神崎ハム美
「ああ、もう。終わんないわよ!?」
私、神崎ハム美……、じゃなくて、
この夏に劇場アニメの公開もあり、作品がブックウェーブに乗っているうちに、どんどん出版するためだ。
「えっと、この場面は前の伏線に使えるから……」
「お姉ちゃん、私も手伝おうか?」
妹の
「う、うう、あんたの方が文章うまいけど、それは駄目よ! ファンタジー作家としてのプライドがあるのよ!」
美佐も人気ラノベ作家だ。私はファンタジーよりだけど、美佐はラブコメやヒューマンドラマを主戦場にしている。
余命物や悲恋が大好きな子だ。
引っ込み思案な美佐と、内弁慶な私。
普通の人よりも不器用なんだと思う。
小説は私たちの人生そのものだ。
私達は本気で取り組まなきゃいけなかった。
小説を書き初めてもう10年。
作家になって6年経った。
「うん、じゃあ応援してるね。あっ、今日は商店街で夏祭りだからお外に出ない方がいいよ」
「言われなくてもでないわよ! ん、さっさと締め切り倒して明日は……」
「へへ、映画行くんだもんね」
「べ、別に映画なんて楽しみにしてないもんね!」
美佐は私のセリフを流して部屋を出ていった。
この締切が終わったら、にゃん太とポメ子さんと一緒に映画に行く約束をしているんだ。
二人は林間学校も無事に終わり、お互いの書籍の出版に向けて準備をしている。
「よし、私も頑張らなくちゃ!」
畳に敷いた座布団に座り直し、私は再び原稿に向かい合った。
*********
山と海に囲まれた町の住宅街にある、平屋の小さな一軒家。
それが私の家だ。
漁師だったお父さんは小さな頃に亡くなった。
……嵐の日に海で溺れている子供を助けたんだよね。
お母さんは近所の海鮮ファミレスで契約社員として働いている。不規則なシフトのせいで子供の頃から私と美佐は二人ぼっちだった。
正直うちは貧乏だと思う。でも、幸せな家族に囲まれていると思う。
厳しくて優しいお母さんに大人しくて可愛い妹。
たくましくて頼りがいがあったお父さん。
家族が大好きだった。
だから、学校で家族の事を馬鹿にされるのが一番嫌だった。
『あいつの母ちゃんあそこのファミレスで働いてんだぜ』
『貧乏だから塾に通えないってよ。うちのクラスであいつだけじゃね、塾に通ってねえの』
『いつも同じ服着てるじゃん』
『妹も同じ服だよなー』
『んだよ、ゲームくらい買ってもらえよ。……し、仕方ねえな、やってみるか?』
小学校低学年の頃はこんな陰口を言われていた。
私は『うっさいわよ!! お母さんは私のために頑張って働いてんのよ!! ふざけんじゃなわよ!』と反論をしていた。
私の反応が面白かったのか、男子からのちょっかいは卒業まで終わらなかった。
貧乏なりに努力した。古着を手直しして、なるべく毎日同じ服を着ないようにする。
ゲームをしたかった美佐に、私は自作のゲームを作った。
紙にステータスを書き込み、美佐に自作の物語を話す。
今ならそれが、テーブルトークRPGってわかるけど、その時はそんな存在も知らなかった。
ただ、ゲームをしたかっただけだ。
ゲームをしている時は本当に冒険しているような気分になれた。
二人は夢中でゲームをした。
まだ誰も知らない物語を私が紡ぐ。きっと私の原点はそこだったんだろう。
クラスメイトとは薄い関係だった。
女子からは、『私とあなたは違う』という空気を感じた。
クラスメイトとは当たり障りない会話をし、班作りも仲間はずれにされることはない。
男子から意地悪されるだけで、いじめられることはない。
それでも、ふとした瞬間に強い疎外感を覚える。
多分、ここ私の居場所じゃないんだ、って。
小学校を卒業した時――
『お、俺、お前の事が好きだったから意地悪してたんだ……』
『あの時は悪かった。俺と付き合ってくれないか』
意味が分からなかった。からかわれていたから反論していたけど、心は傷ついて、だんだんと深い傷になる。
それは消えてなくなることはない。
『はっ? あんたバカ? 私はあんたの事が大嫌いよ!!』
そんな対応をしかできなかった。
些末な事はどうでも良かった。
その頃は私は命を削って小説を書いていたんだから。
**********
ゲームに飽きた私と美佐は小説を書くようになっていた。お互い小説を見せあって、物語を楽しんでいた。
図書室が私達の遊び場であった。
とあるクリスマスの時、目覚めたら枕の横にプレゼントがあった。
私と美佐はお母さんに一度もおねだりした事はない。
プレゼントよりもお母さんの身体が心配だったから。
袋を開けたら、そこには『スマホ』があった。
私と美佐は喜びよりも、不安と申し訳無さで気持ちが一杯になってしまった。
『お母さん、これ、私達には必要ないよ』
『そ、そうだよ。スマホって高いんでしょ……』
お母さんは少し悲しそうな顔をして私達を抱きしめた。
『……防犯に必要でしょ。それにクラスのみんなも持ってるから、これで仲間はずれにならないでしょ。――こんな風に使うのよ。ほら、小説が沢山乗っているサイトもあるわよ』
『お姉ちゃん、すごいね!!』
『べ、別に知ってたもん!!』
その日から、わたしたちは肌見放さずスマホを身に着けていた。
空き時間があると小説を書く。
家に帰って、ご飯を作って、掃除をして、勉強をして、それからスマホで小説を書く。
次の誕生日にはキーボードを買ってもらった。すごく嬉しかった。
お母さんと三人で幸せな日々だった。
でも、そんな幸せは長く続かなかった。
********
『お姉ちゃん……、お母さん死んじゃうの……』
『バカ! 大丈夫に決まってるでしょ!!!』
私が小学校高学年、妹が低学年の時だ。
お母さんが過労で倒れてしまった。
病院に運ばれると、悪い病気も見つかって手術する必要があった。
『お母さん……』
『美佐!! 泣くんじゃないわよ!! お母さんはすぐに元気になるわよ。……私が、私達でどうにかするわよ!!』
美佐を元気づけていたけど、私は不安で仕方なかった。
近しい大人は誰もいない。ファミレスの店長は労災の手続きをしてくれただけだ。
相談できる人は誰もいなかった。
手術は無事終わった。
ベッドの上でお母さんは痛みを隠して笑っていた。
『あはは、お母さん、すぐに退院できるから安心しなさいね』
実はその時、病室に入る前にお母さんのつぶやきを聞いてしまった。
『お金……、なくなっちゃった……、わたし……、どうすれば……』
悲しさで張り裂けそうな心を隠しながら、私はお母さんの前で笑った――
**********
お母さんは私達のために、お金を貯めてくれていた。
修学旅行や中学、高校の学費。保険には入っていなかった。
それは手術費用で消えてしまった。
お母さんが助かるならそれで構わなかった。学校なんてどうでも良かった。
親戚に名義を貸した借金があったというのも、この時初めて知った。
全部がギリギリの生活であった。
この時ほど、貧乏を憎んだ事がない。
たかだか小学校高学年の子供に何ができる? 祈る事しかできないの?
『お姉ちゃん、これ、応募してみようよ』
美佐がスマホの画面を見せた。
そこには、小説サイトのコンテストの詳細が書いてあった。
これに私の命の全てをかけるしかない、そう思った。
生きるか死ぬかの執筆が始まった――
********
退院明けのお母さんはうまく仕事ができなくなっていた。
動くと息切れをしてしまう。安静にする必要があった。
それなのに、お母さんは無理をして仕事へ行こうとした。
私と美佐はお母さんを止めた。
なのに――
『大丈夫よ。あんたたちがいるから私は元気になれるの。ほら、子供は学校で勉強して遊んで来なさい!』
『嫌だよ!! 無理するお母さんを見たくないわよ!! お願い、お母さん、休んで……』
お母さんは私の剣幕に戸惑う。
――もう悲しいお母さんを見たくない。幸せになって欲しいんだよ。
そして、平屋の家に訪れる担当編集。
『失礼します、わたくし、KADOWAの太田と申します。今日は蓮美さんの小説出版についてお話に来ました』
**********
「あれから6年経ってるもんね」
担当編集の太田は天然ボケな感じだけど、熱く仕事が男だった。私の作品に惚れ込んでくれて、子供である私を一人の作家として認めてくれた。
家の事情も全部話すと、太田は異例の早さで出版への道筋をつけてくれた。
それが私の処女作『テツロウ』だ。
私の魂が入っている作品。
印税は全てお母さんに渡してある。
色んな借金はそれで返す事が出来た。
お母さんは私のお金に必要以上に手をつけようとしなかった。
あの時、お母さんは泣き崩れてしまったけど、本当に良かったと思う。
お金に余裕が出来たけど、わたしたちの生活は変わらなかった。
お母さんと美佐と三人で幸せな日常が送れればいい。
だから、私は今はとても幸せ。
お母さんは激務のファミレスを辞めて、近場の喫茶店でのんびりとアルバイトをしている。
引っ込み思案な美佐が、学校でいじめられてないか心配だった。
高学年になってから、暗い顔をしている時があった。
だけど、林間学校を過ぎたあたりから再び笑顔を見せ始めた。なんだか強くなって帰ってきたみたい。
生活もやっと落ち着いて、学校に通い始めると違和感を覚えた。
長い間、学校の生徒とコミュニケーションを取っていなかったから、どんな風に接していいかわからなくなっていた。
*********
執筆を終えた私は、大きく伸びをした。
身体がバキバキで痛い……。
最近は妙に昔の事を思い出してしまう。
「あんりちゃんと再会できて良かった」
同年代の女の子でラノベを書いている子はほとんどいない。クエスト出版編集部であんりちゃんと出会えた時は嬉しすぎて騒ぎすぎてしまった。
あんりちゃんは都会の女の子の匂いがした。
すっごく可愛くておしとやかで、私の理想そのものだった。
だから、小説が書けなくなったと聞いて悲しかった……。もう会えないかと思っていた。
……突然、脳裏に新庄真の顔が浮かんでしまった――
あんりちゃんと一緒に編集部へ来た男の子。
私は動揺して何を喋ったか覚えていない。
「テツロウそっくりなんだもん。あんなの反則だよ……バカ」
にゃん太という作者がランキングを長い間上位にいた事は知っていた。
私も美佐もWEBに投稿しなくなったけど、読むのは好きだから逐一チェックしている。
にゃん太……、新庄君は自分の才能を理解していない。あの作品はヤバい。とんでもなく面白いし、心が痛くなるのに清々しい気持ちになれる。
「私が嫉妬するくらい超才能あるわね……」
新庄君は色んな意味で私を驚かせてくれた。
作品もそうだし、あんりちゃんとの距離感もそう。
それに……、す、す、すごくカッコいいし……。
私は頭をブンブンと振った。
私だって人の恋愛感情くらいわかるもん!
あんりちゃんと新庄君は……お似合いだわ……。
私はため息を吐いた。
妹の足音が聞こえてきた。と、言ってもうちは狭いからすぐに妹が姿を現す。
エプロン姿がとても可愛らしい。流石私の妹だわ。
「お姉ちゃん!! そうめんできたから食べよ!!」
「うん、終わったから行くわよ! そうだ、あんたが小学校の頃に出会った林間学校の闇の王子様の話してよ! 次の作品のネタにしたいのよ!」
「ひええ!? そ、その話はやめようよ!? 闇の王子なんて中二病だもん!!」
「あはは、可愛いからいいわよ。てか、名前くらい聞いておけば良かったわね」
「うーん、小説書くって言ってたからもしかして、投稿してるかもね」
その時、私のスマホがプルプルと震えた。
あんりちゃんからだ。珍しく写真が送られてきた。
バスの中で口を開けて寝ている新庄君の写真だ……。
な、なんでこんなの送ってくるのよ!?
べ、別に動揺なんてしてないわよ!!
美佐がその写真を見て眉間にシワを寄せていた。
「あの人に似てるけど……、もっとダークな雰囲気があったはずだし……」
明日の映画の連絡じゃないの?
私はスマホをスクロールしてあんりちゃんからのメッセージを確認する。
「ばっ!? ちょ、まってよ!?」
私は思わず吹き出してしまった――
あんりちゃんは、自分が風邪を引いて体調不良だから、新庄君と二人で映画を見に行ってほしい、との事だった。
明日の映画は特別上映。
キャストたちの舞台挨拶がある特別な日。
あんりちゃんの身体は心配だけど、新庄君と二人っきりで映画? え、ちょっと、どうすればいいの!?
「おねーちゃーん? 戻ってきてよ! そうめん食べよ」
「う、うっさいわよ! ちょ、ちょっと考えさせてよ!?」
私は取り乱して、近くにあったハムスターのぬいぐるみの『テツロウ』を抱きしめるのであった……。
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