今はまだ……
師匠と別れてから俺はキャンプファイアーの隅で座っていた。
俺に話しかけてくる人はいない。時折、義妹の叫び声が聞こえてきたが気にしない。
宮﨑静が男子生徒と二人っきりで歩いていたが何も感じない。
如月たちの女子グループが俺を見つけて指を刺して笑っていたけどどうでもいい。
奈々子さんが一人ぼっちで座っていたけど関係ない。
俺の頭の中は小説を書くという事で一杯であった。
「おっす! あんたやっぱ寂しそうじゃん。はぁ……、せっかく誘ったのに来ないなんてマジで捻くれてるじゃん。……あのさ、やっぱあんたに謝った方がいいのかな?」
花澤さんが俺の隣に座ってきた。
わからない。なんでこの林間学校では彼女は俺に話しかけてくるんだ?
「……よくわかりません」
「あっそ、てかさ、あんた嫌な噂が一杯あるけど運動もできるし勉強も学年一位だし背も高いし顔もキレイだしさ。噂が本当かどうか調べている子もいるのよ。マジでモテる五秒前って感じ? うちのクラスではいじられてるからわかんないかも知れないけどさ。上級生と下下級生たちからも噂になってんよ」
お義母さんと義妹に恥を欠かせないために俺は身なりを小綺麗にしている。
勉強も運動も完璧にやれば家族からの悪意が少しでも軽くなる。
俺にとって必要な事をしたまでだ。
モテるなんて思った事ない。
俺がモテるなんてありえない。俺は犯罪者扱いされているんだから。
「それはありえません。……暗いですし」
「はっ? あんた私のお姉ちゃんとちょっとだけ喋ったでしょ。その時は普通って聞いたし。マジで隠すのはやめてよ。竜二だってあんたを見ててイライラするからちょっかいかけるのよ」
本当に意味がわからない。ちょっとした事で人の評価なんて変わってしまう。
俺は運が無かっただけか? いや、違う。俺は選択を間違え続けただけだ。
俺に価値なんてない。
この子は奈々子さんと一緒だ。
誰からも嫌われている俺の世話をしている善良な生徒を演じたいだけだ。
言葉に重みがない。
「なんで俺と喋ろうとするんですか?」
「え? だって同じクラスメイトじゃん。それにお姉ちゃんが超キュンキュンしてたからどんな素顔か気になっただけだよ。てか私があんたの事好きだと思った? ぷぷっ、私は――」
「ええっと、榊原君の事が」
「ちょっ!? マ、マジでばれてんの!? なんで? え、嘘!? あっ、竜二――」
花澤が俺の後ろを見て笑顔で手を振っていた。
その時背中に衝撃がきた――
「げほっ、げほっ……」
「おっ、わりいな、なんかお前この林間学校から調子乗ってね? てか自分のクラスの立場考えろっての。花澤が優しくしてるのにマジありえねー。ガチで追い詰めんぞ」
どうやら背中を思いっきり叩かれたようだ。
いきなりだったから息がうまく吸えない。
「ちょ、竜二やりすぎだって。ほ、ほら今日は林間学校だからパシリ程度でいいっしょ。料理美味かったしさ」
「てか花澤ってこいつの事が好きなの? なんか距離近くね? 俺、お前と一緒の班の林間学校楽しみにしてたんだけどな〜。なあこの後お前の部屋に遊び行ってもいいか? 忍び込めばバレねえだろ?」
「あ、あははっ、マジで!? ちょ、超嬉しいんだけど……。てか、新庄はガチで関係ないっての。こんな陰キャ好きになるわけないっしょ。ほら、イジるネタ探してるだけだっての。こいつマジできもいんだって。ウジウジしてるし教科書ボロボロにされても何も言ってこないし。男じゃないよね」
顔を赤くしながら嬉しそうに喋る花澤。俺と仲よくしていたところを見られたくないのか、俺を全力で否定している。
本人はわかっているのだろうか? 俺を上から見下ろしている。人として見られていない。さっきまでの言葉は何だったんだろうか?
「マジできもいよな。てか新庄お前さ、さっきガキと一緒にいただろ? お前って同学年から相手にされねえからってロリコンなの? やばくね? これみんなに言ったほうが良くね? 痴漢したこともあるんだからさ」
「え、あ、マジで……? あっ、さっきダンスの時手を握っちゃったよ。マジ最悪……」
花澤の声が低くなる。俺を軽蔑するような視線へと変わる。
本当にこんな事を信じているのか? ああ、そうか。俺の事を信じる人なんていない。
悲しいなんて思わない。これが普通の事だって思うんだ。
「確かに俺はあの子と喋っていましたが――」
「かーーっ、マジできめえって!! 俺妹いるからこんなやつが同じクラスだなんてマジむかつく。そうだよな、花澤〜」
「う、うん、マジキモい……。ありえないって。新庄、マジでロリコンなの?」
「おいおい、美樹には内緒にしておけっての。あいつこいつの事気になってるからイジってんだよ。マジで趣味わりいよな」
「えっ、ありえないって。だって美樹だよ? こいつの超冷たいじゃん」
「ほら、あそこ見ろよ。あいつ好きな子をいじめたくなるって言ってたぞ。俺が叩いたから超気にしてんのわかるぜ。あいつも生意気だからいじってやるか?」
会話の意味がわからなかった。虎ノ門とコイツラは友達のはずだろ? なのになんでそんな簡単に人を裏切ろうとするんだ。
わけもわからない怒りが腹の底から湧いてきた。
駄目だ、怒りは人を駄目にする。なにも感じなければいいんだ。
俺は大きく深呼吸をする。
大丈夫、俺の心は落ち着いている。
チラホラと俺たちのやり取りを見ている生徒たちが増えてきた。
いじめられている俺を見て優越感に浸っている。確かに虎ノ門が俺たちを睨みつけるような目付きで見ている。
師匠の班の小学生グループも俺の事を見ていた。
女子グループに囲まれている師匠は悔しそうな顔をして下を向いていた。
何かされていないか心配になった。今すぐ駆けつけたかった。
だけど、それでは問題は解決しない。
……俺は大丈夫だ、鋼の意志があるんだ。壁を作ればいいんだ。
榊原は立ち上がって靴で俺の腹を軽く蹴りつけてくる。
痛くないけど、非常に不快な気分になる。惨めな気持ちになる。
「マジキモいって。俺こんなやつと一緒に寝たくねえっての。お前今日は外で寝てろよ。あそこにちょうどいい木があるだろ? 一晩頭冷やせっての。あっ、見張りさせとけばいいか。俺が持ってきた酒を女子の部屋に運んで置けっての。タバコもお前が持ってろよ、見つかったら全部お前のせいだからな。マジで今日だけ優しくしてやってるからって調子乗ってんじゃねえぞ――」
榊原の靴によって俺のジャージに泥が付く。榊原の蹴りはどんどん強くなってきた。
先生が来る気配はない。どこかで酒盛りでもしているんだろう。
こんな時小説の主人公はどうしているんだろう? こんな時、どんな物語を書けばいいんだろう? いじめがなくなる方法って小説にあるのかな?
ああ、服が汚れたらお義母さんに怒られる。怪我をしたら病院代がかかってしまう。ものを壊されたらお金が必要になる。
榊原に胸ぐらを掴まれた。
花澤の方を見ると榊原を熱い視線で見ていた。
ああ、そうか、こいつらは人の痛みがわからないんだ。自分に返ってくるかも知れないって思っていないんだ。
「なんだてめえこっち向け――ぐっ?」
暴力は絶対駄目だ。いつか自分に返ってくる。だからどんなに言われてもやり返しちゃ駄目なんだ。だけど、反抗する意志を見せないと――あの女の子たちが師匠をいじめ続けてしまう。いじめを肯定してしまうんだ。
俺は榊原の方を見ていなかった。榊原の真似をして胸ぐらを掴んでいるだけだ。
小説で胸ぐらの掴み方を読んだことがある。服を巻き込んで腕を高く上げてありったけの力で締め上げるんだ。
こいつら風に言うとこれは――
「これって冗談なんですよね? クラスメイトの胸ぐらを掴む事や蹴ったり殴ったりすることって」
「……な、んでてめえが、陰キャは逆ら、う――」
意味もなく悲しくなり、自分の声が大きくなっていくのがわかった。
「俺はあなたと何も変わらないただの中学生です。序列をつける意味がわからない。なんで気に食わない生徒に暴力を振るうんですか? なんで人の物を壊すんですか? なんで人の嫌がる事をするんですか?」
「……はっ、お、お前が犯罪者で――」
俺は一瞬頭が真っ白になりそうであった。
そうか、これが人間なんだ。悪意のある正義。
榊原の胸ぐらを掴みながら周りを見渡すと、突然の俺の反抗に驚きを隠せていなかった。
そして、俺の噂を思い浮かべている。カラオケボックスで暴力を振るったという噂を。いまこの状況は榊原が被害者で俺が暴力を振るっている、と思っているんだろう。実際は俺が暴力を振るわれていたのだが。
花澤が泣きそうになりながら俺の肩を揺する。
「や、やめてよ!? あ、あんた竜二を殺すつもり!? 気絶してんじゃん!? あ、あんた私が竜二の事好きって知ってんでしょ!? それにちょっとイジっただけで――」
「君の感情なんて関係ない。――イジっただけ? 違う、これは明確ないじめだ。俺はどれだけ我慢したんだ? 俺の噂? そんなものどうでもいい。お前らが俺にしてきた事は本当にいじめだと思っていないのか? 花澤と榊原だけじゃない。クラスメイト全員に言っているんだ。――なんでわからないんだ!?」
「わ、わかってるっての!? だ、だけど、ど、どうしようも出来ないこともあるんだって!!」
「そうか……だったら――」
俺は辺りにいる全員を見渡した。
「二度と俺に関わるな――」
俺はいつの間にか静かになっていた榊原の胸ぐらから手を離す。
榊原は力なく地面へと崩れ落ちる。
キャンプファイアーの残り火の音だけがこの場に響く。
誰も何も喋ろうとしなかった。
************
俺はあの後すぐに先生の元へ行って騒ぎを起こした事を説明した。
うちの担任だけではなく、比較的まともな学年主任を交えて説明をした。
担任は必死でいじめを否定していたけど――
「お、お兄ちゃんの言ってることは本当です。だって、私も学校でいじめられているからわかるもん!!」
小学校の先生を引き連れてやってきた師匠が、そう俺たちにスマホで録画した動画を見せてくれた。師匠は擦り傷があった。撮影の邪魔をしようとした女子グループに抵抗した時に出来た傷だ。
俺はいじめにあった被害を警察か教育委員会に届ける旨を伝えると、担任が真っ青な顔をしていた。
さらに気絶した榊原の懐からタバコが見つかった。また、酒を持ってきているという発言から、荷物をチェックしたら酒も見つかる。
榊原の素行が大問題となりその場で親へ連絡をして、強制送還する事となった。
俺は胸ぐらを掴んだけだが、なんにせよ暴力ということで反省文を書く羽目になった。他の生徒の証言から、俺がいじめの被害者という事がはっきりとわかり、それ以上お咎めはなしであった。
その後も林間学校を過ごさなければいけなかった。
いじめをしたらやり返される。という行動を実践して見せたのが良かったのか、林間学校の最後に師匠はいじめが止まったと報告してくれた。
林間学校はクラスメイトとは喋らず過ごして終わった。
師匠は――年相応な笑顔を俺に向けてスッキリとした顔で俺に別れを告げた。
『いつかランキングで会おうね! お兄ちゃん、ありがとう!』
************
夏休みも終わり、その後の日常のうちのクラスの雰囲気は控えめに言って最悪だ。
俺に対するいじめはピタリと止まった。だけど、誰も俺と話そうとしない。
俺の悪い噂は本物だ、という噂が広がっていた。奈々子さんの時のカラオケで暴力を振るった事件が誇張されていた。
俺には関係ない。俺は日常を大人しく過ごして小説が書ければそれでいい。
それにうちの担任も変わった。いじめ問題を知っていたのに隠していたのが原因だ。代わりに比較的まともな学年主任が担任となった。
榊原は……一応普通に学校に通っている。一時期はやさぐれて学校へ来なくなったが、花澤と虎ノ門の説得によって段々と普通さを取り戻していった。以前のような求心力はない。
俺を見ると、締め上げられた記憶を思い出すのか目も合わそうとしない。
中学生だからそんなものだ。もしかしたら逆恨みをされると思ったが、そんな事はなかった。時折、榊原がいじられているのを見かける時がある。笑っていたけど、嫌そうな顔をしていたのが印象的であった。
花澤は相変わらず俺に話しかけてこようとする。無視をしていたら段々と話しかけてくる事もなくなった。
時折、虎ノ門からにらまれている気がするが、俺には関係ない。
もう二度とこいつらと喋る事はないだろう。
俺以外に三人から嫌がらせを受けたという相談が学年主任にあったらしい。
三人はクラスで居心地が悪そうに過ごす日々を送っていた――
*************
卒業まであと数日を残すところになった。
俺は手紙で校舎裏に呼び出された。
「し、新庄、わ、私は前からお前の事が気になっていた。……悪い噂が嘘だって知っている。調べたんだから!! わ、私は不器用だから好きな子にちょっかいをかけてしまって……。今までの事は謝るから……ごめん。――わ、私と付き合って欲しい……」
「申し訳ありません、今更謝っても遅いです。俺は家の事情で誰とも付き合いませんので。それでは――」
「あ、ぁ……、そうだよね。私、いじめていたから……」
「いえ、単純に魅力がないからです」
「…………えっ…………。ひっぐっ……、う、うる、さい……」
真っ赤な顔で泣き叫びながら走り去る虎ノ門。こんな嘘告白はどうだっていい。花澤にみたいに言葉が軽いんだ。
学年主任が角からひょこっと顔を出してきた。
「お、おい、いくら冤罪があったからって告白に立ち会うのはちょっと……」
「いえ、これくらいしないと俺が暴言を吐いたっていう風に言われます。お手数かけます」
「あ、ああ、これくらい協力するぞ。まったく、少しは人を信用したらどうなんだ?」
「信用? そうですね……。いつかそんな人ができるといいですね」
「あっ、こら待て新庄、人の話聞けって!」
まさか、俺はこの後連続して嘘告白を受けるとは思わなかった。
先生と別れた帰り道。
公園の前で花澤が待ち構えていた。
「あっ、え、えへへ、新庄待ってたよ。あ、あのね。わ、私、林間学校の時って新庄に優しかったよね? 私さ、あの時から新庄がいいなーって思って……。ぶっちゃけクールな感じが超好きなんだ。私と付き合ってよ」
俺は思わず眉間にシワを寄せてしまった。
いけない、こんな事で感情を乱しては駄目だ。
「え、ええっと、花澤は確か榊原君と付き合っているんじゃなかったのか?」
「え、あ、うん、む、昔の事だよ。あんなダサい奴はただの友達だもん。……ねえ、わ、私どうかな? 結構イケてると思うけど……」
俺はため息を吐いて歩き出す。
虎ノ門よりもたちが悪い。
「ねえ、待ってよ!!!」
花澤が俺の手をつかもうとした。それだけは許せない。もう吐き気に襲われたくないんだ。
あの林間学校のバスを思い出す。俺は再び花澤の手を躱した。
唖然とする花澤。
俺は存外語気が荒い口調で言葉を放ってしまった。
「――あの時言っただろ。俺に二度と関わるなって。嘘告白なんて勘弁してくれ……さよなら」
花澤は嗚咽混じりの声で「ごめん、いじめてごめん、ごめん――」と言い続けていた。だが、俺には鋼の意志がある。そんな言葉には騙されない。人なんて信用できない。
泣きわめく花澤を冷たい目で一瞥して俺は家へ向かって歩き出した。
今日はお義母さんも義妹もいない。だから、俺は小説を書く。
あの時の師匠が言っていた「ランキング一位」にやっとたどり着いたんだから。
心のスキマを埋めるように俺は小説を書き続ける。
それが俺の唯一の救いなんだから――
************
思い出したくも無かった過去。だけど、俺は前に進むために見つめ直す必要がある。
あの時から俺は少しは変わっただろう。
「ありがとうございましたー!! またのご来店お待ちしていますにゃん!」
俺は店を出て感傷にふける。
壊れないと思っていた壁があんりによって壊された。
治らないと思っていた心の傷があんりによって癒やされた。
何も変わらないと思っていた人生があんりによって色づいた。
俺のスマホが震える。
素早くメッセージを確認すると、あんりが駅に着いたという連絡であった。
俺は待ちきれなくて駅を目指して走り出す。
――あんりに会いたい。その気持ちが抑え入れない。
走って、走って、走り続けた。
ふと、堂島が言った事を思い出す。確かに走ると嫌な事も忘れてスッキリするんだな。
駅前で俺を待っているあんりを見つけた。
あんりを見ただけで胸がドクンと高鳴る。
あんりが俺に気がついて手を振っていた。
その仕草がとても愛おしくて……、俺はどうにかなってしまいそうであった。
「あれ? 真君、走ってきたの? もう、ゆっくり来ればよかったのに。えへへ、今日もたくさんお話しようね!」
俺はなんて言っていいかわからなくなって……
あんりを抱きしめてしまった。
「え、ええ!? ま、真君!? ど、どうしたの? 嫌な事あったの?」
「……やっとあんりに会えた。……ありがとう」
あんりは何も言わずに笑顔で俺を抱きしめ返してくれた。
誰も信じられなかった俺が奇跡的に出会えた大切な人。
やっぱりそうだ。
――俺はあんりに恋をしているんだ。
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