第3話

 *サチ 4時間後*


 ユウくん、大丈夫? 息ができない。このまま死んでしまうのかしら? どうしてこんな事になってしまったの?

 あれ? どうしたのかしら? ここは何処? もしかしたら今日行った林風舎の近くかな? 真っ暗であんまり見えないけど、だっ、だれ? そこにいるのは、だれ? えっ、ユウくん! どうしたの? 道端にしゃがみ込んで、もしかしたら泣いてるの?


 * ユウジ 4時間30分後*


 その時、パッ!と突然、辺りが明るくなった。

 ハッとして目を開けると、この路地に建てられたアンティークな街灯が、一斉に灯りを灯したのだ。

 俺は、その灯りを見て、寂しくて凍えそうな気持ちが少しずつ暖められていくようで、君の体温の温もりが、すぐ近くに感じられた。


 「ユウくん! どうしたの? 泣いてるの?」間違いなく君の声が聞こえた。

 「えっ? サチ?」

 俺は、びっくりして何も言えなくなってしまった。

 「ユウくんだよね? どうしたの、こんなところでしゃがみ込んだりして、私をほったらかして、どこに行ったのかと心配したじゃない!」

 君の言ってる意味がよく分からなくて、俺は、君を見つめているしかなかった。

 「ユウくん! 早く来て! 花巻の駅に行かなくちゃ! 列車が出ちゃうよ!」

 「どこに行くつもり?」と聞く間も無く、君は駆け出している。

 「ちょっ、ちょっと待ってえな!」俺は、急いで後を追って行った。真っ暗闇の中で、君が駆けていく方向に、まるで誘導していくように街灯が光っている。それはまるで銀河の星たちみたいに。「サチ! 待ってえな!」俺は、どうして君が駅に行きたいのかもわからず、ただ君と二度と離れ離れになりたくなくて、必死で追いかけていた。

 林風舎の前の路地を抜けて、少し大きな道路沿いに出た。夜空の下で輝いているのは、大きなスポーツ用品店の電飾看板で、その前にはだだっ広い駐車場が広がっていて、その向こうに小さな花巻駅が見えた。君がそっちに向かって走って行くのが見えた。

 「おーい! サチ! 何急いでんねん! そこで待っててや!」

 君は、こっちを振り向いて笑った?

 いや、違う、なんで! な、泣いてる!

 「どうしたん? 何で泣いてんの?」

 俺は急いで君に駆け寄った。

 「なぁ、サチどうしたん?」と言って君を抱き寄せた。けど、すり抜けた。

 君は、幻のように、この手をすり抜けた。そのまま、泣きながら駅の中へ入って行った。あぁ、なんで? サチ、お前どこ行くんや? 俺を置いて、また、どっかに行ってしまうんか!

 君の消えた後、辺りは、真っ暗闇に...、戻った。


 暗闇の中で固まって動けない俺は、君の後を追うことも出来なかった。


 * サチ 4時間50分後*


ユウくん! どうして来てくれないの?

二人でイーハトーブを探しに行くんでしょ? 早く! 早くしないとイーハトーブ行きの最終列車が出発しちゃうよ!


 *ユウジ 5時間後*


心地いい静かなメロディが滲み入るように聴こえてくる。俺は、目を開けて、辺りを確認した。目の前には、コーヒーと食べかけのケーキがある。オレンジ色の照明に照らされた室内。えっ?ここは、さっきサチがいなくなったカフェやんか、まるで時間が巻き戻ったみたいやなぁ。もしかして、俺は、ただ眠ってしまって、夢見てただけなんか?


 「ユウくん、コーヒーおいしいね! なんかすごく良い雰囲気だし、来て良かったよね?」

 君が、トイレから? 前の席に戻って来て、俺に話しかけてくる。

 なんか、変だよな? さっき俺は、たしか...、君がいなくなったんで、追いかけて行ったんだよな?

 「ねえ、このケーキは米粉でできてるんだって、しつこくなくてちょうど良い甘さで、すっごく美味しい!」

 君は、屈託のない笑顔で、何事もなかったように、話しを続けている。もうあの事は夢の中の出来事で、今、この君といる、君と過ごしている事が現実に違いない。俺はそう信じることにした。君がそばに居るんやから、もう、それでええやん、と思った。

 

 「ねぇ、ピアノの演奏会もやってるんだって! 聴いてみたいな! ほんと居心地の良いお店よね? 店員さんの応対も気持ちいいし、来て良かったわね。」

 君の言う通り素敵なお店だった。今日一日、花巻の賢治ゆかりのとこをいろいろ見て回ったけど、ほんまにええとこやなぁ、と思った。宮沢賢治の本読んで、なんか魅力的やし、その良さがわかったような気になっていたけど、岩手に、花巻に実際に来て、この空気、この街並みに触れてみて、ほんまの良さが体で感じられたと思った。

 花巻の街、ええとこやったな! 賢治の作品のイメージ? 空気感は、この街で作られてたんやなぁ!と、俺が言ったら、

 「うん、ほんとにそうね! ありがとうね、連れてきてくれて!」そう言ってくれたよね。俺もめちゃめちゃ楽しいわ!

 「ねぇ、今日の写真見ようよ! スマホ見せて!」君が言うので、俺は横の椅子の上のポーチからスマホを取り出した。さっきのあの時にはなくなっていたポーチやら上着が、そこにあるのを見て、やっぱりあの事は、眠ってしまって見てた夢やったんやと思った。

 スマホの中の今日撮った写真を二人で見て、美味しいコーヒーとケーキを味わいながら、楽しい時間を過ごした。

 「あ! もうこんな時間になってしもた。そろそろホテルに行かんとなぁ。」スマホで6時を過ぎてることを知って、そう言うと、君が「そうね、あっ、一階のお土産屋さん寄って行こうよ! それから、折角だから花巻の駅も見て行こうよ」と言ってきたので、「うん、そうしよか。」と言ったけど...、花巻の駅? 真っ暗闇の中を君が走って行く、花巻駅に向かって走って行く、そんな情景が浮かんできて、あの、さっきの悲しい気持ちが蘇ってきて、どうしよう、また駅行ったら、嫌なことが起こるんちゃうか?とどうしても考えてしまう。

 「花巻の駅って、なんかあるん? 行って何かおもろいんか?」って聞いてみたら、君は、なんて言うたと思う?

 「花巻の駅は行かなあかんねん!」

 サチは、君は、関西弁なんかしゃべらんやろ? なんかおかしいよな? でも、すごい決意で、「行かなあかんねん!」って言われたら、もう行くしかないやろ? そういうことで、カフェを出て、1階の土産品売り場で、賢治の本、童話のキャラクターの小物、ペン、コーヒーカップに「アメニモマケズ」の額縁入り模写もあったっけ? 花巻名産のお菓子にと、いろいろと物色してたら、店員さんが賢治の童話についての色々な話を教えてくれたり、「林風舎」の名前の由来は、賢治の童話の『北守将軍と三人の医者』のリンプー先生から取ってる事とか、ほんと親切に教えてくれた。

 君は嬉しそうに店員さんの話聞いて、「ねぇ、何買おうか?」と、すっかり気に入って、はしゃいでいる。

 何かええお土産ないかなぁと、探してたら、「銀河鉄道の蒸気機関車の切り絵」があって、君に、これにしよか?って言ったら、君も「私もそれがいいと思ってたの。」と言ってくれたんだよね。

 その「銀河鉄道の蒸気機関車の切り絵」は、黒い紙の切り絵で、ほんまにちっちゃいけど、細部までちゃんと作られていて、鉄橋の上を走っているところを切り取っている。先頭の煙突からもくもくと出ている煙までしっかり作られていて、白い台紙のケースで部屋に飾ったらええと思った。君が会計しているので、先に外で待つ事にした。

 外に出て、振り返ると「林風舎」の建物は、三角屋根の洋館で、玄関のドアにはステンドグラスがはめ込まれている。前の道路は、白い石畳が敷き詰められていて、ガス灯みたいな街灯が立っている。そのヨーロッパ風の景色を眺めていると、やっぱりさっきの事を思い出した。真っ暗な闇の中で、ひとりぼっちで寂しくて、悲しかったことを、でも、もう大丈夫や! 君と一緒や! 今日は旅行の一日目、まだ始まったばかりや。この旅行を、二人で楽しもうと、良い旅行にしようと心からそう思ったんや! 夜空を見上げると、満天にお星さまが満ちていたなぁ、キラキラと輝いていたお星さまのことは、忘れられへんわ!

 でも、その後、君と一緒に花巻の駅へ向かったんやけど、今度は、君は、走って逃げたりせえへんかった。逃げたり、走ったりせえへんかった、けど...。

 花巻駅の改札口を通ろうとしたんやけど、なんで? 君は、スーッと通ったのに、俺はなんぼどうやっても、あかんかった。通られへんのや! もう! なんでや! サチは、眩しい光の中へ消えていってしもた。


*サチ 5時間30分後*


あぁ、ユウくん! なんで一緒に来てくれないの? 一緒にイーハトーブって行きたかったのに。でも、イーハトーブって、見つかるんかなぁ? 

 イーハトーブって、理想郷? 

 どうしたら行けるの?   

 いや、ちがう!

 心の中にあるもの。

 イーハトーブは、心の中にあるもの。

 そう言ってたわよね?

 そうだよね?

 あなたと出会って、そして結婚して、いろいろ大変な事もあったよね? あなたともしょっちゅう喧嘩ばっかりしてたけど、今、振り返ると、楽しかった事はもちろんだけど、大変だった事も、いや、むしろ大変だったことの方が愛おしいの。ミユが生まれた時は、本当に幸せな気持ちだったし、もっとあなたと、そしてミユと生きていたい!  

 あぁ、早く、ここから助けて! お願いユウくん! 一緒にイーハトーブ行きたいの!


 *ユウジ 6時間後*


 何か君が呼んでる? そんな気がした。

 かすかな音に耳をすましていると、やっぱり君が、何か話しかけている。

 俺は、もう一度耳をすました。

 「ねぇ、どうして来てくれないの? ユウくん! 早くしないとイーハトーブ行きの列車が出ちゃうわよ!」

 確かに君の声やで! どっから聞こえているんや?

 俺は、自分がどこにいるのかもわからなくなっていて、頭が壊れそうに痛い! 目を凝らして前を見ると、君がこっちを向いて、手招きをしている。俺は、もう一度改札を通ろうとしたけど、やっぱり無理やった。気がついたら、君は見えなくなって、列車が発車してしまった。光に包まれたその、君を乗せた列車が、駅を出て行ってしまうと、そこには何も無かった。まったく何も無い。空っぽの暗闇になってしまった。

 そして...、俺は...、その場で意識を失って倒れ込んでしまった。

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