二人は、東北道を走行中に、崖崩れに巻き込まれて土砂の下敷きになったのだ。奇跡的に母は、生きて救出されたが、父は、帰らぬ人となってしまった。大好きだった父を亡くして、ミユも悲しくて、悔しくて毎日毎晩泣き続ける日々だった。でも、やはりそれ以上にショックを受けたのが、言うまでもなく母親のサチだった。まったくベッドから起き上がれず、入院生活が続いた。その間は、ミユも会社を休んでつきっきりで看病を続けて、ようやく事故から1か月経った頃に退院し、家に戻ることが出来たのだ。
「ごめんね、いつも。早く食べて支度しないとね。」
珍しく元気そうにしている母を見て、ミユは少しホッとした。今はミユも実家に戻って母と一緒にいるようにしている。実家からは遠いので、会社はしばらく休業することになった。事故は大きなニュースとなり、会社もなにかと気を遣ってくれて、ゆっくり休んで戻って来れば良いと言ってくれていたが、だからといって、そんなに長い間は甘えていられないと思っている。
サチも、いつまでもミユに迷惑はかけられないと頭では、わかっているのだが、体がどうしてもいうことをきかないのだった。長い時間酸素不足となっていたので、下手をすれば深刻な後遺症が残ってもおかしくはなかったが、幸い脳や内臓などに異常は見つからず、医者からは、PTSDの症状が強く残っていて、少しづつ回復していくしかないと言われている。
二人で簡単な朝食を摂っていると、サチが、遠い目をしてつぶやく
「お父さんが、言ってたのよね、イーハトーブに一緒に行こうって...。」
「そう、良かったね。じゃあ、それまでにお母さんも元気にならないとね!」
「そうね。一緒に行けないものね、こんなんじゃね。」
最近は、お父さんと約束したとか、二人で夢を見ていたんだとか、毎日の同じようなことを繰り返し話している。ミユは、話を合わせて聞いてあげるが、そんな母を見ていると、本当に可哀想で、元気になんて戻れないんじゃないかと思ってしまう。
「さぁ、お母さん時間が無いわ、病院に行かなくちゃね。着替えましょう。」
とにかく今は医者の言うことを聞いて、少しずつ前向きに治療していくしかないと思っていた。
*ユウジ 4390時間後 *
この店のコーヒーで俺の一日が始まる。そして、毎朝、今日が最後になることを祈る。けど、目が覚めたら、いつもここに居る。なんでやねん?
ここで、美味しいコーヒーと米粉でできたチーズケーキを食べて、サチと話したことを思い出して、そうや、「店出たら、ちょっと下のお土産屋さん寄って、それから、せっかくやから花巻の駅も見ていかない?」って言うてたんや。だから、絶対に花巻の駅におるはずやねんけど...。
美味しいコーヒーとケーキ頂いて、お土産屋さんに顔出して、でも、サチは居ない。そして、石畳の歩道を歩いて花巻の駅へ向かう。JRの花巻駅は、ほんまに小さい駅やけど、なんかレトロな感じが好きや。10分ほど歩いて、駅に着くと、だいたい10時ごろになる。待合室に入ってベンチに座ると、改札から出てくる人は、全部見えるし、後は、ひたすら待つだけや。昼飯は、いつも近くのコンビニのおにぎりか、カップラーメンや。このルーティンをもう何回繰り返してんのか?
もう桜の咲く頃かもなぁ? 最近、めっきり暖かくなってきたしな。
あっ! 列車着いたで! 今度こそ降りてこいよ! サチ! 待ってんで!
待ってるねんで、俺は、ここで...。
いつまでもな!
* サチ、ミユ 4550時間後*
「ねぇ、お母さん、今日の夕飯何にする? 明日、私もお休みだからお酒飲みたいなぁ! 焼き鳥とかおつまみになるもの買って帰ろうか?」
「そうね。ミユの好きなものでいいわよ。私も、久しぶりに飲もうかな。」
「ええ? 大丈夫? ちょっとならいいか、お医者さんに止められてる訳じゃないしね!」
あの事故から半年が経つ。サチは、この頃、ようやく笑顔がら見られるようになってきて、少しづつ前に進む気力が出てきているように感じられる。ミユは、やはり中途半端な形で会社を休むのも迷惑がかかると思い、休職届を出して、一年間は母のそばで一緒に暮らすことにした。サチは、大丈夫だと言ったが、どうみても一人で生活できる状態ではなかった。そして、ミユの協力もあって、サチも随分と回復することができていた。
今夜は、久しぶりに二人で晩酌をしながらおしゃべりをして、これからのことなどを話すつもりだった。そして、お父さんのことを思い出しながら...。
「ねぇ、ほんとにもう大丈夫なの? あんまり無理しない方がいいよ! 私は、あと半年休むことに、なったんだからね...、お母さん、あれ? な〜んだ、もう寝ちゃったのか...。」ミユは、すぐにでもまた働き始めたいという母のことが心配だった。ミユが休職して面倒みてくれていることに気兼ねしているのではないかと思うのだった。
振り返ればこの半年間は長かったようであっという間だったような気がする。
二人が土砂の中から発見されて、病院に運ばれた時は、本当にこんな事が自分の身に降りかかって来たことが、現実として受け止められず、ショックより先に、何が何だかよくわからない状況だった。
それから、父の死を知らされて...。
父は、神戸市生まれの関西人で、会社の転勤で東京に来て、母と知り合った。埼玉に一軒家を買って、私が生まれて...、当たり前みたいに幸せが続くと思ってたのに...。
二人を救出した自衛隊のレスキューの人が落ち込んでる私に、話してくれた。
「真っ暗な闇の中で、雨も降っててね、もう今日の救出は諦めようかと思っていた時に、土砂の山の中で、キラキラする小ちゃな光が目に入って、おやって思って、その光の辺りの土を掘ってみたら、それは、お母さんの手だったんだよ。えっ! 人がいる!って皆んなを呼んで大急ぎで助け出してみたら、お母さんの顔を上から守るようにしてるお父さんが見つかったんだ。お母さんは、お父さんの胸の下の隙間があったから、息が出来て助かったんだと思うよ。お父さんは、自分の命をかけてお母さんを守って、救ってあげたんだと思う。」
父は、周りに気を配れるような人じゃなくて、前だけ見ていつも突き進んでいる人だった。そんな父の抜け落ちたところをしっかり塞いであげて、変な方向へ行きそうな時は、軌道修正してあげて、いつも寄り添っているのが母。二人は、私の小さい時は、喧嘩ばっかりしてたけど、この頃はとっても仲が良くて、私から見たら理想の夫婦だった。父はいつも、何があっても落ち込んでるところを見せなかった。失敗しても、嫌なことがあっても、何くそ!と歯を食いしばって、踏み止まり、新しい道を見つけてくる。だから、メソメソしてる、クヨクヨしている人間が大嫌いで、私が、学校で嫌なことがあったり、受験で失敗して落ち込んでた時も、能天気な顔で「何泣いてんねん!アホか!次頑張ればええやんか!」とか「泣いても始まらんぞ!泣いたらあかん!」って言ってきて、あの時は、ウザい!って思ったけど、その後、泣いてるのがバカらしくなって、父を見返してやりたくて頑張ったりして、結局、良い方へ転がって言ったような気がする。そんな前向きな父の最後が、こんなことになるなんて、今でも信じられない。でも、死ぬまで父は、諦めなかったらしい、そして、最後に母の命を救ってあげたんだ。
「あぁ、ごめん、眠っちゃったみたい。」サチが目を覚ました。ミユが、真っ赤な目をしてこっちを見てる。
「どうしたの? 怒ってる? ごめんね。ひとりで寂しかったの?」
「何それ? もう私、今年で24ですよ! 子供じゃないんだから!」
「親にとっては、いつまでも子供なのよ。」
「そうじゃなくて! 今、お父さんのこと思い出してたの!」
「そうなんだ...。お父さんが「ただいま!」って帰ってきたら良いのにね。そこの戸を開けてね。そしたら、もっと楽しくなるのにね...。」
「お父さんって、面白くって、いっつも冗談言って、嫌なことやら、悪いことでも笑い話にして、だから、こんな悪いことが起こるなんて思いもしなかったのに、バッカみたい! なんで死んじゃったのかな? ほんと、バッカみたい!」
「ミユ! お父さんをそんな風に言わないで。あの事故だって、お父さんが人を助けようとして、それで巻き込まれてしまったのよ。お父さんが、他の人と一緒のように見て見ぬふりして通り過ぎてたら、助からなかった人の命が、お父さんの勇気で、助けられたの!」
「えっ? 何それ? 崖崩れに巻き込まれたんじゃないの? 事故のこと正直言うと怖くて、私、詳しく聞いてないんだよね。」
「お母さんたちが、高速道路を走ってたら、前の方で大きな音がして、なんだろうと思って徐行して走ってたら、車に落石が直撃してたの。辺りの道路にも土砂が散らばってて、走ってる車は、危なくて徐行しなきゃならないほどだったのよ。それなのに、前を走ってた二、三台の車は、そのまま通り過ぎてしまったの。その事故にあった車の横を通る時によく見ると中に人がいるのが見えて、それでお父さんは、車を端っこに止めて、その人のところに様子を見に行ったの。私も、すぐに付いていったのね。それで、その車の中の人を、ガラス窓を割って、なんとか外に出してあげて、ホッとしてたら、そこに上から土砂が大量に落ちてきてしまったの。」
「それで、二人とも埋まってしまったんだ。」
「そうみたい...。あっという間のことで、その後のことは、まったく覚えてないの...。でもね、前もミユに話したけど、お父さんと一緒に空の上でデートして、夜空いっぱいの星がキラキラ輝いてたのを覚えてるの。それでね、お父さんが、イーハトーブに連れて行ってあげるからって約束してくれたのよ。」
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